創作 彩音(あやね)との別離  6)

2024年06月28日 21時21分19秒 | 投稿欄

彩音は、不忍池沿いのマンションの6階の部屋に住んでいた。
「あなた、私のマンションに寄ってゆく? パパにも会ってほしいのよ」昭は思いがけずに女から誘われた。
その界隈は、昭にとっては、特別な意味あいを込める地域であった。
その地はまさに森鴎外の小説「雁」の舞台そのものであった。
昭は、大学の卒業論文では、「森鴎外と女性」をテーマとしたのだ。
「パパは、怖い顔をしているけど、心はとても優しいの」
女は、気乗りしない昭の心を察して、「今日は、このまま帰りなさいね」と言いながら、昭の唇に口を寄せた。
「あなたには、今度は何時会えるの?」女は懇願するような視点であった。
「1週間後、あの上野喫茶店で、午後6時に」
「そうなの、また会えるのね」女は真顔で視線を注ぎ熱く昭を抱擁した。

朝鮮の北の女で2世の彼女のは、昭のデートの約束から、万景峰号(マンギョンボンごう 朝: 만경봉호)の乗船を延期する。
その船は北朝鮮の貨客船であり、船名は平壌郊外にある山、万景峰から名付けられた。
『万景峰号』と、金日成主席の80歳記念に1992年に寄贈された『万景峰92』がある。
彼女の父は朝鮮の在日1世で、パチンコ経営や朝鮮料理店の経営で得た多額の収益で、北朝鮮を支援する。
船は在日韓国・朝鮮人らの資金により建造されたのだ。

彼女の母は、27歳で子宮がんで亡くなり、北朝鮮に骨を埋葬すること懇願したことから、年に1回の命日では、父と娘は万景峰で北朝鮮の母の故郷である墓地へ向かっていたのである。

参考

『万景峰号』は1992年6月より主として日本新潟と北朝鮮の元山の間に就航(不定期)していた(片道27時間)。

旅客輸送では、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)が窓口となり、取り扱うのは、在日朝鮮人の祖国訪問(親族訪問等)や親戚への物資の輸送、朝鮮学校修学旅行等であった(後に入港禁止につき運行停止)。

元山・新潟間とは別に、神戸港からの在日朝鮮人の里帰りや朝鮮高級学校の修学旅行に伴う航行を行ったことがあるほか、親善訪問にも使われた。

 

在日本朝鮮人総聯合会(ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を支持する在日朝鮮人のうち、「主体(チュチェ)思想」を指導的指針としてすべての活動、運動を展開しているとする人々で構成される団体

1945年昭和20年)結成の在日朝鮮人連盟GHQによって「暴力主義的団体」として解散させられた後、新たに設立された在日朝鮮統一民主戦線を経て1955年に設立

略称は朝鮮総聯(ちょうせんそうれん、チョソンチョンニョン、조선총련)で一般にこの名称で呼ばれることが多い。報道などでは朝鮮総連とも表記される。最高責任者は、2012年より許宗萬中央常任委員会議長が務める

法人格がない「権利能力なき社団」。

朝鮮総連中央議長を始めとする数名の幹部は北朝鮮の代議員(国会議員)を兼任して。に複数の元構成員が土台人となって北朝鮮問題に関与し、祖国防衛隊事件文世光事件を引き起こした歴史的経緯から、公安調査庁から破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定されている

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