東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

南北朝

2023-04-27 23:49:33 | 日記
 南部せんべいですか・・・。
 
 長慶天皇伝説は、なぜか、青森県に多いみたいだけど、弘前市の旧相馬村に長慶天皇の墓所といわれる場所があるらしいし、インターネットで調べると、五所川原市や藤崎町や青森市に合併した浪岡町や南部町や新郷村にもあるらしい。岩手県北の二戸市の天台寺にある長慶天皇の墓所は天台寺の住職だった瀬戸内寂聴さんが伝承に基づいて墓地を整備したらしい。
 
 ウィキペディアの南部煎餅のところを見ると、南部せんべいの起源には長慶天皇創始説があるらしい。南部せんべいには菊水と三階松が裏に刻印されてるらしく、菊水は楠木正成の楠木氏の紋で、三階松は赤松氏の紋らしい。
 
 まあ、単純に考えれば、他の土地から移住してきた人たちがいたんじゃないか?ってことなんだけど、どうなんだろうね?。
 
 長慶天皇は南北朝の南朝の3代目の天皇で、弘前市の旧相馬村の紙漉沢というところに上皇宮があって、長慶天皇の墓所があるらしい。インターネットで調べると、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に宝龍権現を祀ったのが始まりということになってるらしい。上皇宮は宝龍権現宮や法龍宮や龍田神社ともいわれてたらしいけど、昭和40年に上皇宮にしたらしい。他人のブログを見て書いてるんですが、いいんでしょうか?、これで。
 
 インターネットで調べると、弘前の長慶天皇陵は明治時代に調査が行われたようだ。南北朝については、その後も論争が続いたようだけど、昭和19年(1944年)に京都にある嵯峨東陵が長慶天皇の陵墓に決まったらしい。
 
 南北朝は南朝の4代目の天皇の後亀山天皇の時に、三種の神器が北朝の6代目の天皇の後小松天皇に渡され、統一されたことになってるようだ。
 
 明治維新の頃に宮家が増えたらしいけど、明治維新の頃に創設された宮家はすべて伏見宮家の系統らしく、他の宮家を継いだりして、太平洋戦争の終戦の後に皇籍離脱した旧皇族の人たちは、みんな伏見宮邦家親王の子孫らしい。本当か知らない。
 
 伏見宮邦家親王の息子の伏見宮貞愛親王は陸軍の軍人で、軍人としての最高位の陸軍元帥大将に就き、各種業界団体の要職を務めたようだ。伏見宮貞愛親王の息子の伏見宮博恭王は海軍の軍人で、伏見宮博恭王は昭和7年(1932年)に海軍軍令の最高位の海軍軍令部長に就き、軍令部総長になったようだ。太平洋戦争の頃も伏見宮博恭王は海軍の最高権力者として大きな発言権を持っていたようだ。
 
 伏見宮家は南北朝の北朝の3代目の天皇の祟光天皇の息子が創設した宮家らしい。伏見宮家の3代目の伏見宮貞成親王の息子が天皇を継いで後花園天皇として即位し、今の天皇は後花園天皇の子孫らしい。本当か知らない。
 
 幸徳事件というみたいだけど、明治43年(1910年)に明治天皇の暗殺計画を企てた人たちが捕まって、そのことが発端になって、社会主義者や無政府主義者の人たちが明治天皇の暗殺計画とは関係無く、でっち上げ捜査で捕まって処刑されたらしい。
 
 幸徳秋水という人は法廷で、今の天皇は南朝の天皇を暗殺して三種の神器を奪った北朝の天皇じゃないかみたいなことを言ったようだ。南北朝正閏論というみたいだけど、南北朝の南朝と北朝のどちらが正統かみたいな議論になって、国会でも取り上げられ、明治天皇によって南朝が正統ということになったらしい。今の天皇は北朝で続いてるらしい。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2023-04-27 23:32:42 | 日記

お祓い

2023-04-27 23:32:02 | 日記
 神道ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

賀茂

2023-04-27 23:24:05 | 日記
 なんか、凄いよなあ、神社の人たちって。
 
 明治維新の後の神仏分離や廃仏毀釈のことも自分のところの神社がどうだったのかも、あんまり知らないみたいだし、単に知らないだけなんだろうか?とも思ったけど、神仏分離や廃仏毀釈の話も嘘臭いんだよなあ。
 
 それに、明治時代の歴史も、かなり嘘臭いし、明治生まれの人たちが昭和の時代の太平洋戦争の後も日本社会や日本の政治を動かしてたみたいだし、宗教家とか歴史家とか、そういう人もいたらしいからなあ。
 
 俺は昭和の後半の生まれの就職氷河期世代の50歳近い人間だけど、だまされるほうがバカってことで・・・。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主の国譲りの話は大きく分けて3つに分けられて、最初に天穂日命が大国主のところに送り込まれ、次に天稚彦命が大国主のところに送り込まれ、次に建御雷命が大国主のところに送り込まれて大国主の国譲りが成立したことになってるようだ。他は省略。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるらしい。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになっていて、妹に下照姫がいることになってるらしい。
 
 京都の下鴨神社は賀茂御祖神社ともいうようだけど、建角身命と玉依姫を祀っていて、玉依姫は建角身命の娘ということになってるらしい。上賀茂神社は賀茂別雷神社というようだけど、上賀茂神社の祭神の別雷命は玉依姫の息子ということになってるらしい。
 
 地方の賀茂神社や加茂神社では賀茂神社や加茂神社の総本社の高鴨神社の祭神のアジスキタカヒコネじゃなく、上賀茂神社の祭神の別雷命を祀ってることが多い気がするけど、役割分担でもあるんだろうか?。
 
 上賀茂神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

賀茂

2023-04-27 23:17:07 | 日記
 なんか、凄いよなあ、神社の人たちって。この人たちに嘘か本当かなんて通用しないみたいだし、自分たちのストーリーみたいなものが否定されると、自分たちの宗教が成立しないんじゃないの?。
 
 神社巡りしてる人たちは他人の妄想の世界に呑み込まれてるみたいなもんなんだろうか?。まあ、そういう人たちだけじゃなく、日本社会全体が、そうなのかもしれないけど・・・。
 
 前は神社の人のブログも見てたけど、石川県珠洲市の羽黒神社の宮司のブログを見てると、体の底から震えるような怒りのようなものが湧いてきたりするもんなあ。
 
 俺が神社の人も神社巡りしてる人も信用しないって、わかるでしょ?。
 
 大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、大国主の国譲りの話は大きく分けて3つに分けられて、最初に天穂日命が大国主のところに送り込まれ、次に天稚彦命が大国主のところに送り込まれ、次に建御雷命が大国主のところに送り込まれて大国主の国譲りが成立したことになってるようだ。他は省略。
 
 大国主には息子に事代主と建御名方命がいて、国譲りは大国主から事代主に託され、事代主は国譲りを承諾して自分から海に沈み、大国主は出雲大社に引きこもったことになってるらしい。建御名方命は出雲から諏訪に逃げたことになっているらしい。
 
 奈良県御所市にある高鴨神社は賀茂神社や加茂神社の総本社で、アジスキタカヒコネを祀ってるらしい。アジスキタカヒコネも大国主の息子ということになっていて、妹に下照姫がいることになってるらしい。
 
 高鴨神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか