Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

飯田線よもやま話②

2007-12-16 20:10:48 | 歴史から学ぶ
 昭和52年に信濃毎日新聞で連載された「飯田線よもやま話」からの話題、その②である。

 それにしても、当時の新聞の字の小ささは見事である。現在の新聞の字が10ポイント程度だとしたら、当時の字は6ポイントかそれ以下というほどだ。昔の人たちも老眼鏡というものをかけてはいたが、それにしても当時の新聞は、とても年寄には苦痛な大きさだったに違いない。それでもそんな新聞を食い入るように読んでいた祖父の姿を思い出す。そんな祖父と新聞の取り合いをしたものだ。

 同連載の第4回で取り上げられているのは、「短い駅間距離」というものだ。さきごろ息子が入院した際に、その病院に行くのに、どの駅が最寄りになるのか、などということに触れた。病院を巻き込むように走る飯田線の駅からみると、病院との距離の長短はあるものの、到着時間が同時ではないから、どの駅も同じくらいの病院到着時間となる。そのなかでどう選択するかということになるが、それほど電車を利用して病院へ通う人はいないはずである。記事では伊那北高校の生徒が、最寄りの駅である伊那北駅に間に合わなかったら、伊那市駅に走れば間に合うという話しで始まる。伊那北駅16時46分発上り電車、伊那市駅の発車は16時54分である。その差8分の世界なのだが、その8分で乗り遅れた場合は伊那市駅まで走れば間に合うというものだ。駅間距離は約900メートル。それほど足の速い人でなくとも十分の時間だという。行き違いのための停車時間が長いケースなら、かなり離れている駅でも走りに自信があれば間に合うということになる。現実的にそういうケースを体感するのは高校生に限られるかもしれないが、わが家でも最寄りの駅に間に合わないとなれば、ひとつ先の駅まで息子を車で送っていくなんていうことは頻繁にある。それほど電車の進行は早くないということなのだが、それが客離れをした要因にもなっている。とはいえ、渋滞している道路も早いとはなかなかいえず、わたしが電車に頼るようになった要因も、ガソリン代の高騰ではなく、電車と変わらない速度にあった。それほど変わらないのなら電車の方が楽であり、寄り道ができないという欠点はあるものの、現実的にそう思っていても寄り道することはほとんどなく、またもし寄り道をしたとしてもほとんどが無駄な暇つぶし的なものになっていた。

 話しがそれたが、生活者重視としたら、駅は多くあればあるほどに利用しやすい。そんな駅間900メートルの伊那北―伊那市駅間であるが、実はこの駅間にかつてはもうひとつ駅があったという。「入船」という駅で、伊那市駅から300メートルのところにあったという。飯田線に統合される前の伊那電気鉄度時代のことというから、知っている人はもう少ない。昭和18年に廃止された駅という。当時はマチの中心がこの入船あたりにあったようで、昇降客はもっとも多かったという。マチが入船から南へ移るにしたがい、現在の伊那市駅周辺が中心市街地に変わっていったようだ。

 さて、飯田線の駅間が特別短いというわけではないだろう。現在飯田線でもっとも駅間が短いのは、旧佐久間町の出馬(いずんま)駅と上市場駅間といい、その距離は600メートルという。全国的にみるともっと短い駅間があって、第3セクターの松浦鉄道、「佐世保中央」~「中佐世保」間は200メートルという。ちなみに飯田線の駅間最長区間は、旧佐久間町の北隣にある旧水窪の水窪駅~大嵐駅間6.5kmである。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****