シミュレーションの検証が急がれる 史上2番目の宮古湾津波の高さに抗して防潮堤を10.4メートルの高さにしたら、鍬ヶ崎地区は今次規模の津波でも浸水0(ゼロ)のシミュレーション結果がでたという。わたりに船と宮古市はそれについては何一つ追加試験や検証実験を行わずに、この一度きりのシミュレーションを何度もなんども振りかざしている。一般の宮古市民や議会にも、そのデータについて、方法についてちゃんと説明したとは聞いていない。どこのコンピュータで誰が計算したのかなど周辺情報についても説明したことがないという徹底ぶりだ。主に鍬ヶ崎地区の住宅の現地再建、区画整理事業の口実のために利用しているにすぎないからだ。シミュレーションは識者を頼んでも十分な検証、十分な説明をするべきものなのだ。
完成度の低い完成図 地元住民に示したシミュレーション図がことごとく間違っておりごまかしであることはこのブログで先に示している(=鍬ヶ崎浸水シミュレーションの不実)。この完成図はその完成度の低いシミュレーションを基にした完成図である。2番目対策でなぜ1番目の津波を防ぐことができるのか説明されていない普通の絵になっている。シミュレーションやシミュレーションの仕方に間違いがあるのでは? と考えざるを得ない。生きるか死ぬか住めるか住めないかに関わるシミュレーションである。どんなものか誰でも正しく知る権利がある。
シミュレーション図は2011年から12年に数回にわたって
鍬ヶ崎地区住民に示された (この図は最終図)。
最初は、防潮堤がないとこのように危険だということを
言いたくて鍬ヶ崎に津波が色濃く浸水している図面を公
表した。その後、行政は高台移転でなく住宅の現地再建
を決めてシミュレーション図を「ちょっぴりしか」浸水
しないものに変え、防潮堤があれば現地再建が可能だと
PRした。しかしその「ちょぴっと」浸水も不満だったよ
うで、わざわざその図を「誤」図として最終的に浸水ゼ
ロの図を「正」図として示している。──<鍬ヶ崎浸水シ
ミュレーションの不実>にはその推移を詳しく書いてい
る。
防潮堤の高さ 閉伊川水門からの逆流、対岸月山からの反射波、湾奥から北進する戻り波、それらの複合波にこの防潮堤が抗することができるとは思えない。第一に、この防潮堤は何度にもわたって押し寄せる合体波の越流を防ぐことができるのか? とりあえず今次津波の鍬ヶ崎地区へのあの流入量・殺到スピードをもって、それをわれわれの経験値として判断しなければならない。浸水深に関係する越流は、それが30センチ、50センチ、1メートル、2メートル…、の浸水であっても人の命を奪う凶器になることは3.11今次災害の広く知られた教訓である。それに蛸の浜を超えてくる越流が加わる。どんな深さであれ津波に足を取られることは必ず命に関わることであって、ぜったい避けなければならないということである。建物などがつかるのは仕方がない事だが…
防潮堤の強さ 第二に、防潮堤の強度は合体波の力に抗することができるのか? 改めて強度シミュレーションをするべきであリ、新規の防潮堤であればこそ義務として地元住民にはもちろん、一般宮古市民にも設計強度のすべては示すべきものである。この完成図からは防潮堤の強度が伝わってこない。津波の破壊力は必ずしも津波の高さに比例するものではない。水平線が見えない鍬ヶ崎地区の海岸の地勢は田老地区や重茂地区、また普代村のように外洋からの津波の直撃を受けないように思われているが、ある角度では、直撃波がないとは言えない、また上記した閉伊川水門からの逆流、月山からの反射波、湾奥からの戻り波が、それぞれに、あるいは合体して直撃波になる可能性は十分にある。押し寄せる津波の破壊力がダイレクトに防潮堤を撃った時どのくらいの力が防潮堤を圧するのか想像ができない。常識的な(!)防潮堤はあっけなく破壊されるであろう。そこから流れ込んでくる海水の量とスピードは越流・溢流とは比較にならない破壊力を持ち、人間にとってはより凶暴に致命的なものとなる。
住民の流出が止まらない 以上の事に納得できないと鍬ヶ崎からの住民の流出は止まらないだろう。逆に、げんざい流出が止まらないということはシミュレーションにも完成図にも防潮堤にも住民の信頼がないということだ。多少とも客観的であるはずのシミュレーションを政治的に、あるいは勝手に並べ立てては住民の信頼は得られない。行政の責任だと言いたい。そうでなくても、もともと仮説であるシミュレーションに自分と家族の生活をまかせる事はできないのだ。誰でも不安な夜は過ごしたくないからだ。たしかにいざとう時は避難する自信はある。自分にはある。子供や嫁さんや親も説得していくしかない、しかし海はすぐそこだし防潮堤への信頼感は完全ではない。となれば、高台移転かここを出て行くしかない。鍬ヶ崎地区の空洞化は宮古市民が負うべき取り返しのきかない大きな債務となりかねない。
☆
鍬ヶ崎地区復興まちづくりの根幹をなすものは次の三本の柱である。私はこのブログに何度も同じことを書いてきたが、繰り返す──
※赤字は今回追記したもの
(1)鍬ヶ崎地区復興まちづくりは高台移転によってまず住まいと生活を安定させる事である。高台移転が、集団移転になるか、小規模集団への分散になるか、また、必ずしも高地でなくても平地でも、要は、希望する人の安心・安全の住まいを確保する事が先決である。政府支援の、経済的にも最も有利な、防災集団移転促進事業(防集)による高台移転が進んでいない。国のせいではなく地区所管自治体のせいである。鍬ヶ崎だけではない多くの市町村でもその現実に直面して出口をさぐっている。──行政はあらためて防集を決断して、全市のデベロッパー、不動産業者、地権者、被災者を総動員して最適土地の候補選択を始めるべきである。また高台移転希望者は(もちろんオール鍬ヶ崎/オール宮古でという意味だが)、若手を中心にしてあるべきコミュニティの青図計画の作成に着手するべきである。いかに鍬ヶ崎が分散しようとも、将来にわたってあるべきコミュニティは残るからである。
(2)災害跡地は、全域、経済特区として、漁業、観光、製造業、商業、サービス業など鍬ヶ崎の産業復興の特別地区とするべきである。鍬ヶ崎人が現地で主体的に知恵を絞って起業する事が理想である。行政も集中的にそれを支援、援助する。復旧企業、再建企業もあるし、新規起業もある。地区の個人、共同での起業、また地区外からの企業誘致や、企業進出も大いに歓迎することになる。職住分離の鍬ヶ崎地区の「産業まちづくり」の太い柱になるのでなければならない。高台移転希望者の土地は宮古市が希望全面積を買い上げ、産業まちづくのために適正配分する事になる。
(3)鍬ヶ崎旧地区の津波防災は、龍神崎堤防、出崎ふ頭、鍬ヶ崎赤灯堤防、鍬ヶ崎港ぐるりの岸壁、の既存港湾施設のT.P.3~5mクラスの堅牢化と相互連携そして閉伊川水門の中止をもって達成する。今はディレクター不在でばらばらであるがこれら施設がまとまって津波に当たれば津波の力の大半を殺(そ)ぎ、回避する事が出来る。必要ならそれを補完する最小限規模の防潮堤の新規建造もあるかもしれない。その場合も、鍬ヶ崎地区の事業用建築基準と避難ファシリティによって防潮堤からの越流もある程度容認する事になる。(その意味は後述するが、防潮堤は決してそれを自己目的にして計画してはならない)。避難ファシリティとは従業員や店員などの産業従事者、地元内外からの買い物客、遠来の観光客等を一人残らず地震発生10分以内に高台避難させるハード・ソフトの確かな存在である。
3.11から既に2年と1ヶ月が過ぎた被災地の現実は、復興しているのか、していないのか解らない状況です。
建設関係に従事している私の周りでは「復興事業」により、東北の建設能力の限界のなかで復興施設を作っているのが現状です。当然、資材不足、労働者不足です。
高台移転事業も暗礁に乗り上げているようです。
土地不足、合意不足、計画不足、そして行政の力不足が表面化しています。
「高台移転によってまず住まいと生活を安定させる事である」ことは重要ですが「高台移転」が東北の地方の住民の「生活を安定させる事」になるのかは疑問です。私の心配事は、将来の人口減少による「縮小社会」に対して「どの様な未来像を描けるのか?」です。
目先の政策(高台移転、防潮堤、産業再生など)だけで、地方都市のグランドデザインの視点の深化した発想に欠けていることにあると思います。
全てが縮小していく今後100年先の未来として、どの様な鍬ヶ崎地区をめざすのでしょうか。
想像力と創造力が必要です。