Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

追憶

2007-12-05 12:44:30 | ひとから学ぶ
 会社の中長期を見通す12/3会議を終え、改めて自らの力など価値もないほどに小さいことを知り、またそれを認識していれば、何を言われようと自らの考えは砕けることもなくまた自らを見つめなおすこととなる。12回を数えた会議。懇親会ではそんな会議がどれほど重要であったかなどということとは別に、いかに現状は結果よりも厳しく、また将来はせつないのか、などという印象が漂う。かつてのよき時代を、そして会議での思いいれも含め、懇親会では語られる。それはそうだ、常に同じ空間にいる仲間たちではない。別の部署で仕事をしてきたわけで、もし偶然同じ部署にいたとしても、わずかな期間だ。しかし、そんな短い顔色の中からも、それぞれに関わってきた言葉が浮かぶ。思い起せば、わたしにとって最も長い期間同じ部署で暮らした同僚は、せいぜい5、6年といったところだ。そんな同僚も数えれば1人か2人といったところで、すでに多くの長きにわたって同じ空間で働いた仲間は会社をあとにした。噂話としての人間像、そんなものが流れてゆく。「あいつはよく仕事をする」とか「あいつは駄目だ」などという噂はいくらでも流れる。

 久しぶりに席上で前に座った上司は、かつて松本で同じ空間に1年いた。部署は同じでも仕事が違うから、お互いがどれだけ仕事をするかなんていうことは計れるものではない。上司は言う。「寝ているかい」と。かつてたった1年ではあるが同じ空間で過ごした上司にとって、わたしの空間での行動は異様であったに違いない。朝一番くらいにやってくる上司が会社に入ると、すでにわたしは仕事をしていた。そしてその上司が帰る時にもわたしは〝必ず〟会社にいた。ようは常に会社にいたという印象をもたれているのだ。ところが、当時のわたしの行動は、けして会社の空間だけにあったわけではない。単身赴任はしていたものの、必ず水曜日には自宅まで帰り、金曜日も必ず5時半くらいには会社を後にした。ようは水曜日と金曜日はできうる限り定時でしまい、月曜日と木曜日は必ず始業ぎりぎりに会社にすべりこんでいたはずだ。だからわたしにとっては、かならずしも仕事だけの一週間ではなかったし、当時はそんな単身赴任先で仕事外の調査研究をやっていた。今までにも触れたが、「忙しくても自分のやりたいことはできる」を実践できた時代である。そんな割り切った生活をしていても、それ以外の日は必ずといってよいほど会社が閉まる時間、そして開く時間に空間に入っていた。その極端さは、どんなに割り切った生活をしていようと、違った仕事をしていた人たちには、〝必ず会社にいた〟という印象を与えていたのだ。「やつは仕事漬けだ」みたいに言われるのも良いようで悪くもある。それほど仕事一辺倒の人間は、場合によっては妬まれるだろうし、いっぽうで「手の遅いやつ」と言われてもしかたがない。だからこそ、一辺倒ではない自分の割り切りを自らの中で形成していたのだ。それが自分のやり方だと主張できるように・・・。

 そんな曲げない主張は、時には敵もたくさん作った。いや、今もそれは変わらず、敵はたくさんいる。だから、何を言われようと、あまり気にはならなくなった。もちろん20代のころは違った。こんなにがんばっているのに、という自負心のようなものがあって、裏でいろいろ言われるのは気に入らなくなる。モノにあたることもよくあったものだ。新入社員として初めて宿泊の研修があった際、懇親会の席で兄と同い年の同期と取っ組み合いのけんかをして顔を覚えられた。忘年会の席上で陰口を言われてその場にあった消火器を投げつけて暴れたこともあった。ついでにそのまま旅館を後にして、飯田まで約25キロを歩いた。そんなことは何度もある。そんな陰口に対しての怒りを、「なぜなんだ」と繰り返していたが、今やそんな陰口などなんとも思わなくなった。年老いたこともあるだろうが、自らの力の無さと、今更その道を変えることも必要ないほど生きてきたと解っているからだ。

 席上「自分には厳しく人には甘い」などと言われる。それもわたしへの評価の一般論かもしれない。このごろの人たちは、「俺の背中を見ろ」と言ってもそこからは意図したものを汲み取ってくれるとは限らない。そして言葉で説明したとしても、真意を理解しているとは限らない。「このごろ」というのも適正ではないかもしれない。思い込みしていてはいけないから、確認をとると理解していないと気がつく。かつての自分はそうしたことが解っていなかったのかもしれない。先へ先へと読もうとするから、解ったようなつもりになっていただけ。そこへゆくとこれもまた年老いたせいか、最近は立ち止まることが多くなった。「本当にこれでよいの」と。それが「このごろ」という印象につながっている。会議の中でわたしとやりあった上司は、わたしとは同期である。同期であるという事実も、どこかでわたしを自由な物言いにさせてくれる。見渡せば、みなわたしより後に入社した人ばかりだ。年齢が上の人もたくさんいるのにだ。その通り、みな大学を出てきたのに、そんななかにぽつんと高卒のわたしがいた。そんな入社時代だった。今は退社したが、同じ空間で働いた女性は、こんなことを言った。「大学卒業だろうがなんだろうが負けないと思ってるからね」とわたしのことを評した。実はこれはほめ言葉ではないのだ。その裏を返す戒めのような言葉なのだ。その女性も強い人だった。大学を出て仕事についき、そして結婚もした。しかし、結婚の破綻を期に、いやそれ以前からすでに自らの人生に破綻を感じていたのかもしれないが、どこかさめた見方をしていた。そんな彼女の言葉は、実に奥めいたものがあった。そんな人の言葉から、奥の深さを感じ取りながら、本意を汲み取る、また理解してもらうためにも意図ありげな言葉はよく繰り返し確認をとるべきだと思うようになった。

 やはり席上、かつてのわたしとを対比して「丸くなった」という言葉が出る。これもわたしを評す一般論でもある。今しか知らない若者は、そんな言葉を聞いて唖然とする。「これで丸いの」と。いまだ自らは変わらないと思いながら、実は人を見る目が変化して「丸く」なったと印象を与える。さまざまだと思うし、人はだから生きるのだ、ということを教えてくれる場面だ。サラリーマン時代の有益な効果は、人との接触だと思っている。農業主体時代にはなかったものである。しかし、そうした接触が好まれなくなったら、その効果を自ら捨てたということにもなる。ネット時代へと入り、どこかそうした傾向が見え隠れして、そんな部分が「このごろ」と思わせるまた要因なのかもしれない。
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