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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

老人クラブの行方

2007-12-25 12:20:29 | ひとから学ぶ
 長野県民俗の会次期例会の企画のために、地元の年配の方の家を訪れた。企画している行事見学の下調べなのだが、その行事を担っているのは老人クラブの人たちである。実はこの行事、戦前から約30年にわたって中止されていたものを、老人クラブの人たちが、かつての行事の記憶をたどりながら復活させたものである。ところがその行事を中止前に担っていたのは若者たちだった。若者たちが担っていただけに、今では厄神除けというイメージが行事にあるが、違う意図のようなものもあったのだろう。若者と老人という対照的な行事の担い手に変化しているが、その担い手がこれから先どうまた変化していくか、注目されるところでもある。祭りも含めて、行事の担い手がかつては若者であった例は多い。いや、今も継続されている行事をピックアップしていくとほとんどが若者のものであったのかもしれない。

 ところで、老人クラブの存在も珍しくなっている。わたしの住む地域にも老人クラブなるものはすでにない。まとまりのない地域ほど早くにその存在をなくしていった。町の中にたくさんの集落があるというのに、現在の老人クラブの数は14クラブ(に一つ結成できないところは、複数で一つのクラブを結成している)のみである。わたしの住む地域には集落が10以上あるが、老人クラブは一つだけ。いかに「老人」という名の集団が成り立たなくなっているかがわかる。わたしが思うのは、既成の老人クラブというイメージ、そしてその多用な関わり方が固定化されていて参加し難いというものがあるに違いない。「老人憲章」のもと、奉仕活動に始まり、公共の行事に参加してきた老人クラブの役割は、どう考えても高齢者の交流という場を越えているようにみえる。体が不自由な人たちにはとても参加できないし、歴史を育んできたものへの心意気みたいなものを語る人もけしていないとは言えず、自由に欠けるという印象も否めない。定期総会の資料を見せていただいたが、研修会の数、そして協力活動という名の下にさまざまな行事に参加している。これではとても役員でも仰せつかったら大変なことになる。

 老人クラブの会員になれるのは60歳以上という。お話しをうかがった男性は、「まだ若いから10年後に」といって、70歳のころ入会したという。それ以後自分より若い人たちはほとんど入ってこないという。正直いって総会の資料を見る限り、いったいこの集団は何のためにあるんだろうと思わずにはいられない。小中学校の入学式に始まり卒業式、社会福祉協議会行事への参加、明るい選挙のための街頭啓発活動、ゴミゼロ運動、赤十字奉仕団への参加、などなど町村議会議員などと変わらない活動である。もちろんそれらは役員が中心的に関わるものであって、すべての会員に求められるものではないが、決められた会議や行事への参加のために会が結成されているようで、このような会に誰が参加を求めているのだろう。もし行政だとしたならば、こういう負担からはずしてゆかなくては、この会の将来は自ずと見えてしまう。

 「老人」という名称についてわたしが触れると、確かによそのクラブでは「老人」をはずした通称のようなものを設けている会もあるが、名前を変えたからといって「老人」憲章という名の下に活動していれば、「老人」から逃れられるものでもないという。そして名前を変えたからといって参加者が増えるというものでもないともいう。かつて飯田下伊那地域で多くの老人クラブをまとめていた「飯伊」老人クラブ連合会が、飯田市が抜けて「下伊那郡」老人クラブ連合会になっているという。確かにこうした決まりごとに負担を強いられる組織に思うところはあるだろうが、だからこそ、会の意義というものを改めて指摘するべきではなかったのだろうか。「なぜ飯田市は抜けたのか」と思ったが、それが得策と思ったのだろう。しかし、小さな地域の人々にとっては交流の場としての他地域との連携は、気持ちの上で欠かせないものであったことも事実だろう。長い歴史を育んできた老人クラブも、風前の灯というところなのかもしれない。とすれば、老人クラブが担っているこうした行事は、誰が引き継いでいくものなのか、また課題が浮かんでくるわけである。地域社会の病、そんな症状を誰が診てくれるものでもないが、この事実はこと高齢者だけの課題ではないのではないかという印象を受ける。
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