注釈の注釈による超現実詩小説
棺詰工場のシーラカンス
【14】白い殻
鶏の卵を割ったあとに残る分裂症気味の殻は、そのまま捨てないで卵よりわずかに大きいもの(生物である方が効果的)をそばに並べておくと、どうにかして中に包み込もうと空気中のカルシウムを吸収しながらわずかに膨張するため、対象を段階ごとに変えていくことで任意のサイズに調節できる。最近では 成長の早いヒヨコ【17】を用いて、殻の母性的な衝動を導いてやる方法が一般的となっている。大切に育てられた殻は、両性類の卵のつややかで透き通った同心円を前にすると、満足げに中に取り込んでひび割れた関係を修復し、ついには真っ白な下膨れの楕円球となるのだ。
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【13】円化ナトリウム・円化カルシウム
円化カルシウムは、動物の骨や歯の主成分であるカルシウムと円素との異音化合物で、卵の殻の形状や復元率の高さ【14】からその効果は明らかである。
リンク元【12】次の顧客・カルサワ君・ホテル【11】最初の顧客・ミラー氏【8】目的地
【12】次の顧客・カルサワ君・ホテル
リンク元 目的地【8】
【11】最初の顧客・ミラー氏・待ち布施
ミラー氏と呼ばれていた彼は、両性類の卵を円化カルシウム【13】の白い殻【14】で卵形に包み込んで保水し、車【52】の助手席に載せてぴかぴかの小さな王冠をかぶせると(あくまでミラー氏の個人的な趣味である)、海沿いにある棺詰工場【349】へと向かった。検問所の前にはすでに二十数台の車が並んでいて、各地から集められた卵が助手席や後部座席に載せられている。殻の表面に汗の滴が散らばっている。今日も暑い日だった。歴史【302】たちがのっそりと建物をまたいでいくのが見える。そのおぼろげな姿を透して見ても、太陽はやけに眩しい。突然、両の手のひらで車の窓が叩かれた。卵の滴がいくつも弧を描いて流れ落ちる。待ち布施か……とミラー氏は呟く。男は真っ黒に汚れた顔のうしろに、埃や汗でフランスパン【15】のように固まった長い髪の毛を垂らし、体にはボロを重ね着している。正に貴族【16】だった。おじぎ【163】をしろ、おじぎをしてくれ、頭をさげろ、と彼は所望したが、ミラー氏は貴族が見えていないかのように、分厚い百科事典【83】を開いて読み始めた。一台分前に進んだ。後ろには三台増えていた。
リンク元【8】目的地
【10】ありふれた男・僧侶
男性と女性の中間にあたる俗称は、区役所【106】の中間管理職よって抹消されているが、個人を分類学的に両性類【2】と呼ぶのもはばかられるので、風貌を基準に男と表記した。
出家前の修行者たちはまず靴を脱ぎ揃え、世俗的なわだかまり【62】を排泄することで聖ホルモンのヌミノーゼを盛んに分泌し、眼球、歯、生殖器、骨、手足などに蝋化現象を誘発させる。蝋化した部位が脱落して具足戒と呼ばれる姿に変態すると、家族の戸籍から抜かれて僧綱に属する僧侶となる。これが出家である。
僧侶たるもの、蝋廃物とはいえども無駄にはしない。蝋化した足は、薄暗い僧院を照らすための蝋足として用いる。なかには敬虔な気持ちが高ぶりすぎて全身が蝋化してしまう者もいる。著名な人物なら、蝋人形として礼拝堂に展示されることだろう。
出家してからしばらくは、全身の蠕動だけで動き回るための激しい修行〈蠕〉に勤しまねばならない。最初は魚座や天秤座などの姿勢で座蠕しているにすぎないが、苦悶を伴った蠕悶動に堪えているうちに僧帽筋が発達し、蠕の境地に達するのだという。そうなれば後は縦横無尽に神へと至る道【4】を掘り進むのみである。
俗世へ派遣される僧侶たちは、義肢や義眼など目立つ部分を補装してありふれた人間の体裁を整えなければならない。時にはテクノ坊と蔑まれるこの格好ができるのは等身大の僧侶だけで、解脱を繰り返した大僧正ともなれば体長は十メートル、体重は十トンにまで達する。だがひとたび脱皮(よく言えば解脱)して虚無僧【355】になれば、あらゆる大きさであらゆる場所に遍在することとなる。
リンク元【8】目的地【2】両性類
【9】白い箱形の建物・立方体・鯨
