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【182】街路に眼を向ける・集色活動

 ガラスは五感のすべてを透明な薄板の両面でまかなっているため、眼球【66】のみを限定することはできない。
 ノキタハ博士が硝子化して最初に驚いたのは、見えるということ。あるいは匂うということ。感じるということ。それも全方位が。時には窓枠に収まっている自分の姿までも。次に驚いたのは、驚いていること自体、つまり朧気ながらも意識があるということ。色を失った後に残るのは海の意識だけだと考えていたノキタハ博士は、空恐ろしくなりながらも思考を巡らせているうちに、自らの全身が、通り過ぎる色々な車【52】、豊かに生い茂った街路樹、ベージュの分厚いカーテン、灰色にくすんだ絨毯、ワックスが塗り重ねられた褐色の調度類、パイプ【39】から立ちのぼる乳色の煙、うっすらと虹色【264】を揺らせている滑らかな曲面を持った半透明の薄塊【340】といった室内外からの集色活動によって隙間無く満たされ、思考を託されているのを感じた。だからこそ彼には窓枠に収まっている自らの透明な姿が見えたのだ。

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【176】窓・なんらかの反応

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【181】上等な肉・アルハサン家・葡萄

 葡萄館に住むアルハサンは、自分がワイン職人であることを片時も忘れたことがない。彼の夢はワイン作りの成功である。荘園【108】から葡萄を買い取ると、桶に入れて足で踏みつぶそうとするのだが、葡萄はその刺激によって鍛えられ、筋肉をつけて巨大化していくばかりなので、一向に次の工程に進めない。仕方なく冷蔵庫に押し込んでおくと客人が買いに来るようになり、ここの肉はとても美味しいよ、肉汁がたっぷりだしね、などと褒めてくれるのだが喪失感は拭えない。巨大化した葡萄を地面に落とすと力強くバウンドし、跳ねるたびに筋力が鍛えられていくのかぐんぐんと高さを増して、ついには空へと消えてしまうので、常に緊張感がつきまとう。手元が狂った夜には流れ星が見え、朝になるとどこかの地面に小さなクレーターができている。中心に埋まっている隕石が芽吹いて幹や枝を伸ばし、やがてワインに最適な星葡萄が実ると、その一帯は荘園として王【98】に領有されるのだろう。アルハサンのもとに区役所【106】から督促状が届いた。筋力トレーナー、肉屋、流れ星職人、農奴、背徳者のいずれかを早急に選択のこと。

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【173】野生のかわいいもの

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【180】痛みから解放された、色なのです!・ある事実―― ノキタハ博士の論文9

「ただし」とメイソン氏は拳を振り上げた。「ノキタハ博士はある脅威を恐れ、色から人間への変化については詳しく触れておりません。むろん当局の目や、市民のパニックを憂慮してのことなのでしょう。ここで証拠物件である論文に、ノキタハ博士が愛飲したワインをぐぃと空けていただきましょう」とグラスにワインを注いでは論文に飲ませ、数本空にしたところで、「さて、ここでもう一度、先程と同じ箇所を声に出してもらいましょう」
 ノキタハ博士の論文は大きく体を揺らしながら、舌っ足らずに語りはじめた。
「つまる、ところ人間とぅは、地上へのぅ侵略のぉとぅあむぇに頭にぃ寄生した海水にぃ、感覚器官ぅや思考器官、うぇと、集中すぃてくる、情報うぉ、丸投げすぅることに成功すぃ、発声いぁ思考、のぅ統合うぉ、行う際の痛みかぅらぁ、解放された、色もの、なぁのれぇす」
※この発言は、非公式ながらすでにデューイ所長によって否定されている(【90】を参照のこと)。

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【172】平行線の焦点を結べばよいのです・色と物質は同じものである!―― ノキタハ博士の論文7【169】この事実には戦慄せざるをえません。【147】弁護士のメイソン氏

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【179】色々な色を産み出してきました―― ノキタハ博士の論文8

