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免疫力はワクチン接種以外でも上げられますか

2022年10月08日 12時31分42秒 | 医科・歯科・介護

睡眠時間の確保、運動、禁煙、肥満や低体重を避けること、バランスのよい食事を摂ることなどが感染防御のために有利だと考えられています。しかし、食事の工夫などのみでワクチンのように特定の感染症のリスクを下げることは困難です。
「免疫力」は厳密な定義のある言葉ではありません。

人間の体を病原体から守る免疫の仕組みは非常に複雑なものであり、免疫機能を単純な言葉で表現することは困難です。

免疫システムは大きく「自然免疫」と「獲得免疫」に分けることができます。

自然免疫と獲得免疫はお互いに協力しあって私たちの体を病原体から守っています。栄養、運動、睡眠、ストレス、肥満などが免疫に与える影響については、多くの研究が行われていますが、完全にメカニズムが解明されているわけではありません。

一般的に、よく睡眠を取ること、運動すること、禁煙すること、健康な体重を維持すること、バランスのよい食事を摂ることなどが、感染防御に有利に働くのではないかと考えられています。

ワクチン接種は特定の感染症に対して、自然免疫や獲得免疫を活性化させ、感染リスクを下げることが知られています。

逆に、食事などの工夫のみでワクチンのように有効な感染症防御を行うことは難しいと考えられています。

 


中和抗体とは

2022年10月08日 11時49分00秒 | 医科・歯科・介護

新型コロナウイルスワクチンの接種を受けても、「中和抗体」が体内に作られない人もいる。

中和抗体は、新型コロナワクチンの接種後に体内につくられる抗体のひとつで、ウイルスに結合し、細胞への侵入を妨ぐ効果があります。

ワクチンの接種とともに抗体の有無を確認したいというニーズが高まっていて、感染リスクやワクチン効果の見える化に注目が集まっています。

中和抗体値は2回目摂取から時間がたって低くなって来ますが、例えばオミクロンに感染して無症状であった場合、また感染に気がつかなかった場合ですが、 中和抗体値はあるラインまで上がっていますよね?

そこで、ブースター摂取をするのは危険に思えるのですが、如何でしょうか...


コロナのワクチンを受けると液性免疫としての体内に抗体が出来ると思います。

ロキソプロフェンを飲んでいます。

少し咳が出始めましたが、熱以外はとくに苦しい事はない状態です。このような状態でも中和抗体カクテル療法を受けた方が良いでしょうか?不安ですが、なるべくは受けたくないです。


 デルタ株よりオミクロン株は回復が早く感じます。

 

先日夫がコロナ陽性になり、私も症状が出て昨日PCR検査を受けました。
結果はこれからなのですが、、
昨日のかかりつけの病院で、陽性だった場合に点滴による中和抗体療法を薦められました。

調べると妊娠後期に受けられた症例はあまり無いようなのですが、、
ワクチン未接種なので、重症化する事を考えると受けた方が良いのか迷っています。

中和抗体療法は妊婦でも安全に受けられるのでしょうか?

 

中和抗体への感受性低下、が意味することは?

この"Cluster5"変異株では、スパイク蛋白に3つのアミノ酸の変化と2つの欠損が生じていることが分かっており、これによって中和抗体に対する感受性が低下しているようです。

中和抗体への感受性が低下している、ということはこれまでの新型コロナウイルスに感染したヒトが獲得した免疫が、新しい変異株には抵抗力が下がる可能性があるということになります。

つまり、過去に新型コロナに感染し免疫を獲得している人もこの変異株には免疫があまり役に立たず、容易に感染してしまう可能性が危惧されます。

また、現在開発されている新型コロナワクチンの多くはこのスパイク蛋白を標的にしていることから、スパイク蛋白の変異がみられる"Cluster5"変異株に対しては有効性が低下する可能性もあります。

なお、これらの懸念は現時点では理論上の可能性の話であり、実証されているわけではありません。

先日夫がコロナ陽性になり、私も症状が出て昨日PCR検査を受けました。
結果はこれからなのですが、、
昨日のかかりつけの病院で、陽性だった場合に点滴による中和抗体療法を薦められました。

調べると妊娠後期に受けられた症例はあまり無いようなのですが、、
ワクチン未接種なので、重症化する事を考えると受けた方が良いのか迷っています。

中和抗体療法は妊婦でも安全に受けられるのでしょうか?


コーランには本当は何が書かれていたか? 

2022年10月08日 11時49分00秒 | 社会・文化・政治・経済
 
カーラ パワー (著), Carla Power (原著), 秋山 淑子 (翻訳)
 
宗教への信仰を持たないアメリカ人女性ジャーナリストが、
友人のイスラム教の指導者とともに、コーランを実際に読む。

・女性はベールやヒジャーブで身体を覆い、肌を見せてはいけない。
・女性に教育を受けさせてはいけない。女性を打擲するのが夫の務めだ。
・ムハンマドが9歳の妻を娶っていたことは小児性愛の肯定だ。
・ジハードで死ぬと楽園の72人の乙女という報酬を約束されている。

コーランには、実はそんなことは一言も書かれていない!

子ども時代をイスラム圏で暮らし、今はジャーナリストとして「ニューズウィーク」や「タイム」などに多くの記事を寄稿しているカーラ・パワー。
彼女はある日、17年間のキャリアの中で、編集者から一度も「コーランについて書いてほしい」と言われたことがなかったと気がつく。

メディアが求めるのは、いつも「イスラム教から生まれた政治」であり、イスラム教そのものではない――。
そう感じた彼女は、かつてオックスフォード大学イスラム研究センターで同僚だったイスラム学者のアクラムとともに、1年間にわたってイスラム教の原点、コーランを読み解くことを決意する。

女性の権利、ジハード、小児性愛、夫の暴力、イエス・キリスト、そして死後の世界……。

コーランの真髄に触れる旅の中で、知られざるイスラム教本来の姿が明らかになる。

【目次】

■序 章 楽園に72人の乙女はいない
死ねば、楽園の72人の乙女たちが待っている。自爆テロ犯はそう信じる。
しかし、友人のアクラムとともにコーランを学び始めると、そのようなことは一言も書いていないことがわかる。1年に及ぶその旅路を記そう。

第一部 起源を探る

■第1章 「不穏」な三行
イスラム教徒が毎日17回唱える「開端章」。その最後の3行を、宗教間の敵意を煽るものだと解釈する人がいる。
だが、それはその後の章句を無視した、間違った読み方である。イスラム教は協調をこそ重視しているのだ。

■第2章 狂信者はどこにいるのか?
私がコーランを読むことにしたきっかけに、タリバン政権の高官を取材したときの経験がある
。彼らは西洋人と何ら変わらない、〝普通の〟人たちだった。イスラム教徒と西洋人は、決して対峙しあう存在ではないのだ。

■第3章 ムハンマドの虚像と実像
「歩くコーラン」と呼ばれたムハンマドの言動は、事細かに記録され、広く参照されている。
それを読めば、彼がどのように性行為をしたかまでわかるのだ。彼は決して、人々に何かを強制的に信じさせることはなかった。

■第4章 マドラサでコーランを学ぶ
イスラム学を教える学校、マドラサは9・11以降、過激主義者の温床とみなされてきた。私はその現状を知るため、アクラムが建てたマドラサを訪ねた。
彼は、誤った伝統を変えるためには、教育が必要だと考えていた。

■第5章 ユースフの物語
旧約聖書のヨセフに当たるユースフ。
コーランにおける彼の物語はあまりにも生々しく、女性がその章を読むことを禁じたイスラム学者さえいるほどだ。
だがアクラムは、コーランを読むのに性別の制限はないと喝破する。

第二部 女性の闘い

■第6章 男と女は違うのか?
「預言者ムハンマドは、女性と男性の扱いを変えるような人が好きではない」。
ムハンマドは息子を膝のうえに座らせ、娘を地面に座らせた男を厳しく叱責したという
アクラムも自身の六人の娘に熱心に教育を受けさせる。

■第7章 歴史に埋もれた9000人の女性たち
イスラム教の形成期には、膨大な数の女性学者たちが活躍していた。
イスラム教は言わば、女性によって作り上げられた宗教だったのだ。
だが、その事実は多くの男たちによって、歴史の片隅に意図的に隠されてきた。

■第8章 ムハンマドが最も愛した少女
ムハンマドの妻の中でも、わずか9歳でムハンマドと結婚したアーイシャの存在は、イスラム教を誹謗する人たちから小児性愛と攻撃される。
が、アクラムはアーイシャが成人したのちに軍をも指揮したことを指摘する。

■第9章 イスラム教と性
イスラム教においてセックスは祝福であり、前戯の必要性まで説かれている。
一方で、同性愛は認められていない。
それは一見、時代錯誤にも思えるが、保守的なキリスト教徒もまた、未だ同性愛は認めていないのだ。

■第10章 「女性章」を読む
「女性章」は、女性に対して暴力を振るうことを認めているとイスラム教を攻撃する人は言う。
たしかにこの章は女性を抑圧することに利用されたが、女性の相続を初めて認めるなど、コーランは本来、開明的なのだ。

第三部 政治と信仰

■第11章 コーランのイエス・キリスト
イエスは預言者の1人としてコーランに登場する。
イスラム教徒もまた、イエスのメッセージに耳を傾けているのだ。
だが、彼らにとってイエスは神の子ではなく、十字架にも掛けられていないと考えられている。

■第12章 異文化といかに向き合うべきか?
そもそもイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教との共生を前提にした宗教だった。ムハンマドも異教徒への中傷を厳しく禁じ、彼らとの関係構築に苦心した。最初のイスラム国家でも、宗教間の不可侵は保証されていた。

■第13章 イスラム教と正義
圧政に対し、イスラム教徒はいかに行動するべきか。クーデターを起こした軍に、兄を拘束された女性。
イスラム教徒は正義のためであっても戦ってはならない、と語るアクラムの言葉を、彼女は受け入れられるのか。

■第14章 ビン・ラディンも引用した「剣の章句」
「多神教徒たちを見出し次第殺せ」と語る一節は、対外戦争を支持するイスラム教徒に利用されてきた。
しかし、この章句にはとても重要な続きがある。また、アクラムはジハードを行なうには、2つの条件があると語る。

■第15章 死と来世
コーランは、不信心者は地獄に堕ちると語る。
では、イスラム教徒ではない私は、死後どうなってしまうのか。1年間に及ぶ授業、その最後のテーマは「死」だった。1週間後、私は「母が亡くなった」と知らせを受けた。

■終 章 多様性を受け入れる
アクラムの視点から世界を眺めたことで、私は自分という人間の輪郭を知ることができた。
コーランの根本には、「差異を理解する」という価値観がある。
イスラム教徒たちは、そこに繰り返し繰り返し還っていくのだ。
 

内容(「BOOK」データベースより)

女性はベールやヒジャーブで身体を覆い、肌を見せてはいけない。
女性に教育を受けさせてはいけない。
女性を打擲するのが夫の務めだ。
ムハンマドが九歳の妻を娶っていたことは小児性愛の肯定だ。
ジハードで死ぬと楽園の七二人の乙女という報酬を約束されている。
コーランには、実はそんなことは一言も書かれていない!アメリカ人女性ジャーナリストが、友人のイスラム教の指導者とともに、コーランを実際に読む。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

パワー,カーラ
1966年生まれ。ロンドン在住、無宗教のアメリカ人ジャーナリスト

秋山/淑子
翻訳家。1962年生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
コーランっていう響きが日本人には苦手な気がするのね。
でも本書を読んでいると、欧米人もかなり苦手なんだと思うの。
啓典の民とはいえ、なかなか理解されにくい聖典の一つでしょうねえ。
本書は、概念として、解釈としてのコーランの話ではなく、イスラム教学者がひも解く「コーランに書かれていうこと」の本です。
コーランの中の世界は、まさしく預言者ムハンマドが生きた世界をぎゅっとまとめた感じ。
なぜ「そういう表現を用いたのか」歴史的に考えたら、そうだよねえと納得できそう。
著者がイスラム教学者としても珍しい、イスラム創立期の女性の貢献を研究している人で、あちこちの歴史の中に埋没してしまった女性のことを発掘しては、紹介している人。
イスラムの表舞台は男性が占めているけれど、その後ろにはやはり女性がしっかり守っていることを、この著者は大事に考えている。
かなり具体的な話までこの本の中では出てくるので、コーランという書物よりも、預言者ムハンマドが生きていた世界に興味があるなら、読んでみるべき1冊だと思います。
 
 
 
女性の自由、社会的地位向上、同性愛者の権利、反ブッシュ、などが当たり前のことと信じているような、そして自らの帰国子女的生き方から「多元性」価値の信奉者であると思い込んでいる、米国の民主党よりのインテリ臭が濃い女性ジャーナリストが執筆した本だから、そういう点を踏まえた上で読むといい。
この「奇妙」な友情とコーランを一緒に読み議論するという「旅」は実に興味深く読めた。
 
 
 
コーランは本来アラビア語で読まなければならないが、モスレムでない者にとっては無理である。
ユダヤ系で無宗教の米国人の新聞記者がイスラームに各種疑念を持つモスレムでない人たちの為にインド人でイスラームを極めた学者を探し出して、我々が抱く重要な疑問に答えてもらう形式で、コーランの解明を進める。
妻を支配する夫や国民を拷問する大統領に対処するべく、イスラーム教徒は神にしか服従しないと、まず説明する。
両手が塞がり忙しい女性がチャドルの端を歯でくわえて抑えたイラン人女性の効率がもたらす優美さをも合わせて描く。
世情で起こる各種の出来事を、コーランに即して解釈し教えてくれる。
やや部厚い本ではあるが、アラビア人達との付き合いをした経験から得た諸種の出来事を、本書に出てくる各種疑問の解釈と照らし合わせながら読み進むと、厳しい自然と共に生きている彼等の感じ方が、時々なるほどと理解できる気がする。
最終章「多様性を受け入れる」で述べているように、この本を読むと何となく自分の位置付けが解り、且つコーランの「差異を理解する」考え方を納得するようになる。
ただし、本書は勿論イスラームに興味ある方にのみお薦めする。
 
