Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

歴史的と言われる選挙を終えて②

2009-09-02 12:51:46 | つぶやき
歴史的と言われる選挙を終えて①より

 必ずしも全ての選挙区の傾向ではないのだろうが、例えば長野県内の選挙区をみても明らかなことは、選挙区では自民党議員に投票しても比例区では民主党へ投票した人がけっこう多い。考えて見ればたまたま選挙になって候補者に触れることはあったかもしれないが、看板は「民主党」であって個人の看板ではないという印象があった。とくに今回は初当選議員が多い民主党。当選した議員の2割ほどは1年生議員となる。さほど人柄を知っているわけでもなく実績もあるわけではない候補者が大物と言われる議員を食った例は数多い。それでもといって選挙区では身近なものを選んだが、比例区では「民主党」という看板を支持した人もいるだろう。ようは郵政選挙と同様の個人ではないキーワードとしての看板に多くの選挙民が動いたと言ってもよい。民主党なら誰でも良いみたいな雰囲気も少なからずあった。刺客と言われて無関係な候補者が選挙区に入っても勝てるという図式はまったく郵政選挙と同じである。勝利の旗を上げたのは正反対でも、選挙そのものの風はまったく同じだったともいえる。二度も続いてこうした選挙に遭遇したわけで、これからの衆議院選挙にはこうした風が絡むということなのだろうか。

 ちまたでは「自分の一票が政治を変えた」みたいなことを口にする人もいたり、ラジオでもテレビでも番組担当者が同じような言葉を吐く。その言葉の原点には政権交代が起きたということを一票の重みに例えているのだが、わたしなどからすればわたしの一票はまったく価値もなかったと思っている。前回も触れたようにせいぜい6:4くらいの比率であって4の方に投票した人にしてみれば一票は役に立たなかったということになる。そして4の方に投票した人たちも、けしてこれまでの政治が良いと思ってのことではなく、複雑な思いが絡むはず。4だからといって6という風に乗った人たちに「おバカ」などと言われる筋はまったくないわけである。公な放送でそんな言葉が流れる度に「それは違うのではないか」と思い、ではそれぞれの一票は本当に生きたのかと思ったりする。今回ばかりは例えば比例区で「二大」と言われる党以外に投票しても意味をなさない選挙はなかったし、小選挙区制を補う形で導入されている比例区にあってもつまるところは二大政党に席巻されるばかりでほとんど少数派は採用されない。結果が予測できたからいつも投票している政党名を書き入れる気にはなれなかった(最悪な捨て票など無投票に等しい)。

 長野県内でも全員が民主党議員となった。最も可能性があった5区ですら選挙前から民主党有利という流れだった。この区が落ちればすべてなしという砦だっただろう。ところが選挙に立った当人は、あるいは選挙に関わっている人たちにはほとんど今までと変わらない選挙しかできなかったのではないだろうか。あいも変わらず支持者まわりばかりで、下々の住民への訴えはほとんどなかったと言えるだろう。こんな選挙のやり方で、いわゆる無党派といわれる票をもらえるはずもない。たくさんの支持者がいたであろうが、その支持者たちも何も解っていなかったということ。呆れたものでわたしは自民党員であるものの、その手口の悪さにこれまでずっと自民党には投票しないアンチ自民党員だったと言える。「本当にそれで良いのか?」という問いかけをしてきたのに、いわゆる自民党はそんな平民の気持ちなど少しも理解しなかった。敗北して議員を剥奪された自民党前議員が「麻生のせいで負けた」などと吐く姿に、「二度と国政に戻ってくるな」と言いたい。何も分かっていない多くの自民党関係者に、負けるべくして負けたのだと言いたいわけだ。二者択一という選挙の中で風がどこに向かって吹いていたかなどということは百も承知していた。そうした中であえて自民党を支持した者の気持ちなど、敗者も、そして勝者もまったく解っていないのである。これこそが一票を美化している報道関係者やそれに乗せられている国民の無残な姿だとわたしは思う。
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