女が悟を誘ったのは、松戸駅から離れた寿司屋であった。
「このお店はね、パパのつけがきくので、遠慮なく食べてね」
カウンター席に、二人の客が居た。
女は個室の座敷席へ向かった。
「先ずは、自己紹介ね。私は北沢真央。あなたは?」
「大橋悟、住まいは北小金」
「そうなの。近いのね。私は馬橋」
真央は、お好寿司を注文した。
「まずは、乾杯ねよろしく」
悟は日本酒を飲み、真央はビールを飲む。
1990年代には、まだ飲酒運転が多めに見過されていた。
「恥ずかしい話なのだけれど、パパは高校生と何度も「援助交際」でホテルへ行って逮捕された。バカな男ね。病院の医師のくせに、40代でママが乳がんで亡くなる前から、看護婦と不倫したり・・・」
真央は母の無念さを想い涙ぐむ。
「私の元の彼も、私がいるのに、浮気ばかり、それで別れた。あなたは真面目そうだから、浮気はしないわね」
真央は目を大きく見開いて悟を見詰めるので、彼は沈黙するばかりだった。
彼は女性からまじまじと視線を受けた経験は皆無だった。
そして、真央の容貌の美しよりも、甘い声に魅せられた。
彼女の歌声が聞きたくなる思いがしたのだ。
参考:矢島・宮台(1997)によれば、「援助交際」という用語には3つのルーツがある。
1つめは、1980年代前半の愛人バンクにおける「長期的愛人契約」を意味するものである。
2つめは、1990年代前半のダイヤルQ2などに関して「売春」を意味するものである。
3つめは女子高生デートクラブの間で使われたもので、「売春」行為または「非売春」行為を意味するものである。
元は日本の若者が使う売春の隠語であった。
しかし次第に社会に広まっていき、1996年には「援助交際」という言葉は流行語大賞にも入賞するほど世間一般に知られるようになった。
参考:1970年に飲酒運転に対する罰則が登場して以降、しばらくはそのままだったのですが、1990年代の後半になると悪質な飲酒運転による事故が起き、被害者家族を中心に厳罰化を訴える動きが活発化しました。
その結果、2002年には呼気アルコール量が0.25mgから0.15mgまで引き下げられ、罰則も大幅に厳しくなりました。
参考:19世紀および20世紀初頭は、医師が男性の職業であったように、看護が女性の職業と考えられていた。
病院と医師は、看護する女性すなわち看護婦を無償または安価な労働源だと見なしていた。雇用者、医師、教育者による看護師の搾取は当時珍しいことではなかった。
看護婦から看護師へ移行。
20世紀後半に職場の男女機会均等への機運が高まる中、公的には看護がジェンダー中立の職業となったが、実際のところ男性看護師の割合は21世紀初頭における女性医師の割合をも大きく下回っている。
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