エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

雪の中の 啄木歌碑

2008-02-12 | 街中散歩


雪に埋もれし啄木の文字に手をやる

 

 啄木の年譜を見ながら、高田の法用寺にある歌碑を思い出した。
 啄木は明治44年(22才)、小樽日報記者として活躍中に、社の内紛に関して、事務長小林寅吉と争い暴力をふるわれ退社した。実は、小林寅吉は会津高田町の出身で、晩年この法用寺の住職を務めた。そんな関係から、啄木生誕100年を記念して会津啄木会が啄木の歌碑を建てたのだ。

夕方、思い立って車を走らせ歌碑を見に行った。
三重の塔が雪の中にひっそり佇んでいた。傍らにあるはずの啄木の歌碑はこんもりと、かなりの雪に埋もれていた。雪の中を膝まで埋もれながら碑の近くまで踏み入り、ねらいを定めて雪を手で掘ると、黒い御影石が現れ「啄木」の文字が見えた。
 歌碑は2つあるが、[敵として]の句の一部だけが雪の中からよみがえった。

敵として憎みし友とやや長く手をば握りきわかれといふに
あらそひていたく憎みて別れたる友をなつかしく思ふ日も来ぬ

 二人の悲しい人間関係を思い、啄木の境遇の辛さ、切なさに胸が詰まった。 

折角なので、2百数十年間、風雪に耐え立ってきた木造建築の美しさを鑑賞した。 
【雪の中の法用寺三重の塔】
  県指定文化財、江戸時代中期 安永九年 1780年、銅板葺、高さ 約19m

風雪に耐えて立つ塔春近し


【法用寺本堂)】

【御詠歌】

法用寺本堂は、会津33観音巡りの第29番札所(雀林観音堂)である。
観音堂には、いくつもの絵馬が奉納され、御詠歌も見られた。
「巡り来て 西を遥かに眺むれば 雨露繁き 古方の沼」

参考 【拙ブログ「法用寺にサクラを見る」2007-05-09】

http://blog.goo.ne.jp/tosimatu_1946/e/e334d702479d41a1a89dec4fb4ff39ee