Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自民党の行く末

2009-09-29 12:30:05 | つぶやき
 「小泉改革以降地元の声が通らなくなった」、だから自民党が国民の声を聞かなくなった、という理論はまったくおかしなこと。もし本当にそう思っている自民党員が多いとしたら、もはや自民党に「再生」はないだろう。実は民主党の過激な政策展開は、きっとどこかにほころびが出る。そのほころびをつけば、自民党が政権を奪還できることは容易のように思うのだが、それは夢の話。いかに河野太郎氏が地方票を多く取ったにしても、やはり自民党は利権集団で「ある」ということを結果的に自民党員外に掲げたことになるのだろう。国民の多くが自民党の再生に期待しているというのに、自民党は「何も解っていない」というのが事実のようだ。

 そもそも小泉改革は、今までの利権的な票取りによって意見を容易に聞くことはできないという宣言のようなものだったはず。そういう意味ではけして小泉改革は間違っていなかったはず(小泉を否定していた先生方もとりあえず流れに沿っていたわけで、自民党体質そのものが小泉改革と相反するところにあったはず)。西村氏が言うように確かに地方は疲弊したかもしれないが、必ずしも地方を相手にしていなかったわけではない。その路線はけして間違っていない以上修正を加えても、今までの改革の道を簡単に否定してしまってはならないわけである。強いてはそれが民主党との対立軸ではなかったのだろうか。もはや業界のためにある自民党なのかそうでない自民党を目指すのか、そういう段階にきているはず。ところが年老いた権力者はどうしても利権にこだわる。それが政治に生涯を賭けた当選当初からの行く道だったのだから、それを転換することは容易ではないはず。自民党が誰のために再生するのか、まずここを定めない限り、この党はもはや無に化しているといえるだろう。

 ちまたでは政権与党であった自民党を批判していた時代とは違い、ふぬけの野党を批判することもなくなった。なぜならばそれほどに奈落の底に落ち、それとともに「みんなでやろうぜ」などというくだらないギャグを口にする総裁を選択した。この党に再生の兆しはまったく無い、と誰もが感じているはず。もはやこの党の党員である必要もなくなったと感じている人も多いのではないだろうか。わが社においても今後どう判断するか問われることになるのだろうが、そうした現実を見据えて社運を任せられる方針転換が必要だと強く感じるわけである。総力報道の後藤謙次は自民党の再生に必要な時間を10年と言った(9/28同番組)。そして場合によってはそれまで「持つか」という言葉もあった。その裏には民主党が「持つか」、あるいは自民党が「持つか」という捉え方があるだろうが、後藤謙次のそれは後者と思われる。まさにそれを感じさせた今総裁選であったと言える。
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