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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

いよいよ防潮堤の議論

2014年07月24日 | 鍬ヶ崎の防潮堤を考える会

防潮堤見直しの時機到来

 

十分に説明を受けず、理解のための議論も行われず、地域住民の結論的なコンセンサスがないままに、専ら官主導の土木工事として建設だけがまえのめりに急がれてきた被災地の防潮堤。

景観や避難などのソフトに関する議論は中途半端というよりほとんど行わず、建造物としてのハードそのものも、単眼的無意味設計に固執して、国の予算の執行締め切りに追われて住民意向を無視続けてきた岩手県、そして沿岸自治体。

震災前の公共事業の反省能力なき再現、従ってくるべき津波に対しては、あらかじめ「想定外」を想定せざるを得ない、どこから見ても情けない県土整備部の設計する防潮堤。ほとんど国家的お荷物に堕落するのではないかという識者の集中攻撃。今や常識。

しかしながら、そのような状況の創出は当の地域住民の思考停止、行政依存、発言の自己規制、共生力、協力力の出し惜しみにも同時に起因している

3.11から3年以上経過したとはいえ、行政と住民の防潮堤を巡るこの負の構造は変わっていない。まさしく時間が解決するものではなかった。むしろ3年後の今頃になって、特に国の、政府の要人の中から「見直し」発言が聞かれるようになって、地域住民の出し惜しみが解消され、本来の本音が発露されてきた感がある。鶏が先きか卵が先きかは分からないが、ここに来て防潮堤が根本的に見直されなければならない、決して遅くはない、旬の時期であることはわかる。

 

宮古市鍬ヶ崎地区でいよいよ防潮堤の勉強会


わが鍬ヶ崎地区においても防潮堤の勉強会が始まる。これまでも防潮堤の事は地域住民の念頭から消える事はなかったが、その賛否はもちろん、修正意見、安心、不安、そして効果の是非など、内面的に考える事があっても議論、発言する事はなかったようにおもわれる。地域としては震災直後から「まちづくり検討会」等で常に議題にはあがっていたが、行政の表面的説明が流されるだけであった。その後、役割が終わったと思えば行政もさっさと手を引き「委員会」自体も孤立、取り立てて活動をする事もなく、今に存続しているという事を知らない住民も多い。

有志による準備会であり、初めての勉強会であるが、下の写真のチラシのとおり「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」が実質的に発足する。少しでも実のある議論が交わされる事を期待したい。小さな波紋であっても、時節柄、波紋は大きく広がっていくであろう事を。



 7/27の勉強会を呼びかけるチラシ









 

 

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