Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

死に支度を考える⑤

2007-12-28 12:21:49 | 民俗学
⑤両墓制

 前回「いつまでも残る遺骨」について触れた。かつて両墓制について盛んに民俗学では触れられていたが、このごろの葬儀の変容の著しさで、現代における葬儀や墓はどこへ行くんだろう、というところに関心が高い。米田実氏は「大型公営斎場の登場と地域の変容」(『葬儀と墓の現在』吉川弘文館 2002)において、滋賀県におけるサンマイについて触れている。サンマイはその地域において〝ハカ〟と呼ばれる場所で、地域ごと一定の区画をもった共有財産的な場所として存在している。土葬時代においては、このハカに遺体が埋められ塚を築き、墓標のほかさまざまな墓上施設が設けられる。この墓に参るのは四十九日までであり、その後は個人の墓としての性格はなくなるという。共同の埋葬地はあくまでも遺体が土に返るまでの埋墓であって、先祖を祀る場所てはないということになる。そして、サンマイとは別に集落内の檀那寺に先祖代々の石塔を建立したセキトウバカを持っていて、年忌や盆といった供養はこのセキトウバカに対して行われるという。わたしも知らなかったが、こうした遺骨の埋葬されていない墓は法的には墓地ではないという。それを認識することで、再び墓とは何のために、という問いを自らしなくてはならないが、このことは後で触れよう。

 サンマイとセキトウバカという両墓制も、土葬という埋葬方法が継続されていることで続くが、火葬が一般的になると変化を来たす。米田氏は火葬化による埋葬地の変化を滋賀県甲賀郡の事例から捉えている。それまでサンマイに埋葬していたものが、①サンマイに埋葬、②セキトウバカを墓地として石塔に納骨、③分散してサンマイと石塔に埋葬という3パターンに展開したという。これもまた過渡期のものであって、いずれすべてが火葬になり、時代か経過するとともに、さらにサンマイのの存在は曖昧なものになるだろう。事実、サンマイの利用を止める動きもあるといい、こうした動きを「墓がなくなる」と表現する人もいるという。こうした表現をすることからみても、サンマイが墓であって、セキトウバカは供養のための標ということになるのだろうか。

 さて、ここでいうサンマイという墓は、共同の墓地であって埋葬地である。こうした墓は、現代の個人ごとの納骨を目的とする墓とは異にするもので、わたしが以前にも触れた「共同墓碑」のような存在である。そうやってみてくると、もともとはわたしの望むような墓制というものがあったはずなのに、なぜか死後の世界まで垣根を作って個々を尊重するような空間を設定してきたわけである。

 遺体あるいは遺骨を埋葬するから法的に墓地でなくてはならない。そうした法的なしばりから、散骨に対して賛否がある。いっぽう樹木葬は、サンマイと同様に墓地という空間に埋葬し、そこへ木を植えようというものである。かつての墓制に近いものともいえる。しかし、そうした場所がどこにでも設定できるというものではない。開発し尽くされたこの時代、遺骨を埋める場所が隣接地にあって、それも墓石内の納骨室ではない土の中に埋められるということを懸念するわけだ。ようは産業廃棄物と同様の感覚であって、遺骨が溶けて土に浸みこんでいくことを嫌うのである。かつて土葬が当たり前であったから、そこらへんの土地には往古よりの人骨の気配があっても少しも不思議ではないのに、そうしたかつての風習は記憶から消しているのである。それは火葬から土葬に変化して長い時代を経過しているほどに意識として強くなる。歴博フォーラム「民俗の変容 葬儀と墓の行方」(2001/11/17国立歴史民俗博物館)において井上治代氏は、一関市の樹木葬の事例を紹介していて、そのなかで里山の自然を守るという観点から墓地にするのがよいのではないかとなったとき、近隣の反対を予測したという。ところがまったく反対がなかったわけではないが、少し予定地を変えたらすんなりと了解が得られたという。その背景について、「この地域ではつい最近まで土葬だったと。だから遺骨以前に、もう遺体がこの近くに埋まっていて、そこら辺には木がいっぱい植わっていたんだよと。ですから、樹木があって、そこの下に遺体が埋まっていることすら自然な風景なのです」という。土葬時代と火葬時代と何が違うのか、それほど変わるものではないのに、なぜかその後の埋葬の仕方によって、意識に変化が生まれたということになるのだろう。骨壷にしまい込んでしまうのと、土の中に埋めてしまう、その違いであり、つまるところ遺骨が後世に残るか残らないかというところに行き着く。

 法律に定められた・・・という説明に従えば、どこでも墓というわけにはいかない。とすれば遺骨の処理方法として、「遺骨も遺灰もいりません」に対する回答は、産業廃棄物的なものになっても仕方ないわけである。同フォーラムの中での話しであるが、二代前までのことはとても詳しく語られるのに、その先の話になると「そんなことは知らん」と、すでに先祖様になっている故人を語る必要はないと話者が口にしたことを紹介している。だれのものと推定できる遺骨をいつまでも残す必要性はないだろうし、かつてはそんな意識もなかったはずである。もちろん、死した者をいつまでも記憶に残してはいけない。生きている人たちは前を見て生きていかなくてはならないわけで、死した者は早く忘れられることがよいのである。
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