こんな本を読んでいる

日々出版される本の洪水。翻弄されながらも気ままに楽しむ。あんな本。こんな本。
新しい出会いをありがとう。

まるで速記者のように

2005年10月19日 | Weblog

 「彼らは驚くほどノート取りが速かった。講義の内容でなく,教授たちが学生たちの眠気を醒ますために披露する冗談話まで書き込んでいたりする。そういう学生の一人にオハイオ州から来た女子学生がいた。(中略)私が彼女に見たのは,自分の価値観を大切にする伝統的な保守,旧きよき米国人の姿である。声も柔らかな彼女は,おっとりした見かけからは想像もできないような能力を備えていた。彼女のノートの取り方はピカ一で,まるで速記者のように教授の咳の音まで書いている感じなのだ。」(『何があっても大丈夫』P209~210から引用)

 かつて,東京大学の25番教室で,ちゃっかり,講義を聴講させてもらったことがある。憲法の芦部と民法の星野。当時売れっ子の学者の講義である。その東京大学の講義を聴講して不思議に思ったのは,規則正しい音が教室内に反響すること。この規則正しい音の正体は,ペン(万年筆)が走る音なのである。何と,その教室の学生たちは,ほとんど口述筆記に近い形でペンを走らせているではないか。驚きだった。

 講義が終わって購買部に入ってまたまた驚き。この先生たちの講義が講義録として売られている。その内容は,ほとんど,口述筆記そのもので,中には,先生が校閲してくれたものまである。なるほど,咳や冗談も含めて,口述のものは理解しやすいし,印象にも残りやすい。理論を立体的に捉える手助けになる。なるほどと感心した。

 以来,メモとりにおいては,このライブ実況中継型を継承している。ライブ感のあるメモとりは,復元力が格段にまさっている。えらーい大学の先生に同行して自然保護関係の仕事でとある野鳥園を訪れたとき,このえらーい先生からメモとり&質問力を誉められたこともある。

 話していることをそのまま筆記するというのは,原始的で知的活動とはほど遠いような気がするけれど,案外,体を総動員して話しに集中するので慣れると結構役にたつ。メモとり上手な米国人の話から妙なことを思い出してしまった。  


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