エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

「今を生きる」

2008-02-19 | 日々の生活


【麗しの磐梯  赤井より】

   いつか、東京丸の内に相田みつを美術館を訪ねたとき、すり減る程に読まれた彼の愛読書、道元の「正法眼蔵」の文庫本が展示されていた。そのとき彼の作品に禅の思想を垣間見て納得したことを覚えている。
丁度、私自身大病を乗り越え、死の淵から生かされたときで、それまでの人生観が一変し、「今を生きる」という道元の教えに出会ったころであった。
 それ以降、難解な道元を理解しようと思い、いろいろな解説の参考書などを読みあさった。

 今日は久しぶりに春の気配を感じさせる天気、庭の銀世界に春の陽ざしが降り注ぎ、最高気温も3℃まで昇り、穏やかな日であった。今日は暦の上では「雨水」と言うらしい。しばし、縁側の大きな窓を開け、孫と遊びながら静かな庭を見つめた。

  冬から春へと巡る季節は、実は春、夏、秋、冬の連続したものではなく、その一瞬一瞬の空間、時間はそれぞれが、冬は冬、春は春と独立しているのだという。
 道元の「正法眼蔵」には、〈現成公案〉に「前後際断」の思想が書かれている。
 中野孝次の勧めで、私もときどき〈現成公案〉の一節を声を出して読んでいる。
「生も一時のくらいなり、死も一時のくらいなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の冬とはいはぬなり。」
 冬が去り春が来ると言うより、冬は冬、春は春であって、同じように生は生で完結していて、死は死で完結している。生が死に移ると考えるのは誤りで、生のときは生しかなく、死のときには死しかない。前も後ろも、因も果も、過去も未来も、遠も近も、全部の関係を断ち切った「今ここに」と言う時だけがある。過ぎ去った過去はすでに無く、未来はまだいていない。今という時だけが続いていく。
何度も繰り返していると、何か少し分かったような気持ちになってきた。そして、目の前にある美しい自然の「今」を愛でながら生活していこうと思うようになった。

 「今ここに」と言う、瞬間、瞬間を受け入れながら日々を過ごしていきたいと思っている。