このブログで1月9日の記事「宮古湾の津波防災はどうあるべきか?」にこのように書いた。
閉伊川河口水門は、津波に対する効果への疑問、自動開閉の信頼性、消防団など人的危険、なによりも繋留漁船や自動車などの通行問題等から見て現実性はない。津軽石川水門、田老防潮堤の実態をよくよく考えなければ、それが鍬ヶ崎地区の施設でないからといって簡単に見過ごすことは出来ないのだ。…
追って「asahi.com 岩手」に次の記事がのった。(1/18、写真とも)
見出し:県の水門案に猛反発 宮古市議会
県宮古市中心部の閉伊川河口部に津波対策の水門を設置する県の計画に、同市議会が猛反発している。水門が逆に被害を広げる危険性があるとして、議会は市とともに堤防のかさ上げを求めていた。17日の市議会復興対策特別委員会では、最近になって県に同意した市の判断にも批判が集中、紛糾した。31日に全員協議会を開き、県の担当を呼んで事情を聴く。
閉伊川は河口部の堤防が高さ5.26メートルしかない。津波はその2倍の高さがあったとみられ、市役所周辺が大きく浸水した。
県は当初から水門で津波の遡上(そ・じょう)を防ぐ案を出していたが、同市内の津軽石川や田代川では、水門で跳ね返った津波で被害が別方向に広がっており、「水門さえなかったら……」と地域の反発が強い。市議会は昨年9月まとめた復興計画の提言で、閉伊川では、堤防のかさ上げを検討するように市に要請。津軽石川の水門開放も明記した。
田中尚委員長は「自然のエネルギーは水門で防ぐよりも上流へ逃がした方がいい」と話す。市も同調していた。現在、大詰めの地域住民による復興まちづくりの検討会も堤防のかさ上げが前提になっていた。
しかし、国の予算査定に合わせ、県は市に浸水シミュレーションを示し、昨年12月に同意を迫った。
災害復旧は過去2番目の明治三陸津波(1896年)の高さを基準とするのが国の方針で、国費による堤防のかさ上げは河口から上流方向に約1キロ上る宮古大橋付近までしかできない。しかし、今回級の津波だと、津波はさらに上流にさかのぼり、新たに約20ヘクタールが被害を受けるという。宮古大橋などの落橋危険性もあり、市は水門設置案を受け入れた。
県河川課によると、水門設置費は約170億円。宮古大橋までの堤防のかさ上げの方が高いという。
この日の特別委員会では水門を設置した場合、川岸に係留する漁船の往来への影響、地震で水門が自動閉門した際に上流からの水があふれる危険性――なども指摘された。シミュレーションの精度にも疑問があり、市議会は31日の説明後、市に同意撤回を求めるかどうかを協議する。(了)
──岩手県庁の間違ったやまご的発想や県の言いなりの宮古市当局をじゅんじゅんに正していかねばならない。宮古市議会がその突破口になってほしいと願う。1/30の市議会には鍬ヶ崎を初めとする沿岸地区の人が大勢で市議会を傍聴する事を期待する。やまごはシミュレーションをよくいうが信用してはならない。シミュレーションは結論ではなく永遠の仮設にすぎない。入力データを質すべきである。彼らは間違ったデータを入れて正しい結論のようにいう。
各被災地の復興計画の目玉は「高台移転と防波堤の再構築」です。そして昭和三陸津波(1933年)時と同じ議論をし、同じ失敗を繰り返そうとしています。やはり「未来より今」「夢より現状」「他者より自己」を選び、政治家、官僚、行政による「無責任」「他人事」の計画によって、悲劇は再び繰り返されようとしています。
当然、当事者は「被災者」です。しかし、被害者といえば日本及び全国民なのです。なぜなら復興資金は全国民の「税金」であり、経済的損失は日本国家の損失です。だからこそ「3.11復興計画」に対しては被災地域住民の利害を越えて全日本国民の問題として参画し、多くの日本人の叡智を結集して復興をなしとげなければならないのです。仮に3.11震災復興が中途半端に終わり、失敗するようなら日本の未来は閉ざされてしまいます。
今、少子高齢化の世にあっても、次世代を担う子供たちは成長していきます。その子供たちが大人になったとき「なーんだ、震災の時代の大人たちはダメだなー」と言われないためにも、次世代にたいして悔いのない復興を成し遂げなければなりません。意見の違いや利害関係を乗り越え、多くの意見を聞き、「すばらしいまち」を創りあげることが現世代の責任であり、慎重に検討し復興計画を十分に練り上げことが重要であり、今は焦ることはありません。もし復興に時間がかかって「転居者」が一時的に増えたとしても、故郷に「すばらしいまち」ができれば、かならず「若い人」が戻ってきます。そのために多くの被災者、被災地域住民の議論と検討と情熱と「新たな発想」が必要だと思います。