しゃんしゃん祭りで賑わった15日は、68回目の終戦記念日でもありました。
政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら6091人が参列し、天皇陛下が「戦禍に倒れた人々に心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈る」とおことばを述べられました。
追悼式では首相の式辞が注目を集めます。安倍晋三首相は、戦没者に対して「あなた方の犠牲の上に平和と繁栄がある。片時たりとも忘れない」と話し、「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」と述べられました。この言葉のその通りだと思います。今を生きる私たちは、戦争で犠牲になった方々のことを忘れてはなりませんし、追悼と共に、平和への誓いを新たにしなければなりません。
ところが、その一方で、集団的自衛権に関する憲法解釈を見直し、行使を容認する方向での検討が進んでいます。安倍総理は憲法96条の先行改正にも意欲を示しておられますが、その方向性は自衛隊の国防軍への改称など憲法9条の見直しと、「公益と公の秩序」の名の下での自由と人権の抑圧ではないのかという危機感を募らせています。そうした憲法の三大原則である平和主義と基本的人権の尊重の「変質」が現実のものとなりつつある中で、終戦の日を迎えることになったことにも思いを致す必要があると思います。
昨年9月に国有化した尖閣諸島(沖縄県)周辺では、中国公船による領海侵入が相次ぎ、竹島の韓国による不法占拠も続き、周辺諸国との領土問題が、くすぶり続けています。
国境紛争は多くの国が抱えています。不幸にして戦争に発展したケースもありますが、外交交渉で歩み寄ろうと努力が多くの国で続いています。日本もそうすべきだと考えます。
鳥取県議会は、竹島問題を隣県である島根県の問題であることを承知しながら、江原道の議員の皆さんを向かい入れ、あるいは出向き、意見交換を続けています。それは、国境紛争など多くの外交問題を抱えているときだからこそ、地方議員同士が顔と顔の見える関係を築き、経済や文化、教育など様々な交流を続けるべきだと考えるからです。
外交はマキャベリズムの世界で、国益を守る面があることは歪めません。しかし、それでは平和は守れません。外交が先鋭化した対立を招いても、人と人との顔の見える関係があれば最悪の事態だけは免れることができるのではないかと思うのです。軍備を拡張しても、自衛隊を国防軍にしても、抑止力にはなりえません。8月15日にそんなことを思いました。