エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

今を生きる (その2)

2008-02-22 | 文芸
    【春らしいデンドロビウム  息子の嫁への誕生プレゼント】

 一日一日、瞬間、瞬間のときが流れていく。
 道元が「今を大切に」と言う、「生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の冬とはいはぬなり。」 に、いろいろ思い巡らしたばかりである。【拙ブログ「今を生きる」(2/19)】

 今朝、「徒然草」を読んでいたら、春、夏の文章に出くわした。
 徒然草155段で、四季の変化を例に、死の到来のすみやかさを言っている。

春暮れて後、夏になり、夏はてて秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣をもよほし、夏より既に秋はかよひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり。迎ふる氣、下にまうけたる故に、待ち取るついで、甚だ速し。
 生老病死の移り來る事、又是に過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも來らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干瀉遙なれども、磯より潮の滿つるが如し。

 生老病死の移ってくることは、 人は誰でも死が来ることを知っていながら、自分の死についてそんなにも切実でないため、不意にやってくるのだ。これは、道元の「今ここに」に通じるこころだと思う。九死に一生を得た我が身であれば、今を大切に生きなければならないと痛感する。

 またさらに、兼好は徒然草93段の「牛を売る者あり・・・」で、
 「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」と書く。
 
 今生きていることの喜びを日々新たにしたいものだ。