Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハンカチとトイレ

2007-12-02 10:41:18 | ひとから学ぶ
 「なぜハンカチを使わない」を書いて、たまたまその関連記事をのぞいていたら、「ハンカチを持たない女性たち」という記事を見つけた。男性だから、女性がトイレでどういう行動をとっているかは知らないが、読んでいてなかなか興味深かった。ちょと原文のまま紹介すると、こんな具合だ。

「世の中にはハンカチを持たないでトイレに入る女性が多い。その割合の多さに唖然とする。色んな人が利用する街のトイレで用をたしておきながら、手をささっと水に触れる程度で洗って、水に濡れた手はそのまま頭に。水で髪の毛を落ち着かせてスタイリングしてる。それでいて化粧はしっかりと直すんだよね。整髪料できちんとスタイリングした髪をトイレから出てきた手でまた触って、水で整髪料がべとついた手で化粧。そう考えるとぞっとする。結局は、その手でトイレから出て、外で待たせていた男の人と指を絡めて手をつなぐのだ」

 わたしもそうだが、まじめに手など洗いはしない。人の様子をのぞいていても、水道の水をしばらく流してしっかり洗うようなケースは、トイレに手を洗うために入った人くらいで、用を足した人はおしなべて簡単なものである。紹介した文の「水に触れる程度」という表現から、「なんだ男とたいして変わらないじゃないか」と気がつく。いや、このごろの男性ときたらけっこうまめに洗うものだ。紹介したような女性ばかりだったら、女性観が変わるかもしれない。潤いのある指を眺めて期待を膨らませるような男性の心理を笑っているかもしれない。

 でも実は異性の空間でも認識できないような隔離された部分では、意外な展開がたくさんあるのかもしれない。「まじめな女性」「不真面目な男性」という構図が少なからずかつての時代にはあったが、態度の問題で真実は定かではない。しかし、仕事をしていても、細かいチェックは男性よりも女性に向いていることは確かだ。女性の方がそうした細かいチェックを平然とやってのける。ところが男性の場合は、そうした仕事をしていても、「チェックをして指摘すると嫌われる」などとすぐに考えてしまうものだ。男性社会には今でも年功序列が必要だと思うときはそんな時である。

 さて、生まれ育ってきた体に染み付いた慣れというものは、人それぞれと本当に思うものだ。そして、人それぞれと思わせてくれる空間が、「トイレ」なのだ。冬場になると、みんなトイレが近くなるから、トイレで人に会うことが多くなる。男性だから女性と異なって、いわゆる立ちションである。横の便器に立てば、隣の男性のしぐさが意識しなくとも目に入るものだ。そういう意識をしたくないから、できればすぐ隣には立ちたくないのだ。先日あるトイレで用を足していると、先客が用を足したにもかかわらずしばらく便器に立っている。いわゆる男性は用を足しても紙を使わないから、露を振り落とそうとする。用を足した後のこの所作は、時間も含めて人によって差のあるところだ。せっかちな人はろくに振ることもなくしまい込むし、長々と振り続ける人もいる。もちろんいつまでたっても振っている人は、隣にいて気がつく。だいたいが振り続けるような人は、便器から少し離れてやるから、隣から見ればその所作が良く確認できる。興味あるわけでもないが、そうした光景を目にすると、「嫌なものを見てしまった」と思うものだ。その男性、振りたくったあとにしまい込むかと思えば、何の上から親指に人差し指をかけてはじいているのだ。年のころ50代とは思うが、何を考えてそんなことをするようになったかはしらないが、これではあちこちに露を飛ばしているし、それは自分の衣服にも飛んでいること間違いない。そのくらいなら何もせずしまい込んだほうが、汚れるのは下着のみである。下着なら洗濯は毎日できるが、衣服となると毎日洗濯するというものではない。そんな衣服に我が露を毎回のように飛ばしていても、そんな行為をしていると知らない周りの人は、知らずに接触しているのだろう。冒頭の女性の文末にもあるように、見た目は綺麗、でも実情も知らずに男の人は「指を絡めて手をつなぐ」と同じようなものだ。まさに人それぞれである隠れた世界の話である。
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