Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

草を取る

2009-09-13 20:00:14 | 農村環境
 先週は50m2程度の我が家の入口の草取りに4時間を要した。土が乾ききっていたということもあるが、車で常に踏みつけられていて、砂利と砂がしっかりかみ合っている地面はなかなかの固さで草だけつまんで引っこ抜こうとしても「プツリ」という具合に根が抜けずに切れてしまう。したがって草かきの先を使って土をほぐしてからでないと草の根まで抜き取れないのである。炎天下で草取りをしていると、このごろは日曜日に自宅待機している妻が口にする言葉が「除草剤を撒こう」というものである。もちろん除草剤は好まないのであるが、さすがに手がかかりすぎるとこのいたちごっこを何とかしたいという気持ちになるのはしかたのないこと。妻も最近はいろいろ疲れてきたという証拠なのだろう。数年前は米作りにおいて除草剤を嫌がって「撒け」といわれたのに撒かずに草を手で取り続けていた。ところが最近はなかなかその大変さが身にしみて、そしてほかの作業にも影響することもあってそういうわけにいかなくなったのだろう、よそよりは少なめであるが除草剤を撒くようになった。加えてそれでも発生する田の草を手で取るのも少しあきらめている。田の草を這いずり回って取る作業のつらさは、やってみたことの無い人には解らないだろう。諦めているから今年はわたしに「田の草を取って」という要求もなかった。収量が少なくなっても仕方ないと割り切っている。そんな妻の意識低下のせいか、自宅の庭の草に対しても「除草剤」が登場するのである。とはいえ妻は自然派志向だから安全な除草剤というものをしっかりと用意している。しかし、我が家に新しくやってきた犬は体重にして2キロ程度ということもあって、わたしとしては犬が庭を飛びまわっているから除草剤は撒かない方が良いというのが答えである。そんなやり取りもあって草取りが延々と続く。

 一週間後の今日は、一時にくらべるとだいぶ草の伸びが低下してきたものの、これまでおろそかになっていた比較的裏の方の見えない場所の草取りをする。昨日が雨だったということもあって、草取りには好条件。先週のようなことはないが、それでも予定量を終えることはできなかった。これで残った場所を次にやると、また伸びてきた場所の草取りとあいなる。結局今年になって一度も取れずにいる場所はそのままに置かれることになる。入口の庭は今年既に5回ほど草取りをしている。いっぽう1回もできないでいる場所は日陰だから目立ちはしないものの、いつも気になっている場所。果たして秋までに1回できるかどうかが課題である。

 かつては遠くでスピードスプレヤーの音が聞こえ始めただけで洗濯物を干しているサンルームのドアを閉めていた妻も、最近はけっこう近くで音がしても閉めなくなった。妻の環境への意識が低下しているのも解るような気もする。一年中必至に実家の農業を担っていながら、なかなかその小さな農業ですらこなせないほど雑務があって、加えて父も母も年老いてきてその面倒をみることに手がかかるようになったということもある。さらには弟が病に侵されたのも農業の担い手という部分で影響している。半年ほど前にも触れたことがあるが、南箕輪村の水田地帯にある農家に隣接してあるビニールハウスが、何棟も続いているものの耕作がされずに朽ち果てている姿を見た。きっと主が病に倒れたため朽ち果てる道を歩んだのだろう。農業を営むとはさまざまな環境が影響する。それは自然ばかりではなく、家族といったプライベートな部分ものしかかる。サラリーマンとはまったく違うのである。
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