エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

絵ろうそくまつりを撮る

2008-02-10 | 日々の生活
今年も会津絵ろうそくまつりが行われた。(2/8,9 午後6時から9時)
最近は、御薬園やお城だけでなく、飯盛山その他市内の各所で絵ろうそくが灯されているようだ。
 毎年、絵ろうそくまつりには、雪が降ればお城に出かけていた。やはり雪降りのなかでこそ、幻想的なお城を見ることができると思った。
 初日は厳しい寒さだったが、雪は降らなかった。2日目、暗くなるころからようやく本格的に雪が降り始めた。いい写真を撮りたいと思い、食事もそこそこに出かけた。
 雪の中のお城は美しかった。えろうそくの灯が点々と灯され、いっそう幻想的な景色だった。
 でも、この幻想的な情景を写真に撮ることはとても難しかった。フラッシュをたくと、雪はいい具合に写るが遠くのお城までは届かない。三脚を持たずにバルブではどうしてもぶれてしまった。また来年挑戦しようと思っている。


***** 会津絵ろうそくについて **** 【会津絵ろうそく実行委員会HPより】
会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれています。

【会津本郷焼の瓦燈に灯る絵ろうそく】