Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人間を守ることが第一義

2007-12-04 12:15:35 | 自然から学ぶ
 長野県政タイムス11/25「マルチシンク」は「人間を守ることを第一義に」と述べている。イノシシ、ニホンザル、ニホンジカ、カモシカ、ツキノワグマなどなど野生鳥獣の被害は深刻という。県の算定では16億円の被害ともいうが、マルチシンクの中でも述べられているように、被害が風水害のように一時的なものなら生産への継続はあるが、獣害のようなものは毎回というぐあいに連続するから、生産者の意欲を奪うことになる。ただでさえ高齢者ばかりになった山間地域において、こうした被害は、ますます耕地の荒廃化、そして集落の消滅へ突き進むことになる。

 県はこうした被害への対応として、県野生鳥獣被害対策本部を設置して今後5年以内に、被害集落すべてに対して防除対策・捕獲対策・生息環境対策・ジビエ振興対策を柱とする対策計画を策定するという。マルチシンク筆者は、そうした対策の流れを歓迎し、冒頭の見出しのように「何をおいても、いついかなる時でも人間を守ることを第一義とすることを貫かなければならない」という。共生とか自然保護とか、現代の流れの中でそれを理解できたとしても、人々の暮らしが最優先だというものだ。かならずこうした意見には反論が出るだろう。しかしながら行政という立場で両者を立てていては、現実の暮らしは奪われてしまう。だからこそ「人間重視」という意見を全面に出した意見である。

 人間社会と動物たちとの付き合いは、今に始まったことではない。長い歴史をもっていてそれぞれの関係が成り立っていよう。それでも動物たちが人間と共に生きられなくなったのは、それもまた人間の仕業ではあるが、その背景に対しての研究は立ち遅れたといってもいいのだろうか。いや、動物と人間という関係を推定していくなかで、人間社会の変化、そして環境の変化は早く、また大きかったという証しなのだろう。そして動物たちは人間が自分たちに対して意外に甘いということを知ったのかもしれない。殺すことは簡単でもその簡単なことは最終手段だと認識しているかもしれない。現実的な話として、山と耕作地の境界域では、その被害が著しく、毎日のように獣との戦いとなる。人家があってもやってくる獣たち。なければわがままし放題の状態で、電気柵が有効手段と言われているが、ただでさえ収入の少ない環境にあって、こうした策はその設備費と収入の天秤がけとなる。策が講じられた耕作地とそうでない耕作地には格差が生じ、アンバランスな空間は増殖してゆく。これもまた果てしない日の当たらない戦いである。それは、これほど被害が現実的であっても世論にあがらないほど、限られた空間の問題だということを指し示している。
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