Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

兼業農家を見直すべき

2009-09-22 20:08:50 | 農村環境
 昨日に引き続き我が家の農業から農業政策に展開してみよう。

 昨日は草刈、今日は草取り、いずれも生産には結びつかない。民主党政権とともに将来が危ぶまれるわが社はこのところ忙しさが増している。その理由はいわゆる自民党政権下において実行された経済対策にかかわるもの。政権交代とともに補正予算に凍結されたものがあるが、わが社の忙しさには影響がない。出先によってはその関連の仕事が間に合わないとお客さんに怒られて日夜仕事に追われているともいう。初めて体験するシルバーウィークも、仕事をしに出勤している社員も多いのだろう。わたしのように会社から相手にされていない人間には問題外の景色である。そもそも我が家にとってみれば休日はわたしの労働力が頼りにされるからそんな会社のボランティアにつきあってはいられない。昨日も記したように、環境を保持するための小さな仕事だとわたしは思っている。しかし、実際は人の数だけに仕事は割り振られているし、給与が高い年代ともなれば、それなりに仕事はこなさなければ何を言われるか解らない。したがってわたしの日々の暮らしは自宅で時間があれば会社の仕事をする。まったく公私混同の日々。しかし無言で暗い時間を過ごすことを思えば、自分の好きな時間に仕事ができるというスタイルはけして嫌いではない。製造業のように会社でなければ仕事ができないというのならともかく、わが社の仕事はPCが一台あれば十分である。もちろん詳細に捉えると問題を含んでいるが、ここではそれについて触れない。世の中は自宅でも仕事のできる分野が多くなったといえるだろう。それならわざわざ会社に拘束されることもないし、ましてや休日にサービス出勤する必要もない。

 さて、そういう境遇には感謝しなくてはならないが、たとえば農業を昼間して夜会社の仕事をするというスタイルが実現できないわけでもない。必要な情報と現場については会社に出向かなくてはならないが、あとは自宅でも可能。逆に言えば休日に仕事に行っていたら農業はできない。それどころか自宅のさまざまな環境整備もできない。もともと兼業農家というのはふだんは会社、休日に農業というスタイルである。もちろん休日だけでなく朝早いうちに朝作りとして草刈をする人もいるだろうし、帰宅後に農作業をする人もいる。一般のサラリーマンより働いていることに間違いはなく、さらには会社の収入を農業へ補填しているとも言える。そんな兼業農家は、ある意味国の宝だと思わないだろうか。今はそうした兼業農家が無くなりつつある。規模拡大に努めたり、あるいは集落営農という苦肉の策は、結局サラリーマンをしながら農業をするというスタイルを認めない社会にする。しかし同じ農業空間の中で問題を共有する、あるいはそれぞれが環境整備をするという意識を高める意味でも農業をしていることは重要な意味を持つ。農業が大事だと本気に思うのなら、農業をしているという事実に対してもっと評価を高めるべきだろうし、仕事とは別に農業を兼務している人に対してそれ相応の支えが必要ではないだろうか。もっといえば農業関係の仕事をしている会社ならもっと農業を兼業としてやりやすい環境を整えるべきだとわたしは思う。

 結論から言えば、大規模化を否定するものではないが、それは環境によって異なる。したがって兼業農家を充実するべきである(我が家には農地がないので兼業農家には値しないが)。さまざまな理由で小規模農家から脱却できない以上、日本の農業を救う方法はこれ以外にはないと思うが…。
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