名古屋市のNさんから写真が送られてきた。気にしていた宮古市の津波関係の「いしぶみ(石碑)」の写真を、昨秋、宮古に帰ったとき撮影した、とあった。宮古市鍬ヶ崎出身。高校は宮古水産高校で自転車で鍬ヶ崎から通ったという。
アイオン台風災害復旧工事記念碑(藤原)
写真 1
昨年は45線沿いの藤原の民家にアイオン・キティ両台風の水位を示す標印があった。運転席からの目線で1メートル以上の水位だったと思うがカメラをもって訪ねた今年は建物がなく更地になっていた。写真は宮古橋を藤原に渡り終えた場所にある「府縣河川堤防護岸アイオン台風災害復旧工事記念」碑。
石崎鼻の石碑(1)明治39年「三陸大海嘯(つなみ)横死」碑
写真2
藤原と磯鶏を結ぶ狭隘地の一本道の境界が石崎鼻。写真はそこの常安寺藤原分院にある石碑(施主:藤原若方とある)。
石崎鼻の石碑(2)(1)と共にある明治39年の津波記念碑
写真 3 地震があったら山に逃げるように記されている。
石崎鼻の石碑(3)明治39年「海嘯記念碑」
写真 4
石崎鼻の石碑(4)昭和8年「大海嘯記念碑」
写真 5
石崎鼻の石碑(5)年代不詳の犠牲者供養塚
写真 6
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