GITANESと出会うずっと前から。
それとは無関係に・・・。
物ごころついた頃にはもう「これだ」と心と舌に刻まれた味の
サンドイッチがあった。
もうなくなって久しいが、地元の百貨店の地下で売られていたサンドイッチである。
潰したタマゴのタマゴサンドで、その具はややケチャップの赤に染まっている。
随分後で知ったのだが、少量のマヨネーズも使われていて
それが味と食感の決め手になるとのことだった。
B6ほどの大きさの四角い箱を開けると、そのサンドイッチがきれいに並んでいた。
長方形のそのタマゴサンドは小ぶりで、具も上品に
つまりそれほどの量の具は挟まっていなかった。
でも美味かった。
サンドイッチの味が優れているかどうかは、そのサンドが基準になった。
そしてその基準はとてつもなく高いハードルでもある。
美味い。
具がこぼれないように食べる。
二口でなくなってしまう。
もうひとつ、もうひとつと食べたいのだが
家族と分けて食べるのだからすぐになくなってしまう。
もう一種類のサンドイッチも用意されていたが、そっちはポテトサラダの
サンドイッチで、私の基準ではタマゴサンドに並ぶべくもない「格下」の味だった。
単に、こどもに受けない味だったのだろう。
悲しいほどすぐになくなってしまうタマゴサンドの断面を見つめながら
いつかおとなになった日には、大きい皿にこのタマゴサンドを山積みにして、
たとえば悪党の巨大金庫を開けた時に輝いてそびえる金塊のような
ピラミッド状に積みあがったタマゴのサンドイッチを
1人で食べつくしたい。
お気に入りの誰かがそばにいれば、一切れ二切れは遣ってもいいが
やっぱり一人でこそこそ食べたい
と思っていた。
レディーボーデンの大きいアイスクリームを一人で食べたい
という夢と双璧をなしていた。
今ではそのタマゴサンドピラミッドは経済的に叶えられそうな夢である。
味に関しては些かもブレず、あの味を欲してはいるが
もうピラミッドほども積み上がった量は要らない。
そして何よりも、
その百貨店がなくなってしまった。
味はますます記憶の中で美化される。
思い出はいつも美しすぎるのである。
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