Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

鳩山政権誕生に期待するとともに

2009-09-17 12:30:33 | 歴史から学ぶ
 「長野日報」の八面観からひとつ。9/16版ではこの日発足した鳩山内閣について期待を込めて触れている。わたしも感じたことであるが、圧勝以後メディアでは不安もある新内閣への疑問よりも「自民党の大敗を得意げに語る場面が幅を利かせ、勝者へのご祝儀のようで鼻に付いた」という。あくまでも「感じ方にもよるが」と添えているが確かにそんな雰囲気があった。いまだに野党が与党を叩くみたいな自民党批判を書いて得意そうにバカ呼ばわりしている人も多い。彼らにとってみれば二大政党などいらないと思っているはず。さらには連立した社民党や国民新党などというものも不要だと思っているはず。サイトの投票行動をみても国民新党と社民党との連立には反対という人はけっこういるし、社民党に対してはとくに連立に入るべきではないという意見が民主党へ投票した人たちに多い。確かにそういう意味では旧自民党である国民新党はともかくとして、野党として対立軸を持っていた党が与党となってどう自らの主張を通していくか、なかなかトーンダウンしてもおかしくないような部分もあるはずだ。ようはこれからは野党ではない。かつての村山政権下における旧社会党の存在のように、再び野党に戻るつもりがあるのかないのか知らないが、社民党には野党だからできる主張かあったはず。共産党が連立を組まないのは当たり前のことであるが、もし組むとしたら共産党はなくなったしまうくらいの気持ちがなければできないこと。いずれにしてもこのごろの自民党や民主党に色の違いは基本的にはなくなってきた。ようは混ざっているところがずいぶん多い。

 今後自民党が再生されるとすれば、その曖昧な色のまま再生するのかはっきりとした対立軸を出していくかによっても見方は違ってくる。このままでは雰囲気で政党選ぶ、あるいは国民の利益ばかりが優先されて政権が選択されるとも限らない。もっと大事な部分があるはず。どれほど国民に支持されまいと、根気よく説いて理解を得なくてはならないことだってあるはず。このままではそんな政権は誕生しなくなる。

 与党となった後も、あいも変わらず自民党批判をしたり、また民主党支持者たちのかつての政権への誹謗中傷が横行するようでは悲しむべき時代といわざるを得ない。それは一党独裁に近かった自民党政権のような一大政党時代を目指しているということにもなるのだろう。おそらく民主党は次期参議院選挙に大勝することで、自民党の息の根を止めようとしている。果たして万年野党と成り果てる自民党に存在価値はあるのだろうかと。

 記事では「参院で議席数が過半数にないから連立を組むでは自信のなさの表れのように思えてならない」とコメントしている。ぶれのない政治ということもある。そういう意味では民主党の支持母体である連合とのかかわりはどうなっていくのだろう。そもそも労働組合に支持してもらった政党が与党になるということは改革の妨げになることもある。より一層多様な支持者を抱えて与党として答えを出していくわけだから、今までのようにはいかない。きっと「自民党時代とどこが違うのだ」という声も流れることだろう。「説明責任」を果たさなかったこれまでの政治や官の姿を変えることができるかが大きなポイントではないだろうか。そういう点については、鳩山首相も大物幹事長も果たせていないのではないだろうか。脱官僚などという官僚への責任転嫁ではなく、いかに国民に説明していくか、それが優先されるべきことだろう。それさえできれば高速道路無料化も、農家への戸別補償もその意味が見えてくるはず。ところがその不安を解消させる説明はまだこれからである。今後の動向に注視したい。
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