東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2023-04-17 23:08:47 | 日記
 皇道か知らんけど、怖ろしいよね?。
 
 ウィキペディアで調べると、今泉定助という人は神道思想家で、宮城県白石市の出身で、片倉氏の家臣の家の出身ということになってるらしい。今泉定助は江戸時代の生まれで、昭和19年(1944年)に亡くなったらしい。今泉定助の教えは皇道といって、政治家や軍人や財界人に教えを広め、当時の歴代総理のほとんどの人が今泉定助の皇道の教えを受けていたようだ。今泉定助という人は皇典講究所の講師や理事を務めたり、神宮奉斎会の会長を務めたり、日本大学に皇道学院を設立して学院長に就任したようだ。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦大神の子孫の大田命は倭姫に天照大神を祀る場所に宇治の地を勧めたらしく、その場所に伊勢神宮が創建されたことになってるらしい。伊勢神宮の前に天照大神が祀られていた場所を元伊勢というらしい。天照大神の祭祀は豊鋤入姫に託され、各地を転々として、途中で倭姫に交替して、伊勢神宮に落ち着いたらしい。本当か知らない。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、久邇宮朝彦親王って人が怪しいんだよなあ。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2023-04-17 23:05:45 | 日記
 幕府の話も嘘臭いんだけど、布とか養蚕とか、なんなんでしょうね?。
 
 京都にある木嶋坐天照御魂神社の祭神は天之御中主神でいいんだろうか?。木嶋坐天照御魂神社は秦氏の神社らしい。木嶋坐天照御魂神社は蚕の社ともいわれるみたいだけど、本殿の隣に蚕養神社があるらしい。
 
 造化三神は天之御中主神とタカミムスビとカミムスビ。ウィキペディアで調べると、造化三神は古事記に登場するらしく、日本書紀では本文に記載が無く、付け足しのように書かれた文に登場するらしい。造化三神は天地開闢の時に現れたことになってるようだ。
 
 木嶋坐天照御魂神社にある元糺の池には三柱鳥居があって、インターネットで調べると、三本の柱で三角形になって立ってるらしい。三本の柱で囲まれてる中には石が積んであって御幣が立ってる。池には水が無いようだけど、昔は水が湧いてたらしい。本当か知らない。
 
 木嶋坐天照御魂神社には三井家の遠祖の三井高安という人を祀る顕名神社があるらしい。三井高安の息子の三井高俊が松阪に質屋兼酒屋を開業したのが商人としての三井家の始まりで、屋号は越後屋で、三井高俊の息子の三井高利が三井家の礎を築き、三井家の中興の祖といわれるようだ。
 
 三井高福という人が明治時代の頃の三井家の人で、三井銀行と三井物産を創設して三井財閥の基礎を築いたらしい。三井高福の息子の三井高棟という人は趣味人として知られ、六本木に大邸宅を建てたようだ。三井家は太平洋戦争の後の財閥解体で、グループの経営権を失ったようだ。
 
 九州にあった三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創設されたようだ。團琢磨という人が三井三池鉱山社の事務長になり、三井鉱山の会長になって、三井財閥の総帥にも就いたようだ。團琢磨という人は昭和7年(1932年)にあった血盟団事件で暗殺されたらしい。
 
 三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになったとウィキペディアに載ってる。三井財閥は日本最大の財閥になったようだ。三井鉱山と三井銀行と三井物産が三井財閥の三本柱だったようだ。
 
 木嶋坐天照御魂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2023-04-17 23:03:55 | 日記
 地鎮祭か知らんけど、どうも誰かを人柱にして埋めてる気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 川面凡児という神道家の人がいて、今の神社の人たちの禊作法は川面凡児という人が行っていたものに基づいてらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。川面凡児は江戸時代の生まれで、昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。
 
 川面凡児は今の大分県宇佐市の出身らしい。本当か知らない。川面凡児は明治39年(1906年)に全神教趣大日本世界教を開教したらしい。大正3年(1914年)には古典考究会を設立し、当時の軍人や政治家が会に関わっていたようだ。大正6年(1917年)から滝行などの禊の行を日本各地で行うようになり、神宮奉斎会の会長で当時の神道の権威の今泉定助が川面凡児の禊を支持し、神職の人たちに海や滝での禊が広まっていったらしい。川面凡児は昭和4年(1929年)に大寒禊の指導の後に体調を崩して亡くなったらしい。
 
 昭和14年(1939年)に川面凡児の十周忌が行われ、当時の日本の総理大臣の平沼騏一郎や当時の文部大臣の荒木貞夫や伏見稲荷大社の宮司を務めて神道関連の役職に就いていた高山昇や全国神職会の会長だった水野錬太郎が参列したようだ。その次の年の昭和15年(1940年)に大政翼賛会が発足し、国民的行事に禊が採用され、政治家も「みそぎ」という言葉を決まり文句のように使うようになったようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 高山昇という神道家の人がいて、ウィキペディアで調べると、日本各地の神社の宮司を務め、大正13年(1924年)に伏見稲荷大社の宮司に就任したようだ。高山昇は稲荷山に禊道場を作ったり、講を作ったり、西東京市に東伏見稲荷神社を創建したようだ。高山昇は神道関係の部署に就いたり、太平洋戦争の終戦後は神社本庁の顧問を務めたようだ。高山昇は江戸時代の生まれで、昭和25年(1950年)に亡くなったらしい。
 
 稲荷神社の総本社といわれる京都にある伏見稲荷大社では宇迦之魂と佐田彦大神と大宮能売と田中大神と四大神を祀ってるらしい。伏見稲荷大社は秦氏の人が創建したことになってるらしい。伏見稲荷大社の千本鳥居の奥には稲荷山があって、稲荷山には鳥居がたくさんあって、ミニチュアの鳥居もたくさんあって、お塚といわれる場所がたくさんあるらしい。稲荷山が今のようになったのは明治以降らしいけど・・・。
 
 伏見稲荷大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

宇佐

2023-04-17 22:45:42 | 日記
 貞子ですか・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになっていて、応神天皇は誉田別命というらしい。比売大神は宗像三女神ということになってるらしい。
 
 宇佐神宮の奥宮は御許山というところにあるらしく、大元神社という神社があって宇佐神宮の奥宮と大元八坂神社があるらしい。宇佐神宮の境内にも八坂神社があるらしい。
 
 宇佐神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2023-04-17 22:42:25 | 日記
 貞子ですか・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社では宇佐神宮と同じ応神天皇と神功皇后と比売大神を祀ってるらしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、反乱を鎮めるために三角池に自生する真薦で枕を作り、八幡神の御験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで神輿を担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 奈良時代の九州には隼人といわれる人たちがいて、宇佐神宮の近くには隼人の首を葬った凶首塚があって、隼人の人たちの霊を祀る百体神社があるらしい。宇佐市に和間神社があって浮殿というみたいだけど、ここで放生会が行われるらしい。放生会は明治13年(1880年)に仲秋祭に名称が変わったらしい。本当か知らない。
 
 薦神社の鎮疫祭では鬼やらいが行われるらしく、鬼という字の書いた幕に矢を放つらしい。ここから頭に矢が刺さってるような頭痛がしてくる気がするんだけど、そうやって神事や地域の伝統や風習といって日本人を鬼といって呪ってるんじゃないの?。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか