GITANESが美味いのは習慣だからだろう。
それとは無関係に・・・。
三回忌は終り、墓へ。
小さい寺の小さい墓地なので、それほど多くの墓は並んでいない。
古い桜の木が一本あって、枝を広げたその真下がわが家の
墓である。
さくらのシーズンはさぞ壮観だろうし、花びらが墓石を
覆い尽くしているのだろう。
ところが、今のシーズンは何で覆われているかというと、
ウヨウヨと蠢く毛虫である。
とにかくその桜の木の下至るところに毛虫が這い回っていた。
お坊さんも「今年はちょっと多すぎますねえ」と言いながら
殺生をする訳にはいかないので、慎重に歩いていた。
枝、葉の上にも毛虫があちこちに乗っかっていて、
枝が風に揺れるたびにボトボトと落下してくる。
それをさけながらの掃除と供養だから忙しい。
「まあそれでも、この毛虫もシーズンが来たらきれいな蝶に
変身して空に飛び立つんですねえ・・・」と誰かが言ったら、
坊さんは間髪を入れずに
「いえ、蛾です。」
「は?」
「蛾になります。全部蛾になります。」
皆無言になり、その中を風がふーッと辺りを抜けた。
また枝からボトボトと毛虫が落ちてきた。
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かつての私の希望でしたが、
なるほどそんな裏事情もあるのですね。
しかし、
桜と毛虫という対極の状況を産み出すお墓参りは、
いろいろな人々にさまざまなエピソードを残しそうで、
それも貴殿のご一族の楽しい思い出として、
これからの人生を彩るのではないでしょうか。
私は今は鳥葬を希望しているのですが、
同居人が、遺体を担いでチベットの山頂まで行くのは
いくらなんでも荷が重過ぎるというので断念した次第です。
しかし、初めて同居人の実家に挨拶に伺ったとき、
生まれて初めて行く土地で、同居人の実家のお墓参りをして、
“私も死んだらこのお墓に入るのか”と思ったときの、
あのなんとも言い難い、
本当に初めて足を踏み入れた見ず知らずの土地に
納骨されるであろうという気分は、
きっと殿方には計り知れない感情だと思います。
まあ死んでしまえばどこに埋められようが、
本人の預かり知らぬところなのですが。
しかし、その後同居人の実家に帰るたびに訪ねた
本家の叔父様叔母様が亡くなり、
とても親切にして下さり、それなりの思い出もできた
お二人と同じお墓に入るのかと思うと、
まあそれはそれでいいかと思える今日この頃です。
諦めもつきますが、選り好みされそうで抵抗があります。
目玉は食うけど、肺は要らん とか。
風葬はなかなか風情があって良さそうですが、
腐るのもイヤです。
墓についてですが、男性であっても
そして自分の家系の墓であっても
まったく抵抗がないという訳ではないような
気がします。
親族がみんな仲良しではないでしょうし、
顔も見たことない人も多いだろうし。
ホンの身近な人と、そして先に亡くなった犬
と一緒の墓に入るのなら楽しそうです。
でもまあ、死んでしまってからのことだし
田舎の小さい山の中腹にある寺で、
静かだからいいかなあ と思っています。