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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

死に支度を考える④

2007-12-22 17:23:22 | 民俗学
④いつまでも残る遺骨

 供養する者がいなくなれば、墓も朽ち果てていく。継続しなくなった親子関係ともいえるだろうが、この世の中では家関係に至っては親子関係以上に衰退している。したがってモノを残す必要性もないから墓地も墓石も必要ない、という考えが生まれてくるわけだが、そうした時代でも遺骨に対する意識が高い場面をみる。国立歴史民俗博物館で平成13年に開催された第36回歴博フォーラムにおいて、「葬儀と墓の行方」という討論がおこなわれた。このなかで「遺骨へのこだわり」について議論されている。とくに戦没者や遭難死者へのこだわりは強く、何年経過していようと、遺骨を探し出したいという気持ちが遺族には強い。このことについて司会を務めた新谷尚紀氏は、葬儀の完了のために遺骨にこだわっているものだと説明している。したがって一般的なケースの遺骨認識とは異なるということになる。

 確かに戦死あるいは不慮の事故で亡くなった場合、〝亡くなった〟という現実を確認する意味で遺骨に限らず遺品などが必要となる。これは〝葬儀の完了〟というよりもその人にとっての〝死の完了〟ともいえるだろう。そんななかで遺骨に対してこだわりが生まれる。

 これほど遺骨に対して意識するようになったのは、戦死者に対する遺骨意識が始まりなのかもしれない。明治以降の近代日本において、現代の元となる基本的な家族関係や社会組織というものが形成されただろう。そうした安定成長期ともいえる時代に起きた戦争という望まなかった死の場面は、人々に悲しみを与えたことは確かなはずである。まさに過渡期ともいえる一時代と今思えば見える。望まなかった「死」をどう家族が消化するか、そうした場面において遺骨が必要と思われたのはごく自然なことのように思う。ところが、現代においては家族はそのまま永遠であるという意識は持てなくなった。例をあげれば親殺し子殺しはもちろんだが、離婚率の高さ、たとえ離婚せずとも子どもたちが親元から離れて決別に近い関係になることは珍しくない。地方にいたっては、どれほど大きな家があろうと、継ぐべき子どもが家を見放すケースはざらである。そうした関係の中で、果たして遺骨に対する意識はどうだろう。不慮の事故死は望まれての死ではない。だからこそ、愛しい。しかし、死を望まれた場合は問題外として、望まれていなくとも、普通に死を迎えるケースが、どれほどの悲しみをもたらすかはケーイバイケースである。このあたりの意識は、自らが世の中をさめてみている証なのだろうか。それとも年老いたせいなのだろうか。子どものころ、祖父母が亡くなった際のような肉親への強い思い入れがどうも浮かばない。

○どこの墓に入る?
 妻と墓の話を始める以前に、かつての墓は家ごとに埋葬されていたこともあって、「あんたの家の墓には入らない」とも言った。認識不足なのかそれとも地域性なのかわからないが、生家の墓に家を継ぐ立場ではなかったわたしも死ねば入れるのだと子どものころは思っていた。祖父が分家した生家は、叔母か戦時中に亡くなり、本家の墓地の空き空間に土葬されていた。まだ墓石もなく、こんもりした山が墓だということを、子どものころ祖母とともに墓参りに行っては聞いたものである。盆といえば、我が家にとってはそこから仏様を迎えていたのである。そして、祖母の亡くなったあとか(祖母が祖父より先に亡くなった)、それとも前かはよく記憶にないが、祖父がお金を出して、そのこんもりした山のところに墓石を建てたのである。その墓地の名義が本家のものか、分筆されて生家のものになっているかは聞いていないが、墓石を別に造ったとしても、本家と同じ空間に埋葬されるものなのだと認識していた。ところが、結婚してしばらくすると、母が「おまえも墓を見つけなけりゃ」と言ったのである。そのとき初めて、「同じ墓地には入れない」こと知ったのである。しかし、よく考えてみると、おそらくそれまでの墓は、分家も本家もそう遠くない場所(隣接地)、あるいは同じ空間に墓地を設けたのではないだろうか。にもかかわらず、墓地を見つけなければならなくなったのは、どういうことなのだろう。かつて山間の土地の狭い地域では、分家に出せないということを言ったものである。ようは自らの土地を分け与えて分家させても、どちらも零細な農家になってしまって生計が立たないことになる。それを回避するには養子に出したり、奉公に出したりしてなるべく本家には迷惑を掛けない方法を見出したのである。兄弟がたくさんいても、長子以外はみな遠くへ出る、そんな時代だった。そうして出て行った先で、叔父や叔母がどういう墓に入るのかは解らない。墓というもののあり方、考え方が家ごとどう捉えられているのか、意外にもよくわからないのだ。

 こうした現実を踏まえると、やはり遺骨を残す必要性が見えてこない。火葬になるとともに、そして現代の墓石(墓石の下に納骨場所を設けたもの)が登場して以来、遺骨を納める明確な場所が誕生した。土葬であった時代には、遺体さら土の中であるから、そのまま遺骨も含めて限りなく土に返っていく。しかし、現在の埋葬方法では、遺骨はいつまでも残ることになる。古墳時代の有力者ではないごく普通の人々の遺骨が、いつまでも形として残るのだ。果たしてこうした遺骨の処理方法はいかなるものなのだろう。

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