東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

田村

2024-06-06 23:07:30 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、結局、日本って日中戦争や太平洋戦争の頃から抜け出せてないというか、岸信介や椎名悦三郎のような、この頃に何かやってた人たちが戦後の日本の政治を動かしてたみたいだし、当然といえば当然だよなあ、たぶん。
 
 江戸時代の宮城県角田市には石川氏がいて、石川氏は伊達藩の家臣団の序列の一番上の一門の首席だったようだ。本当か知らないけど・・・。江戸時代の最後の石川家の石川邦光は石川義光の息子らしい。石川邦光は明治29年(1896年)に家督を譲って隠居したらしいけど、大正12年(1893年)に亡くなったようだ。その後の石川家は、どうなったのか、わからない。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村藩は伊達藩の中にあって、1つの藩のような扱いを幕府から受けていたらしい。本当か知らないけど・・・。田村藩の田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、一関に来る前は宮城県の岩沼市にいたことになってるらしい。
 
 戊辰戦争の頃の田村藩の田村氏の田村邦栄は角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いで、明治20年(1887年)に亡くなったらしい。田村崇顕も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。田村崇顕は大正11年(1922年)に亡くなったらしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、田村丕顕は海軍の軍人で、田村丕顕は昭和20年(1945年)に亡くなったらしい。田村丕顕の息子の田村良顕が継いだようだけど、それ以上わからない。
 
 一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村氏の墓所がある。山号は大慈山のようだ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 祥雲寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天台宗

2024-06-06 23:01:50 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、そのほうが都合の良い人たちがいるんだよ、たぶん。何世代も経って、すっかり日本人になったつもりでいて、そういうことも知らない人もいるのかもしれないけどさ。 
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 天台宗では明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らないけど・・・。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。菅原栄海は昭和45年(1970年)に天台座主に就いたようだ。菅原栄海は江刺にある勝軍寺という寺の息子らしい。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 天台宗の総本山は滋賀県大津市にある比叡山延暦寺で、天台宗は法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。天台宗が今のようになったのも明治以降としか思えないんだよなあ。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2024-06-06 22:56:42 | 日記
 カルト密教の呪いは強烈だよなあ。中国には性善説と性悪説があるみたいだけど、根っからの悪党みたいなもんなんだろうか?。今の中国を見て、性善説なんて通用すると思う?。
 
 諏訪大明神絵詞というものがあるらしく、征夷大将軍だった坂上田村麻呂は長野県の諏訪大社に戦勝祈願してから東北に来たことになってるらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 岩手県の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

諏訪

2024-06-06 22:54:13 | 日記
 疲れたなあ。日本の歴史は嘘の気がするけど、なんとしても自分たちの手にしてる権力を手放したくない人たちがいるみたいだからなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。安倍頼時の息子が安倍貞任と安倍宗任で、安倍頼時は鳥海柵で亡くなったことになってる。
 
 金ヶ崎町にある諏訪小路武家屋敷には金ヶ崎神社があって、明治時代の神社の合祀の前は諏訪神社だったらしいけど、本当か知らない。源頼義が長野県の諏訪大社に戦勝祈願して勝利したことから勧請したことになってるらしい。平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは源頼義と源義家に討たれたことになってる。
 
 金ヶ崎神社の例大祭の日は8月27日らしいけど、安倍頼時の命日の旧7月27日が例大祭の日らしい。たしか、金ヶ崎神社にある説明看板に、そう書いてた気がする。インターネットで調べても、そんなかんじだ。
 
 長野県にある諏訪大社は南方刀美神社とも記載されてるらしい。金ヶ崎町にも南方という地名の場所がある。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主には息子に事代主と建御名方命がいて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引きこもったことになってるらしい。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているらしい。
 
 長野県にある諏訪大社は信濃国の一宮で、建御名方命を祀ってるらしい。諏訪大社は諏訪湖の周りに上社と下社があって、上社の本宮は諏訪市にあって、上社の前宮は茅野市にあるらしい。諏訪大社の上社には本殿が無く、拝殿のみで、守屋山という山が御神体らしい。下社の春宮と秋宮は下諏訪町にあるらしい。諏訪大社の下社は春宮が杉の木が御神木で、秋宮は一位の木が御神木らしい。
 
 諏訪大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

賀茂

2024-06-06 22:43:00 | 日記
 政治家でも言論人でも保守を自称してる人たちっていうの?、靖国神社どうこう言ったりしてさあ。この人たちって、保守でも何でもなく、単なる右翼だと思うよ?。日中戦争や太平洋戦争の頃の神道から抜け出せてないみたいだしさあ。それで、天皇や皇室どうこう言う人もいるんだろうか?。
 
 それで、左翼は中国や韓国や北朝鮮の仲間なの?、日本では。
 
 神道って日本を呪い封じ込めるためのものじゃないか?って何度も書いてるのに、それでも神社に行く人がいるんだよ。別に行くなとは言わないけど、そういう人たちって、大抵、俺に敵意のようなものを向けてくるの。何が憑いてるのか知らないけどさ。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主の国譲りの話は大きく3つに分けられて、最初に天穂日命が大国主のところに送り込まれ、次に天稚彦命が大国主のところに送り込まれ、次に建御雷命が大国主のところに送り込まれ、大国主の国譲りが成立したことになってるようだ。
 
 大国主には息子に事代主と建御名方命がいて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引きこもったことになってるらしい。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているらしい。
 
 島根県松江市にある美保神社では事代主と三穂津姫を祀っていて、えびす様の総本宮といってるようだ。美保神社では国譲りの話を再現した青柴垣神事が行われてるらしい。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるらしい。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになっていて、妹に下照姫がいることになってるらしい。
 
 京都の下鴨神社は賀茂御祖神社ともいうようだけど、建角身命と玉依姫を祀っていて、玉依姫は建角身命の娘ということになってるらしい。上賀茂神社は賀茂別雷神社というようだけど、上賀茂神社の祭神の別雷命は玉依姫の息子ということになってるらしい。
 
 高鴨神社と下鴨神社と上賀茂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか