エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

天才歌人 啄木

2008-02-11 | 文芸
 啄木は私の大好きな作家の一人、なぜかときどき啄木の詩の触れたくなる。
あらためて彼の略年譜をみると、あまりに短い27年の波乱に富む生涯に切なくなる。

 【石川啄木記念館 HPより】

 生活苦に、病気に、何と幸せ薄い人生であったことか。彼の境遇からの生活の歌がこころを揺さぶる。

 啄木の心を動かす歌には、難しい言葉はない。労せずに詠む平易な言葉のつながりがどれほどの感動を与えることか。ちょっと自分にも作れる錯覚を覚えるが、そうはいかない。彼は天才である。

もう10年も前になる。今の季節に渋民に啄木記念館を訪ねた。その傍らに残る尋常小学校彼が学んだ教室に入った。
  ” そのかみの神童の
    名の悲しさよ
    ふるさとに来て泣くはそのこと


 その折、盛岡の不来方城址も訪ねた。自ずからなる雪の細道をたどり、啄木の歌碑の前に立ったことを思い出す。冷たい碑文に手を置きながら、啄木の心を偲んだ。深閑とした雪の郭内はどこからも美しい石垣が見え、眼下に広がるビルや街の喧噪が嘘のようであった。
  ” 不来方のお城の草に寝ころびて
    空に吸はれし
    十五の心 


年譜は作品以上に真実の生き方を示してくれる。いろいろな人生を知りたいと思う。
今の楽しみは、いろいろな作品を読み、縁の土地を訪ねること。少しずつ学びたい。



絵ろうそくまつりを撮る

2008-02-10 | 日々の生活
今年も会津絵ろうそくまつりが行われた。(2/8,9 午後6時から9時)
最近は、御薬園やお城だけでなく、飯盛山その他市内の各所で絵ろうそくが灯されているようだ。
 毎年、絵ろうそくまつりには、雪が降ればお城に出かけていた。やはり雪降りのなかでこそ、幻想的なお城を見ることができると思った。
 初日は厳しい寒さだったが、雪は降らなかった。2日目、暗くなるころからようやく本格的に雪が降り始めた。いい写真を撮りたいと思い、食事もそこそこに出かけた。
 雪の中のお城は美しかった。えろうそくの灯が点々と灯され、いっそう幻想的な景色だった。
 でも、この幻想的な情景を写真に撮ることはとても難しかった。フラッシュをたくと、雪はいい具合に写るが遠くのお城までは届かない。三脚を持たずにバルブではどうしてもぶれてしまった。また来年挑戦しようと思っている。


***** 会津絵ろうそくについて **** 【会津絵ろうそく実行委員会HPより】
会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれています。

【会津本郷焼の瓦燈に灯る絵ろうそく】


日に溶けて淡雪流る

2008-02-08 | 日々の生活
 
 薄い雲の隙間から春の朝日がやわらかい。
 今朝の散歩、夜の間に積もった雪が輝いている。
 風がわずかに頬に冷たいが、一歩一歩春の近づきを意識できる。
 まだ雪に覆われている畦の脇を清らかな雪解けの流れを見る。
 現れた黒い土に、開ききらないオオイヌノフグリの水色がさわやかな顔を出している。
 春近しを感じさせる。まさに
  ”しろがねのふすまの岡辺 日に溶けて淡雪流る ”である。
 

当たり前の生活が出来る幸せ

2008-02-07 | 健康
 鬼は豆まきで追い払ったが、風邪の神様が我が家に入り込んだようだ。孫からママへ、そして、一昨日から妻が具合が悪かった。家族の体調が悪いとつまらないものだ。平凡な毎日だが、健康が第一、当たり前の生活が出来ることは実にありがたいことだ。多少の風邪にも、普通の生活の幸せを思った。
 
 朝はトイレに起き新聞を取り、タイマーで暖かくなっている炬燵に当たる。お茶を入れ新聞に目を通す。食事を終えると、武琉君とママが出かける。一緒にラックの散歩に出る。毎日同じ行動だ。午前中はあっという間に終わる。孫娘を中心に妻と3人で過ごす。多少の物足りなさを感じると、庭に出て春を探してみたりする。
 午後は娘が帰り、昼食後は一息つける。妻の休息もひととき、武琉君が帰るとまた二人の孫の世話。おバーチャン子で妻は息をつく暇がない。
 
 夜は、寝る前に本棚をあさり、適当な本を床に持ち込む。枕元にはいつしかうずたかく読みたい本がたまってしまった。寝室の暖房は電気敷き毛布だけ、手が冷たいので薄い手袋をはめ、しばらく文字を追う。ラジオを低くかけながら、今日の1日をふり返り思いを巡らす。毎日、同じことのくり返しだ。

こんな繰り返しでまた新しい季節が巡ってくる。これでいいと思っている。
コーヒーでもお茶でも飲みたい時に飲める、音楽が聴きたければすぐ聴ける。毎食事も楽しく、美味しくいただける。

 こんな当たり前の生活が出来ることこそが、実に嬉しい。
 それも健康であればこそである。

 

ひな人形を飾る

2008-02-06 | 日々の生活

 娘の家でお雛様を出した。我が家でも、孫たちにせかされ、手伝ってもらいながら賑やかに飾った。我が家のひな人形は、お内裏様とお雛様、3人官女が硝子のケースですまし顔で並んでいる。これは、初めて息子が生まれた時に、信州から手伝いに来ていた祖父母が買ってくれた。息子は2月7日生まれ、病院から妻と戻った時、飾られた雛人形の前で健やかな成長を祈りお祝いをしたことを思い出す。今、喜びに包まれたあの頃のことを思い出すと、両親の顔が浮かんできた。あれから毎年、35,6年間飾ってきたものだ。
 娘の孫たちには、今度は我々が贈った。我が家と同じ、ケースのお雛様だ。
ケースに付いているオルゴールも同じ、「ひな祭り」のメロディだ。
 孫たちは、早速「灯りをつけましょ ぼんぼりに、・・・」と大きな声で合唱していた。

 節分の豆まき、一昨日は立春、ようやく春が近づいた。
 孫たちが伝統行事の中ですくすく育って欲しいと思っている。


【子どもの雑誌の付録 ふぁみたま ひなまつり】

オホーツク街道

2008-02-05 | 文芸
DVD「街道をゆく」シリーズを楽しんでみている。今日も、「オホーツク街道」を視聴した。もう何度も同じ映像に接しているが、視聴の度に、鮮明な映像、重々しい哀愁のある音楽にこころを揺さぶられ、癒されている。いつも涙が出るほど心の豊かさを感じている。
雪の原に立ち、遠い先住民に思いをはせた司馬遼太郎は何を考えていたのだろうか。
1500年前のオホーツク人の面影を追う旅は、日本列島に暮らす人々を、アジア全体から見つめ直そうとする旅、アジアと日本のつながりを探る旅だった。
 モヨロ貝塚の発掘調査で、アイヌとは別の先住民オホーツク人の存在が明らかになった。
数々の出土した残された遺跡から素朴なオホーツク人の暮らしを思った。アイヌとオホーツク人は住み分けしていたようだが、オホーツク人も熊送りの文化を持っていた。司馬は「文化は過去から未来へイオマンテされる。」と言っている。現在をあらしめている過去の荘厳さを思わざるを得ない。

司馬が北の大地に惹かれたように、私もなぜか北には魅力を感じる。オホーツク人の暮らしを思いながら、今流氷に埋まっているオホーツクの海を想像した。そして、今自分があることと遠い昔の先住民を結びつけ、その延長上の自分の生き方を考えた。いつか私も厳寒のオホーツク海岸を旅して、北の大地から過去の人間の営みを考えてみたい。

 司馬は間宮林蔵の行ったルートを辿ってみたかったようだ。樺太(サハリン)から、広大なアジア、中央アジア、ハンガリー高原までの広がりを思う。
 司馬は著書「オホーツク街道」の〈旅の終わり〉で「私どもの血の中に微量ながらも、北海の海獣狩人の血がまじっていることを知っただけで、豊かな気持ちを持った。」と書いている。
 DVDのパッケージには「土を踏む、風に聴く、声に出会う、そしてはるかな時を見る。今日本という土を識る」とある。土には「くに」とルビがふってあった。
 私も出来れば、そんな気持ちをもって小さな旅に出たいと、いつも思っている。



【スケッチ 麗しの磐梯  (崎川浜より)】
  

今日は立春

2008-02-04 | 日々の生活
                  【咲き始めたプリムラ・シネンシス】

 
 今日は立春、流れる灰色の雲の合間から、時折春の陽が射していた。屋根の雪解けが進み、雨樋に流れるせせらぎにも春を感じた。
 窓越しに、冬を越して咲き始めたプリムラ・シネンシスの白い花がすがすがしく美しい。
 「春は名のみの 風の寒さよ」、庭の残雪に埋もれたクロチクの頭が冷たい風に揺れている。しばらくぶりに訪れたシジュウカラが枝から枝へ渡り、春のさえずりがこだまし、なんと嬉しそうであろうか。
 
【シジュウカラ 桐の木に】

携帯電話 あれこれ

2008-02-03 | 日々の生活
  数年前、その題名から想像し同感できそうな「ケイタイを持ったサル」と言う本を読んだ。確かに私には、携帯電話に熱を上げる若者の姿や機械に管理されているような滑稽さが情けなく思えた。現代人が人間らしさを捨てサルに退化しつつあることが述べられ、人間の家族をサル社会と比較考察した家族論でもあった。今こそ人間らしさに気づかなければならない時代なのにと思った。
 しかし最近、これまで毛嫌いしていた携帯に対する私の見方が変わってきた。携帯電話は、もはやラテン語で「どこでもある」という意味合いのユビキタス社会の代表的な道具となった。その機能はますます広がっている。
 私は携帯を持たないし、ほとんど家にいる生活で不自由を感じない。外出するとき、必要な場合は妻の携帯を預けられている。妻は、娘たちやメル友との連絡に、たしかに重宝にしているし、楽しく利用している。子どもたちも、いつも離さずに持っていなければならない身体の一部となっている。大変な時代になったものだ。

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○ この前の日曜日、妻と、娘と孫たちと大型ショッピングセンターへ行った。久しぶりにお昼の外食の計画もあり、孫の面倒を見がてら付いていった。この店は、先日1周年の売り出しをしていたようだが、私は初めて行ってみた。店内には沢山のテナントが入っていて、とても広く、きれいでゆとりがあった。
 皆と別れて、2階の本屋で暇をつぶすことにした。藤沢周平の文庫本と、会津地方の歌碑を紹介する本を求めた。しばらくして、合流しようと思い、預けられた携帯で連絡を取った。ところが連絡不能であった。当たり前にいつでも連絡が付くと思っていたが、誤算だった。赤い文字で圏外表示が出ているではないか。さあどうしたものか。
 一体どこに行ったか?探すには広すぎた。また、まだ開店間もない時間なのに店はかなりの人だった。娘たちも連絡を取っているのではないか、などいろいろ心配になった。でも、いずれは車へ戻ればいいと焦らずにぶらぶらさまよった。探すこと15,6分か、運が良かったのかばったり合うことが出来た。便利な時代になったものだが、困ったことだった。

○ 毎日、孫は我が家から幼稚園に通っている。幼稚園からは、妻の携帯に毎日メールが入る。通園の行き、帰りに2度ずつだ。先ずは、「3分早く運行しています」。つぎが、「あと10分で到着します」である。ところがである、ほとんど毎日、孫が家に戻った頃に「あと10分で到着します」のメールが届くのだ。ほとんど意味がない連絡である。本当に必要な時だけに連絡を入れてもらいたいものだと思っている。

○ 最近、以前はあちこちにあったはずの公衆電話がどんどん無くなっている。携帯が普及し利用が減ったのだろうが、携帯を持たない自分は、公衆電話がなかなか見つからず困った経験が何度かあった。また、未使用のテレホンカードが何十枚もあり、ずいぶん無駄をしたと思っていた。でもこれは、先月の長い入院時にようやく有効に使うことが出来てなんとなく得をした気分であった。
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新しい月が始まる

2008-02-01 | 教育を考える
【 スケッチ 磐梯麗し(笹山浜より、翁島 ハクチョウ)】

 新しい月、2月を迎えた。初めて迎える平成20年2月である。また繰り返される季節を思うが、実はすべてが、見たことのない新しい季節であり未知の空間への旅なのだ。心して見つめていきたいと思う。そんな新しい気持ちで生活するきっかけとなるような気がする。

 今朝の新聞に、あの教育再生委員会の答申のニュースがあった。いろいろ批判したいことがあるが、「道徳の教科化」もその一つ、とんでもないと考えていた。でも、昨今の社会の情勢を見るにつけ、それも仕方ないことかと思うようになってきた。
 関連して、以下はいつかの思い。

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【 子供の躾は家庭から 】

 親の生き様が子供の見本になる時代は終わったのだろうか。若者の不思議な行動を見るにつけそう思われてならない。身近な親の助言が、あまりに膨大な周囲の情報に埋もれている現状だろう。ある面、屈託のないおおらかで伸び伸びした若者だが、わがまま身勝手な、責任感、向上心もない子をも育ててしまった。親子のなれ合いや互いの甘えは良くない。親は長上の義務を果たさなければならず、本来持ち合わせているらしい人間の怠惰な資質に負けてはならない。
 風土や伝統、文化に支えられた尊敬すべき日本人らしさは急速な社会変化に失われた思う。しかし、おはよう、ただいまの挨拶もできないことや、人に迷惑をかける行いなどは、食事が家族バラバラの家庭と無縁ではない。
 ホモサピエンスは人間らしく進化して行くのであろうか。ここ数十年の急速な世の中の変化が、十万年前からの人類の進化に重大な資質変容因子を取り込む心配をしている。
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