 そう、自然界では我々だけが子宮の中へと身籠もっていく(例【36】)ので、特権的な存在だと錯覚しがちではありますが、動植物が下等な本能に突き動かされて多様な種を産み増やしてきたように、我々もまた際限なく色々を産み増やしているだけなのです。意識などないと思われていた色に、まがりなりにも人格らしきものを認めることができるようになったのも、我々が名前を憑依させた結果です。もっとも色は憑依を敬したりはしませんが。将来的な廃棄を目指して無数の商品を生産し続けているのも、ひとえに世界を増色させたいというやむにやまれぬ衝動に突き動かされてのことなのです。

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【172】平行線の焦点を結べばよいのです・色と物質は同じものである!―― ノキタハ博士の論文7【147】弁護士のメイソン氏

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【178】有色人種・本来の赤い肌

 無色人種というのは存在しない。色がなければ人とは呼べないからである。
 ヘモグロビンとの酸素結合のため赤を基調としている人間の体は、装着した審美眼【57】つまり色眼鏡の種類に応じて相関的に色づいているのだが、それに乗じた区役所【106】がプリズムを用いてバスケットボール、映画スター、レストランなど幅広いジャンルにおける色の分化政策を行ったため、各ジャンルに特化した審美眼が高額で取引されるという現状を生み出した。特に人気があるのは、自らを偉大な仏教徒【25】であり、すべての色の集合体であると喧伝している白色人種である。白は仏舎利、つまり米の色を起源としている。ただし色の集合体が白であるという弁は、RGB変換された視線においての話であって、混色すれば黒になることが失念されている。ともあれ、誰も彼もが同じ存在であることを赤裸々にしてしまう人間本来の赤を可視的に表すことはタブーとなってしまった。今では酒に酔った時や、赤ちゃん、赤ん坊、赤子という呼び方、産まれる直前の柔肌の色に名残が見られる程度である。その風潮に反発する一部の原色主義者たちは、赤い全身タイツで身を覆うことで、本来の赤裸を表す運動をあからさまに行っている。当然ながら区役所の一部門であり、違法な分化人【55】を取り締まる消坊署(皮肉にも原色の消坊士が多く勤めている)によるアカ狩りの対象とならざるを得ない。

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【172】平行線の焦点を結べばよいのです・色と物質は同じものである!―― ノキタハ博士の論文7

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【177】傘・蝙蝠・オゾン僧・夜

 よく軒先で逆さまにぶら下がっている蝙蝠は、足を握ると翼を半球状に大きく広げるので雨や視線を防ぐ傘として、また超音波を送受信する習性からパラボラアンテナとして生きたまま活用されている。大型のものはCASAと表記され、アウトドアでは家がわりに用いられる。
 蝙蝠たちは、かつてたった一人で太陽に反旗を翻したオゾンという修行僧のなれの果てだと言い伝えられている。大僧正【10】の命により、ありふれた独身男としてスクラップ場【110】に就職したオゾン僧は、動物介護団体との果てしない攻防【105】の末、太古に遡った。そこはあらゆるものが太陽に完全な隷属を強いられる世界だった。団員たちの体は白熱に包まれてまもなく燃え尽きたが、素早く僧衣【1】を羽織ったオゾン僧は命拾いし、太陽の目の届かない洞窟の奥深くに逃れ、腐葉土を食べながら静かに増殖を続けた。増えに増えて押し合いながら洞窟の外に溢れ出てきたものから順に、赤道【220】の暖気を僧衣に孕ませふわと浮かび、激烈な視線に抗いながら飛翔していった。次々と視線に撃ち落とされながらも無数のオゾン僧たちが天空を埋め尽くし、世界はしだいに翳りはじめた。
 あちこちの洞窟から、ほつれた毛糸に似た頼りなげな動物たちが姿を見せはじめた。
 オゾン僧たちは空に漂いながら、ゼリーのように震えてはぶるるんと分裂し続けた。一人のオゾンが二人に、百のオゾンなら二百に、五千のオゾンなら一万に、五千万のオゾンなら一億に――という具合に増え、今にいう清僧圏を形成し、やがて地球は初めて瞼【149】を閉じたのだ。
 動物たちはかつて経験したことのない心安らかな眠りに満たされた。
 太陽は半日をかけてオゾン僧の半数を焼き尽くし、世界を再び見下ろしたが、オゾン僧も半日をかけて地球を覆い尽くし、世界に再び夜を引き戻した。焼かれても焼かれてもオゾン僧は増殖し続け、地球は昼と夜の瞬きをするようになった。
 世界は生き物で豊かに彩られるようになった。海からは渚【46】がうち寄せはじめた。
 オゾン僧には世界を覆い尽くす本能しか残っていない。もはや太陽の視線なしには増えることもできないのだ。果てしなく繰り返されたその戦いは果てしなく繰り返されていくのであろう。
 衰弱して浮力を失い地上に降りてきたオゾン僧が、いま手にしているこの蝙蝠なのだと思うと、人々は涙を禁じ得ない。その哀しみが雨を降らせ、無数の罪深い足跡【42】が透けて見える翼を開かせるのだ。むろん蝙蝠は日傘として使う方が本来の使命に準じているのだが、家畜化して飛べなくなった同類(いわゆる野球用バット)のようにボールを打つことではエネルギーを発散できず、視線を吸収しすぎて爆発することがままある。鉄道でときおり勃発する無自覚な無差別テロがそれである。雨の日は傘の置忘れに注意しなくてはならない。

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【○】卵【35】空にはみっしりと羊が浮かび【149】Cを35%ほど増やしてYを0・遺伝情報【171】太陽の色々・太陽が爆発を繰り返していた――ノキタハ博士の論文6

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【176】窓・なんらかの反応

 窓として設置されたばかりの頃は、歴史家である【310】シュシ・イタマが仕事をするのを毎日ただ眺めていたノキタハ博士であったが、放屁の連続によって音玉じゃくし【74】が泳ぎ出すことを除いては、半透明の薄塊【340】に何かを刻んでいるのが見えるばかりで極めて退屈だったため、街路に眼を向ける【182】ことにしたとある早朝、人や車【52】が慌ただしく通り過ぎていく混雑の中に、巨大な紙袋を抱えて駆けてゆく彼女の姿をとらえたのだった。翌日も彼女は紙袋を抱えて通り過ぎていった。そのとき突然走っていた車がパンクして、タイヤの中からカルサワ君【12】(名札にそう書いてある)が転がり出てきた。驚いた彼女は体勢を崩し、紙袋の穴あきドーナツもどき【43】を地面にばらまいてしまった。カルサワ君は慌ててドーナツもどきを拾い集めていく。足を踏み外して穴【50】に落ちかけ、危ういところで彼女に手を差し伸べられて助かるが、彼は頭をさげるだけの礼【163】を持ち合わせていない。平身低頭で精一杯だ。彼女はそんなことを気にもせずに明るく笑っている。離婚する前に【183】この病にかかってしまったため、結婚生活や恋愛を知らないノキタハ博士にとって、彼女はとても新鮮で美しく映った。映った像は反射によって隣の家の窓へ、窓から通り過ぎる車の窓へ、車の窓からショーウィンドウへ、と次々に伝達されていき、それを見た床屋【53】やドーナツ店をはじめ各地のガラスから目撃像が続々と寄せられた。皆からはオーリャ【51】と呼ばれており、かつて結婚【184】していたイリヤイリイチ【51】という貧血気味の恋人がいること、その恋人のために毎週穴あきドーナツもどきを買っていくこと、それをイリヤイリイチは不機嫌そうに食べること、それでも内心では感謝しているらしきことなどを博士は知ったのだ【185】

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【170】配送先・今やどこかの家の窓ガラス【147】弁護士のメイソン氏【52】車・容器を抱えた人々の列・機関坊

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【175】デスマスク

 ケーブルテレビ【154】のモニターである念土が陥没して顔面の形になると、視聴者は恐怖に震えながらも自らの顔をはめ込もうとするのだが、大きさや形状が合わずに安堵と失望の入り混じった気持ちで胸を撫で下ろす。万が一ぴったりと隙間なく顔面が収まったなら、劇的な美顔効果が得られるばかりか、一ヶ月は紙面【32】を賑わせるであろう扇情的な殺人事件の被害者に選ばれ、カメラマン【155】を兼ねた異常犯罪者に惨殺される姿が別の番組で放映される。作りのあまいマスクは人気があり、何度も再放送されている。

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【167】あやふやな言波や観念が淘汰【127】一顔レフカメラ・フィルム

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