トリCのブログ

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自分で考える朝日新聞

2008-01-14 13:11:00 | 政治
成人の日に―「KY」といわれてもいい(朝日新聞)

   「おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」。祝日法がかかげる意義は、なかなか魅力的だ。でも、「大人になることの意味」までは教えてくれない。一人ひとりが答えを探していくしかない。

そこで、一つ提案をしたい。

大人になったら、ぜひ自分の力で考え、自分の足で立ってみよう、と。  たとえば、サッカー日本代表のオシム前監督は、「走ること」とともに「考えること」を選手に求めた。生きていくうえでもサッカーと同様、考えるべきことは数限りなくある。

~中略~

それだけに、若者に広がる「KY」(空気を読めない)という言葉は気がかりだ。自分たちと違うと感じた相手を排除する。仲間はずれが怖いから、みんなと同じであろうと必死になる。流行語が招くこの風潮にがんじがらめになってしまうと、まわりに流され、やがて自分の意見さえ持てなくなる。    

朝日新聞の社説を一部抜粋


いかにも朝日新聞らしい切り口だ。しかしKYと言えば朝日新聞の黒歴史用語(知らなかったら「KY 朝日」で検索してください)なのは有名な話でありそれを「全くそんな言葉は存在しない」かのように振舞う社内へ配慮する空気の読みっぷりは少しは自分の頭で考えてみろとでも言いたくなる。

気になるのはオシムを例えに出しているところだ。オシムの故郷は共産主義という政治思想的に「究極のシステム(戦術)」で成り立っていた。いかにも頭の良さそうな人間が感化されそうなシステムである。この為かどうかオシムという人は一つの戦術にこだわるサッカーファン(もちろんそれが究極だと思っている)を軽蔑しているところがある。

これは全く同じ事が政治でも言えるわけでいつまでも戦後のシステムに思想を支配されて自分の頭で記事を書けない朝日新聞記者はサッカーで例えるなら-----

監督の戦術に異を唱えフロントのやり方に口を挟み、選手とサポーターを扇動するサポーターのリーダーだ。ところがこのリーダー、ライバルチームである敵対するチームのフロントとはおいしい関係であり怪しさ満点である。本当に自分のチームをサポートする人間なのか…?

まあもしこういう人間に「自分の頭で考え行動せよ」と言われたら速攻でやる事はひとつだ。こいつをとっとと他チームに売り渡して監督・フロント・サポーター・選手で一体となる事だ。内輪もめを扇動する人間のいるチームに常勝はありえないのはサッカーでは常識である。