宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

宮古市の選挙(5)背任

2014年05月24日 | どうなる復興計画

 

 

無投票はめでたい話ではない

 

 市会議員無投票選挙後、テレビ局のインタビューに「金もかからなくてかえってよかったのでは?」などと言ってる人がいた。その後あちこちでそのような照れ隠しというか自虐会話が多く聞かれた。…全国の被災地支援者が聞いたら怒るはずである…「そんな場合か」…

 

 これから向こう四年間、宮古市民は茨(いばら)の道を歩かなければならない。公約も所信も聞いた事がなく、性格も、決意も見識も分からない市長と市会議員にボーナスを含めた歳費と調査費など活動資金を向こう四年間支給し続けなければならず、市職員の給料を含めて市民の税金からお金が流れ出ていく。争点も課題もはっきりしない船出である。その中で税金のもとをとるという事は容易ではない。~宮古市の選挙(1)より~

 私は先に無投票選挙を「不祥事である」と書いた、めでたい話ではないと。それなのになぜ、宮古市民はあわてる様子もなく、苦笑の範囲に収めているのだろうか? 市民の間にもやもやした心の闇が存在すると言わざるを得ない。

 

上から下まで巨大な復興予算に目がくらんでいるのだ

 

 こんな選挙に平気でいられるのは宮古市に落ちるといわれる国からの巨大な復興資金に宮古市民が目がくらんでいるからである。心配にもならず、不満だが我慢が出来るという宮古市民のもやもやの原因だ。

 (国民からの直接の災害見舞いなど、いろいろな場面の復興支援もあり一概にはいえないが、それについては個別に丁寧に語り語られるべきである)

 正確な数字は分からない。国からは、2011年からこれまで8回に分けて岩手県と県内沿岸市町村に6,600億円以上の復興交付金が配分された。岩手県の年間予算は復興予算が膨らんで単年度で1兆円を越えて推移している。港湾、防潮堤、鉄道、道路、宅地かさ上げ、区画整理、事業支援、災害住宅、等々。宮古市へは、国から、県から、そのほかの機関から分配はどのくらいにふくらんで、どのように使われているのであろうか? このブログで何度もその疑いを書いてきたが、その心配はやむわけではない。疑いのつづく限りアゴはあがり心の闇は晴れる事はない… 

 

──宮古市議会は、少なくとも、常設特別委員会をつくって、宮古市に投下された復興資金の全体の収支を一元管理・監督するべきである。宮古市民に対して積極的に情報開示するべきである。国民に対して当事者の説明責任を果たすべきである。

 市民はその全体を誰も分からない。大半がランドブレインなどのコンサルタント、UR都市機構などのメガ(巨大)設計会社、土木建設の大手ゼネコン、各種大手メーカー、大手サプライヤーなどの大手事業者に第一次的に渡っているがどのようにして、どのくらい、そしてその先は? 何も分からない。集中力を持った市会議員やその会派でなければ外部には分かり得ないもやもやである。

宮古市もその事の説明なしのやもやである。はぐらかされてばかりいるもやもやである。時々新聞に着工記事が出るだけだ。漁協倉庫の火事のような事故でもない限り使途や業者名は明らかにならない。

 

 大きな背任である

 

 要するに「巨大な予算が宮古市に投下されている」とだけ宮古市民は認識している。「だから無投票選挙の金銭的、道義的モトは十分にとれている」と考えているのではなかろうか? 市議会議員の選挙はある意味どうでもよいように思うのであろう。 特別職や議員の給料などは小さい話のように見えるのであろうか?

 足もとの復興を国の予算に頼るだけでいいのか? 市民自らが計画し、請願し、実行するサイクルに戻るべきである。最低限、市長選挙や、市議会選挙で復興公約を戦わせるべきであった。震災から3年も経過したのである、市民一人一人も復興への考えの一つや二つはもっていたはずである。最低限、有権者として「投票権の行使」を待(ま)っていたはずである。支援する県も国も、いや国民全体が被災地の健全な復興のプロセスを望んでいたと思う。巨大資金に押しつぶされて宮古市民の道義は壊れ、どうにかなってしまった印象がある。

 

漁業組合の復興倉庫の火災

 

 これまでの山本市政は大きな復興予算の番人として宮古市の復興をある意味でほぼ独占してきた。被災地住民は、その使途、目的、規模など知らされていない事が多い。

4月18日、完成目前の宮古漁協の冷蔵施設(約2200㎡)が火災で全焼した。宮古漁業産業にとってのメイン復興施設といってもよい大規模施設で、国や県の復興支援(11億円ともいわれる)を受けて総額20億円、5月にも完成する予定のものであった。溶接など火気を使う工事が行われていて断熱用発泡ウレタンに延焼したとみられる。くわしい出火原因は消防などで調べるであろうが、国民支援を受けている宮古市長と宮古漁協の管理責任、道義的責任はそれよりも大きい。


復興資金の受託に緊張感があったのか?
(宮古漁協冷蔵倉庫火災 2014.4.19 web 岩手日報)

 

 宮古市と宮古漁協は、県や国、特に地元宮古市民に。組合員に。県民、国民に対する謝罪の姿勢を示すべきである。単に工事現場の責任ではない。工事会社の工事管理だけの問題でもない。私はこう思う。けじめとして漁協の全役員は引責辞任の責任が宮古漁協にはある。宮古市、岩手県、国はそこのところを厳しく見守る義務がある。とうぜん新任市会議員にも義務が生じる。

 復興資金は単一漁協への資金ではなく、被災地区宮古市の地場産業を理由に国や県に要請し配分された宮古市民全体への復興支援金である。宮古市はどのように漁協の資金管理の監督をして、漁協はどのように工事会社への発注管理をしていたのか? 工事現場への管理職員の常時派遣等はあったのか? 明らかにされるべきである。

異論をいろいろいうであろうが引責処分は免れるものではない。施設火災は、巨大復興予算への慣れによる弛(ゆる)み、資金を私した高慢さの破綻であったからである。

 

 

 

 [関連記事]  田老「第一防潮堤」の今(3) 2013.6.27

  ~「この第二の防潮堤は、過去の教訓を見殺しにして築かれたものである。国家事業なのだから、せっかくの公共事業を一円でも多く使って町を潤そうと、その思惑ばかりが先に立ち、田老はなりふりかまわず突進した」(高山文彦「大津波を生きる」より)。

 

  [関連記事]  鍬ヶ崎の高所移転(2)=復興は家の確保から 2011.11.5

 ~「宮古の方と話をしていると、紳士的というか、公共心というか、大人のしっかりした発言をされる方が多いと感じました。首都圏では、自分のプライベートな部分、利害の意見になりますが、決してそうではないということを実感しました」(屋井鉄雄)。これは宮古市総合アドバイザーの大学の先生の復興計画検討委員会での発言です~(いいふりこきの意味の引用)

 

 [関連記事] 「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと。 2011.9.17

 ~しかし、防潮堤の有効性を口にせず、むしろ無効性を知っていながら、なぜこの人たちはそれを否定しないのかと言えば防潮堤を必要とする人が他にいると思っているからである。不思議なことである。だれも必要としていないのに「必要なもの」として祭り上げられている現象がこの地域一帯に存在している。大きななぞである…

 

 

 (4)に戻る

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする