東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

今治

2024-06-06 23:27:05 | 日記
 疲れたなあ。日本の歴史は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 愛媛県の今治市のあたりには越智郡があるみたいだけど、河野氏は越智氏の一族で、河野水軍ともいわれるらしい。河野氏は戦国時代の終わり頃に途絶えたことになってるようだ。
 
 岩手県北上市に河野通信の墓といわれる聖塚がある。河野通信は源氏と平家の戦いでは源氏の側で戦い、承久の乱では後鳥羽上皇の側に付いて鎌倉幕府と戦い、流罪になって北上市に流されてきたらしい。ウィキペディアにも、そのようなかんじで載ってる。
 
 高知県高岡郡越知町には横倉山があって、安徳天皇の御陵があるらしく、安徳天皇を祀る横倉宮があるらしい。インターネットで調べると、現在の建物は明治30年頃の改築で、昔は横倉権現といったらしいけど、明治4年に御嶽神社になり、昭和24年に横倉宮になったらしい。社殿の後ろは断崖絶壁で、馬鹿だめしといわれるらしい。
 
 源氏と平家の話も作り話の気がするけど、平清盛の娘の徳子は高倉天皇の妻になって、高倉平中宮ともいわれるらしい。高倉天皇と徳子の息子が安徳天皇ということになってるらしい。安徳天皇は平家滅亡の時に壇ノ浦の海に沈んで亡くなったことになっているようだけど、日本各地に安徳天皇が落ち延びてきた伝説があるらしい。
 
 愛媛県今治市の大三島にある大山祇神社は大山祇神社の総本社で、日本総鎮守といわれてるようだ。大三島の大山祇神社には国宝や国の重要文化財に指定された武具の8割近くがあるらしく、甲冑の数は日本一らしい。河野通信の奉納といわれる鎧兜もあるようだ。大山祇神社のHPを見ると、大山祇神社は小千命の創建らしい。
 
 大山祇神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

久留米

2024-06-06 23:24:17 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、神社の人たちが地獄に落ちても、どうだっていいやって思うもんなあ、俺は。
 
 徳島県三好市の祖谷というところには平家の落人伝説があるらしく、栗枝渡八幡神社では安徳天皇の遺骨を御神体に祀ってるらしい。剣山には剣神社があって、安徳天皇と大山祇神とスサノオを祀ってるらしい。
 
 源氏と平家の話も作り話の気がするけど、平清盛の娘の徳子は高倉天皇の妻になって、高倉平中宮ともいわれるらしく、建礼門院ともいわれるようだ。高倉天皇と徳子の息子が安徳天皇ということになってるらしい。安徳天皇は平家滅亡の時に壇ノ浦の海に沈んで亡くなったことになっているようだけど、日本各地に安徳天皇が落ち延びてきた伝説があるらしい。
 
 山口県下関市には赤間神宮があるらしく、安徳天皇の墓所や平家の人たちの墓があるらしい。赤間神宮は江戸時代は阿弥陀寺だったらしいけど、明治8年(1875年)に赤間宮になって、昭和15年(1940)に赤間神宮になったようだ。本当か知らないけど・・・。
 
 福岡県久留米市にある水天宮は水天宮の総本宮で、東京にある水天宮は久留米藩の有馬氏が祀ったらしい。久留米の水天宮も東京の水天宮も天之御中主神と安徳天皇と平清盛の娘の高倉平中宮と平清盛の妻の二位の尼を祀っているようだ。
 
 造化三神は天之御中主神とタカミムスビとカミムスビ。ウィキペディアで調べると、造化三神は古事記と日本書紀の最初のほうにある天地開闢の時に現れたことになってるらしく、古事記では最初に現れ、日本書紀では付け足しのように書かれた文に記載されてるらしい。造化三神は別天津神の中に含まれてるらしい。
 
 水天宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2024-06-06 23:19:03 | 日記

奥州

2024-06-06 23:15:25 | 日記
 呪われた人生だったなあ。岩手県奥州市は怖いところです。市役所も新聞社も街の人たちも、みんなグルみたいだしさ。
 
 中国では北極星は北辰といって宇宙の中心と考えられていたようだ。中国の道教では北極星が神格化して天皇大帝になったようだ。北極紫微大帝も北極星が神格化して、北斗真君は北斗七星が神格化したようだ。北辰妙見菩薩は中国の道教に由来するらしい。ウィキペディアの妙見菩薩のところに詳しいことが載ってる。
 
 岩手県奥州市の水沢の街には日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に水沢伊達氏の留守氏の祖霊社の瑞山神社がある。本当に妙見宮だったのか知らないけど、さっさと中国に帰ればいいのに・・・。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

後藤

2024-06-06 23:13:15 | 日記
 後藤新平も日本人か知らないけど、後藤新平はスパイだったのかなあ?、やっぱり。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれ、安場保和という人が来て大参事に就いたらしいけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。本当か知らないけど・・・。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたらしい。
 
 安場保和は福島県令になったらしいけど、後藤新平は須賀川医学校に入ったようだ。安場保和が愛知県令になると、後藤新平は愛知県医学校の医者になったようだ。後藤新平は明治23年(1890年)にドイツに留学したらしい。帰国後に内務省の衛生局長に就任したようだけど、明治26年(1893年)にあった相馬事件で5ヶ月間も牢に入れられ、衛生局長も辞めさせられたらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。後藤新平は台湾総督府の民政長官に就いて、明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾にいたようだ。
 
 日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 後藤新平は第二次桂内閣で逓信大臣と初代鉄道院総裁、第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣で内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣で内務大臣に就いたようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。第二次山本内閣の組閣の時の大正12年(1923年)に関東大震災があって、後藤新平は帝都復興院総裁に就き、東京の復興計画を立案したらしい。後藤新平は昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。
 
 後藤新平の墓は奥州市には無くて、東京の青山霊園にあるらしい。後藤新平も奥州市の水沢の出身と思えないんだけど、後藤新平の経歴って、どこまで本当なのか、わからないと思いませんか?。
 
 青山霊園ですか・・・。
 
 
 火をつけるか