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【四二】足跡・改竄中毒者

 蒸留によって足跡から抽出される暗号【五六】には、研究施設でもなければたやすく解読できないとはいえ、本人ですら忘れている出来事や未知の些細な行いまでもが事細かに記録されているため、足跡が残らないよう都市をアスファルトやコンクリートやタイルなどで覆うようになった。個人情報反故法が施行されてからは、出版社【二○五】や保険会社による盗靴が盛んになり、自衛のために 靴底の改竄【四七】に多大な労力を注ぎ込む人々が増加した。
 ただ、ウーティス氏の場合は少々事情が異なっていた。泥棒で生計を立てている彼にとって、現場に残された足跡が自分の靴底(ソール)と合致することは甚だ迷惑なのであった。せっかく改竄しても新たな靴底に合わせてウーティス氏当人の人格までが変質してしまうため、僕はわたしではない、わたしは私ではない、私は俺ではない―― と終わりなく改竄を繰り返さざるをえない。そうやって増えていった同姓同名の他人たちが軽率にも各地に足跡を残していくので、ウーティス氏は心穏やかではない。なにしろ靴底の改竄をするたびに慈悲出版されるウーティス氏そっくりの自伝が、出し抜けに玄関の扉を叩くのである。献本だというので仕方なく部屋に通すと、ウーティス氏がしでかしたことになっている恥ずべき行為の数々を詳細に語り聞かせようとするので、耳を塞いだまま代蟻士【二二七】の先生の元に駆け込むことになる。
 改竄中毒に陥ったウーティス氏は、太ったり痩せたり老いたり若返ったりを繰り返しながら街で彷徨っていた所を白服【二九】に回収され、更正施設【三七】に放り込まれた。治療のため皮下に水素を注入されたウーティス氏は、浮遊する羊飼いの生活を始めることによって、足跡への固執を一時的に忘却した。だが、羊飼いの生活を長く続けると靴底が減り、元の知性を取り戻せなくなるばかりか生殖機能まで失うため、行く末はあわれな天使【四八】という事態にもなりかねない。それでも警察【一九七】に捕まるよりはましだ、とウーティス氏は羊の群に身を潜めたまま羊擬者となった。眼下には氏に逮捕劇を読ませようと活字たちが集まっていたが、むろん羊擬者の足取りをつかむことなどできはしない。

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