Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

記録を続ける

2009-09-11 12:49:28 | つぶやき
 この日記を始めたのは2005年の7月7日である。今日が特別な記念日でも何でもないが、ふと振り返る気持ちをもったのは、だいぶ疲れが溜まってきたためだろうか。当時は毎日記述するという思いはとてもなかったが、約1ヶ月半を経た8月18日に記録を休んだのを最後にちょうど4年、一応毎日記述してきた。以前にも書いたように目標は2キロバイト以上800字くらいを最低に1000字から2000字くらいの範囲で記載している。今は電車の中でおおかたのものを書いているから特別に時間をとっているわけでもない。したがって記憶にある部分で書くからあまり多様なことも書けないし情報量は極めて少ない。曖昧な部分は家に帰ってから確認すことはあるが、そこに時間をかけてしまうと長続きしない。したがってけっこう間違ったことも書いているのだろうと思うのだが、指摘もされないから気にも止めずに書き続ける。以前にも書いたがあくまでも日記だからそれでよしとしている。

 実は毎日書いてはいるが、実際は調整したことが何度かある。気がついたら既に午前零時になってしまい翌日になってしまうということもある。ところがこれだけ開けずに書いていると空白の日ができてしまうのはどうも気になる。だからこのブログは日時を投稿後修正できるからそんな調整をときおりするのだ。午前零時を過ぎれば翌日なのか前日なのかというところは曖昧なもの。基本的には眠っていないうちは前日になるのだろうが、機械はそうは思ってくれない。確実に午前零時を過ぎれば翌日に日は変わる。そんなこともあって翌日が忙しくてきっと書き込むことができないだろうと思ったりすると、逆に午前零時を待って翌日分を書き込むこともある。そこまでして何の意味があるのかといえば何も意味はないが、長く続けてくるとそうしたくなる。休日の日は電車に乗らないから書き込むのが午前零時ぎりぎりになる。そんな時はけっこうくだらない内容で分量が少なかったりする。あらためて確認したわけではないが、土日の投稿時間が午後11時代後半のものはそういう日記が多いはず。ようは休みが長く続くとつらいのである。人さまの日記を拝見しても毎日書き込んでいるものはけっこう多い。それどころか毎日たくさん書いている人もいて、どういう1日を過ごしている人なんだろうなどと思ったりする。世の中にはすごい人がいるものだと思って、そんな時は日記を書くのを辞めたくなったりする。

 今日はどうでも良いことを長々と書いた。先日知人から久しぶりのメールが届いた。土日を挟んだ研修でつくばに来ているということ、そしてせっかくだからといってその方面にいる民俗学の仲間と休日を使って飲んだという。そんな中でわたしの話題が出たという。この日記で書評とまではとてもゆかないまでも、思うがまま好き勝手なことを書いていた。そこで批判めいたことを書いたのかもしれないが、そのことを書いた本人が気になっているというのだ。素人が趣味で興味をもってやっている程度のこと、専門家の方たちとはレベルが異なる。それでもそんな具合に話題にしてくれるのはありがたいこと、感謝である。

 わたしの日記はちまたの多くのブログ同様、実名で公表していない。しかし例えばブックマークのリンクを追っていけば、わたしの実名など容易に見つけることができるし住処もだいたい解る。しかしこの日記だけを読んでいてもなるべく素性は解らないように記述している。きっと実名で書いていたら「ここはこういう風には書かないよな」と思いながらの記録である。だから現実とは意図的に異なって書いている部分もある。言葉もそうであるが、書くときにもまったく本性丸出しで書くなんていうことは、非公開の日記でも躊躇すること。いや、従来の筆記タイプの日記だって、自分以外の人が読む可能性が無いわけではないから、必ず戸惑うことはあるものだ。書き記すことは言葉による伝承に比較すれば正確なのだろうが、むしろ残されるという事実から、嘘を書くことだってあるのだ。
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