GITANESでケムに巻くという訳にはいかない。
それとは無関係に・・・。
盆の行事が過ぎて、1ヶ月後に(たまたまではあるが)オヤジの
三回忌が終り、ホッとしているともう20日には彼岸だ。
40年以上そういう行事とはまったく縁のない生活を送ってきた
のに(避けていただけだけど)、この数年で様相は一変した。
供養の仕方など人の数だけあるだろうに、最大公約数的に
仏式の儀式をソツなく行っていかなければならない。
それで亡き人々が喜んでいてくれるのなら全然OKなのであるが。
私なりの供養の方法と言えば、例えば先祖は書道に携わるような
人間が幾人かいるので、夕べはせめてもの先祖との繋がりのため
書―筆蝕の宇宙を読み解く
石川 九楊 (著)
なんて本を読んだ。
そういう方法も我流ではあるが、先祖との繋がりを尊重しての
ことだから、一種の供養になるのではあるまいか。
しかし、5ページ読んだところで気絶するように眠ってしまったから
結局供養どころではないのかもしれないが。
また、写経しようにも私の文字では、祖父・父たちが
怒り狂うこと必至なので、それも供養にはならないし、
やはりおとなしくお坊さんの読経の後ろに正座して
手を合わせているしかないのである。
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