各地に散在する白い箱形の建物は、立法体である。まずは空を見上げていただきたい。雲間【35】に浮かぶ巨大な座頭鯨の威容が見えるだろうか。万人の手に触れぬよう法務省によって空に係留されている六法全書である。畝状の腹には、かつての偉大な大法官であるベーコン師の言波が編纂されている。その部位を角切りにした角座頭は、裁判官たちの舌を甘く潤すばかりではない。拡大解釈によって膨張させ各所に設ければ、こまごまとした取引から大がかりな裁判、時には法務パーティー(その際には琵琶を奏でてくれるという)にまで貸し出される立法体となるのだ。ひとたび中で違法行為が行われれば脱出不可能な拘置所となり、被疑者を閉じこめたまま裁判所に直行する。半世紀ごとに形骸化した言波を表皮に排出して脱皮するが、市街に落下して甚大な被害を引き起こすため注意が必要である。
リンク元【8】目的地
【8】目的地
地面から這いだしてきた僧侶が、ゼンマイ仕掛けのようにゆっくりと立ち上がる。瞼は閉ざされている。僧衣を通して空気の流れや陽の当たり具合を感じながら、近くにある 白い箱形の建物【9】へと歩み寄り、しっとりと濡れた弾力のある壁に体をうずめていく。ひんやりとした清明な空間に抜け出た僧侶は、土色の僧衣を脱いでありふれた男【10】になった。次に両手を突き出し眼を見開いた途端、両手にあやふやな量感を覚える。男は商人であった。なぜなら目の前には顧客が待ちわびた様子で座っていたし、腕のなかで震えている透明と黒の同心球を、彼は必要としていないからだ。白い空間の四方から無数の視線を浴びせられるのを感じながら、最初の顧客【11】に卵を手渡した。顧客は卵を優しく抱えたまましゃがみ込むと、深く頭をさげてしばらくそのままの姿勢を保った。思いがけずすばらしい報酬に商人は喜び、相応しい時が訪れるまで取っておくことにした。次の顧客【12】は、商人から僧衣を受け取ると、生地の編み目にへばりついた円化ナトリウム【13】の結晶をスコップでこそぎはじめた。袋がいっぱいになると、僧衣を返して頭をさげる。そう珍しいおじぎ【163】ではなかったので、商人はこの部屋から立ち去るときの賃料として使った。商人は僧衣をはおった。二百人分の罪が彼を強く締め付けた。
リンク元【4】地下洞窟
【6】リンパ線
僧侶【10】の分泌液でコーティングしたトンネルに海の体液を満たした無人路線。元々は機車を請う虚無僧【355】を宥めるために作られたという。運営者のリッター元帥【一九四】が余暇で車掌【193】を務めている。
血管を引きずりながらリンパ駅にやってきたイリヤイリイチ【51】は、おじぎ【163】もせずに駅員からチケットを受け取り、裏側の文面にざっと目を通してサインを済ませると、改札口を通り抜けた。チケットは無料だが、プラズマ【49】との雇用契約書を兼ねているためである。
プラットホームに一人乗りの球形車輌が音もなく到着した。海水が排出されるのを待って、半透明の殻に覆われた車輌に乗り込む。長い血管が滑り落ちてとぐろを巻いたが、さりげなく現れたリッター元帥が慣れた手つきでたぐり寄せて車輌に押し込んでくれた。注水がはじまり、車体が揺らぎながら浮き上がると、暗がりに向かって滑るように動き出した。海水に含まれた夜光虫が瞬く中を、ときおり回転しながら進んでいく。
「次は……」
何度も車内放送が流れるが、いつも途中から聞き取れない。
「次は……」
イリヤイリイチは気にしていない。どこへ向かっているのかも。どれだけの時が過ぎていったのかも。
リンパ線の路線図は公表されておらず、停車駅も確認されていない。それゆえ過去には黒子病【166】の感染者を輸送するのに役立てられた。現在では「どこでもいいから行ってくれ!」という性急かつ自暴自棄な乗客に重宝されている。〈区役所の極秘書類【272】によると、乗客は第三世界【268】に出兵させられているらしい〉といった内容の魚【78】がまことしやかに水揚げされているが、その鮮度に疑問があるとして区役所【106】は回収するよう求めている。
イリヤイリイチはまどろみはじめる。
リンク元【4】地下洞窟
【5】反物
リンク元【3】湿地帯
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