東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2024-08-03 00:16:26 | 日記
 明治天皇が中国人か朝鮮人か知らないけど、明治天皇は久邇宮朝彦親王って人の息子なんだろうか?。自信が無いけど、それが一番納得がいくなあ。
 
 久邇宮家は久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦王が継いだらしいけど、久邇宮邦彦王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。今の天皇家は久邇宮家と繋がってるらしい。
 
 久邇宮邦彦王と賀陽宮邦憲王と多嘉王と梨本宮守正王と東久邇宮稔彦王と浅香宮鳩彦王は久邇宮朝彦親王の息子らしい。明治天皇が久邇宮朝彦親王の息子だとしたら、この人たちは明治天皇の兄弟ということになるんだろうか?。そもそも、皇族の人たちって何者なの?。
 
 明治維新の話は嘘の気がするけど、明治維新の後に宮家が増えたらしく、太平洋戦争の後に昭和天皇の兄弟の宮家以外は皇籍離脱したらしい。この人たちを旧皇族というらしい。
 
 祭主は伊勢神宮でのみ置かれてる役職らしいけど、ウィキペディアで調べると、祭主は伊勢神宮で行われる大祭で奉幣使として行って、祝詞を奏上して、天皇の意思を神に伝える役目の人らしい。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、久邇宮朝彦親王が伊勢神宮の祭主だった期間は明治8年(1875年)から明治24年(1891年)までで、次の祭主が有栖川宮熾仁親王で明治24年(1891年)から明治29年(1895年)までで、次の祭主が賀陽宮邦憲王で明治29年(1895年)から明治42年(1909年)までで、賀陽宮邦憲王の後は臨時祭主が置かれ、多嘉王と久邇宮邦彦王と鷹司煕通が臨時祭主に就いたようだ。多嘉王が祭主になって大正8年(1919年)から昭和12年(1937年)まで続けて、その次も臨時祭主が置かれて梨本宮守正王が昭和12年(1937年)から昭和20年(1945年)まで続けて、梨本宮守正王が太平洋戦争の終戦時の伊勢神宮の祭主らしい。本当か知らないけど・・・。
 
 太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子らしい。久邇宮家も太平洋戦争の後に皇籍離脱して久邇家になったらしいけど、インターネットで調べると、今の久邇家の人は伊勢神宮の大宮司らしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡らしい。伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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