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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

列島汚染爆発と紙一重(7)

2022年08月13日 | 社会

そこに迫っている原子力爆発
(7

 

青森・六ケ所村

 

専門家も評論家もみんなボケている。青森・六ヶ所村で起こった原燃の背任ミス(7/2)。専門家も評論家も、マスコミも、自治体も、国も、当の原燃(日本原燃株式会社)自体も、事態を軽視している。この圧力感のない同調圧力強要は一層深刻だ!

こんなことやって何になる?

電源喪失仮定で放水訓練する原燃社員。
デーリー東北(2022.2.18)

 


1、<三陸の海 岩手の会>は8月5日、東北・北海道の他の7市民団体と連名で日本原燃増田社長への抗議・質問状提出行動を行った。抗議質問状の内容はこのブログでも既報の通りで、回答は9月5日と指定している。

事件発生は7月2日、7月3日には全国に報道された。それから日本電源への抗議行動は一ヶ月も後になった。抗議行動はいかにも遅すぎるように思う。

世話人代表名ででも7月3日には電話、電報、何らかのラインで抗議するべきであった。同時に盛岡市街地での抗議デモ行動を行うべきでなかったか。盛岡にとどまるべきではないが…

 

2、抗議文のこの部分は何としても直ちに一般市民に伝達するべきだ。いや、水平思考の原則に準ずれば、日本電源への抗議に先んじて、一般市民への伝達を優先するべきだ。一般市民へは真っ先に以下のような内容の六ヶ所村工場の爆発事態の発生の警鐘と警告となる。それは

 

「(「六ヶ所村日本原燃再処理工場で重大事故が発生しました。市民の皆さんの爆発警戒と避難確認を警告します」というもの。強く広く不測の事態を訴えることである。)」

 

「 今回の事故は⾼レベル廃液貯槽の冷却喪失事故であり、蒸発乾固すると爆発する 可能性が⼤きく恐怖感が募ります。このような危険な廃液を含む工場内の貯槽の⼆つの冷却系の⼀つが ⼯事で休⽌しているなか、残りの冷却系が⼈為ミスで8時間もの間冷却が完全に停⽌していたものです。当然温度上昇の現象がありました。日本原燃に対しての憤りを禁じえません。残り16時間で混合廃液が沸騰しはじめ、放射能が環境放出されることが想定されます。そして時間の経過とともに廃液は蒸発乾固します。乾固物には塩基や有機物等の爆発誘導錯体が形成されており爆発は必⾄です。爆発すると貯槽が破裂し、同じ冷却系統の6貯槽の冷却が不可能になり一層大きな爆発へと進⾏して行きます 」(抗議文より引用)

 

「(爆発はどんな爆発なのか、放射能の爆発とは=連鎖反応とは?物理的爆発力は=爆風や破壊力とは?)」

 

「(大爆発の規模は、大爆発の範囲は? 地勢による広がりのレベルは?)」

 

「(放射能はどんな強さでいつまで続く? 国内的に、世界的にどこまで広がる?)」(8/29追加分)

 

「(被災の回避は、避難・回避の方向性は?)」

 

以上のことは内容的に<三陸の海 岩手の会>にしか掘り下げて深めることはできません(寡聞にして私の認識は only one だ、或いは one of them かもしれないが…)。それはこれからもしっかり学習または戦い取っていかなければならないことである垂直思考)。同時に水平思考として、<三陸の海 岩手の会>は、いわば身命を賭して以上のことを一般市民を対象に伝達、表現していかなければなければならないだろう。手段としては文字表現・文字伝達のほか、チラシなど紙媒体、電波媒体、SNSなど、文字でも絵でも音声でも映像でも、誰でもわかる表現を模索していかなければならない。分業でも、外注でも、下手でも上手でも、このことは成し遂げていかなければならない。しんどい作業であるが、豊富に誰にでも分りやすくということだ。

注意)垂直思考がそのまま表現や伝達などの水平思考の領分に移ることはない。同じテーマを扱ってもそれぞれ分野も違い、作業や勉強も別々に始まり展開される。

 

3、最近の<三陸の海 岩手の会>の通常例会の中で「(日本原燃は)事故の重大性について、或は爆発の危険性に関する知識や危機感をもっていないのではないのか、理解できる人材がいないのではないのか? との危惧が指摘された」とメーリングリストにあった。恐ろしくも、指摘は正鵠を射ている!! 考えて言ったのではなくひらめきで言ったのだろう。こんなことは考えて言えるものではない。

冒頭の新聞記事の写真に見るように日本原燃は「知識」をもっていない。「理解できる人材」もいない。われわれ一般人から見ても非常識の塊(=かたまり。組織のための組織)である。それが危険な原子力を生(なま)で扱っているのだ! 変な言い方であるがそこはわれわれもしっかり諦めなければならない。

つまり、政治家の強権、事業者の改心、規制委員会のジャッジ──依存は諦めなければならないのではないのか?ということである。諦めは必要なことだ。9月5日の原燃からの回答に何を期待しているのか?! 果たして本当に実りある対話が続くのであろうか?見守るのは当然だが期待はできない。

しかし、原子力行政を正しく崩壊させるための次ステップのために、この抗議と回答、対話は当然必要なことだ。期待している

 

4、会としての本音であり屈折した率直性であろうが<三陸の海 岩手の会>の文書には「推測する」「明確にしてほしい」「可能性がある」が多い。全て控えめな立ち位置を表現している。決して過激な偏った結論ではないと言っているようだ。「われわれは素人でわからない」「予算もなく難しい」とする。

よく見ると原燃などの対事業者や規制委員会など専門家に対峙した時このような曖昧さが出てくる。更に言えば場面が高じてこれら専門家を論駁かつ説得する場面においてである。どうしたことであろうか? 議論で論駁すれば好転するとそこを目指しているはずなのに。団結して説得しよう、と…。垂直思考での論駁。相手の土俵での戦いの覚悟。そのような弁証法、倫理観

われわれ一般市民からすると会の立ち位置と説得・論駁行動は矛盾して見える。「推測する」「明確にしてほしい」「可能性がある」ではなく、それより、会の方の判断がはるかに優勢、はるかに正しいのになぜ会の判断、断言で土俵から押し切らないのかの苛立ちがある。水平思考からの感想

原子力爆発(ピカドン爆発の引き金、連鎖反応の物理的爆発、過酷放射能の拡散拡大など)の初動プロセスのシミュレーションに向かってほしい。住民避難に至るまでの全プロセスも必要だ。

水平思考から水平行動へ

 

 

<参考>

六ヶ所村もウクライナも同じだ!!

日本経済新聞(2022.8.5)

 

 

(8)につづく

 

 

 

 

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