 

エッセイであるので、筆者(ジャーナリスト)の行ったり来たりする心情も多々描写されていて、それをまどろっこしいと思う読者はいると思う(私もそうであった)。
「非イスラム教徒」「かといって熱心なキリスト教徒でもない」「イスラム文化やイスラム圏の政情、歴史などにに一定レベルの知見がある」「国際社会において中道的とされる思想を持つ」という人が、理性的であり情緒や政治を排した考えを持つアクラム氏というイスラム学者との対話を通じて、コーランやイスラム文化についての知見を深めていくというもの。
その前提で読み進めないと、一部のレビュアーのように低評価になってしまう。
ちなみにコーランは言語で読んで初めて「コーラン」であるので、筆者(ジャーナリスト)はタイトルのように「コーランには本当は何が書かれていたか」を知ったのではなくて、アクラム氏の考え方を知ったにすぎない、という点には留意すべき。

原典を紐解けばイスラム教の真実が見える

2022年10月08日 11時38分40秒 | 社会・文化・政治・経済

文:山内 昌之 ,文:片山 杜秀 ,文:中江 有里

『コーランには本当は何が書かれていたか?』 (カーラ・パワー 著/秋山淑子 訳)

出典 : #文藝春秋

文藝春秋 1900円+税

山内 著者のカーラはユダヤ人の家庭環境で育ち、キリスト教信仰との関わりを持たないアメリカ人女性です。

カーラが最も信頼できる友人で、英国オックスフォード大で教鞭を取るイスラム学者のアクラム師と一緒にコーランを読み解いていくのが本書の構成です。

 カーラは、アクラム師に対し、欧米社会でのイスラム教の誤解、疑問点を正面から問い質していきます。日本でもイスラム教といえば、IS(イスラム国)に象徴されるテロや暴力に繋がる怖い宗教だという認識ですし、ネガティブな話題しか報道されません。

しかし、本来イスラム教は長い伝統と豊かな寛容性の中で育まれた宗教。

アクラムもコーランには処刑や殺害を正当化する文言は無いと主張します。

 バランスの取れたイスラム指導者がコーランを解釈するという点で、本書は日本人読者に裨益(ひえき)する優れた1冊になっています。

片山 プラトン以来の「対話編」の伝統をひな型にして、コーランを学んでいく過程を、疑問も葛藤もむきだしに描く書き方も上手です。

中江 私はコーランの解説本だと思って読み始めたら、原題の副題にあるように、アクラムとの「奇妙な友情」が描かれていましたし、カーラ自身の生き様やアクラムの生い立ち、子供たちの教育にまで言及している。

ノンフィクションでありながら、物語性が強い濃密な作品だと思いました。アクラムの信仰への切実な思いには胸を打たれます。

 15年ほど前にエジプトにドラマの撮影で行ったことがあるのですが、当時触れ合ったイスラム教徒の方々はみな「静かで宗教を大事にされている」という印象でした。

近年のISのイメージとはかけ離れていてどう考えるべきなのか分からずにいました。

本書を読んで、なぜ違いが生まれるのか理解できました。

極端な女性差別の宗教?

片山 キリスト教でも仏教でも「女性をどう考えるか」は大テーマですが、本書の大きな切り口も女性問題です。

例えば、女性はベールで顔を隠すべきと伝統主義者は主張し、近代主義者は逆のことをいい、争うのが常ですが、アクラムは違う。

イスラム教にはベールを用いる伝統は確かにあるが、使うか使わないかは女性個々人が選べるものなんだと。

義務とかではないんだと。個人主義や自由主義の発想も豊かに教説を読み直すんですね。

中江 アクラムが女性史の研究家だという点は重要なポイントですね。

私は「ベールをかぶらなければいけない」「教育を受けてはならない」という言動には女性として「何故なの?」と戸惑いに似た感情を抱いていたのですが、コーランでは男女は完全に平等であり、それらが現地の慣習みたいなものだということは知りませんでした。

山内 イスラム教が“極端な女性差別の宗教”とされる象徴である4人まで妻を娶ることができる

「一夫多妻制」についても、カーラはアクラムに切り込んでいっていますね。

 カーラは、この制度の大義を、慢性的に行われる戦争で生まれる未亡人や孤児の社会救済的な措置だろう、と尋ねる。

ところが、アクラムは「それが理由ではない」と言う。米欧のインテリはそう説明されれば納得できるのに、アクラムはやや挑発的に、男性目線で女性の権利を擁護する論理的なシステムだと譲りません。

この対立描写こそ興味深いのです。

中江 私が気になったのは、コーランの「女性章」第2章187節にある〈(妻たちは)おまえたちの衣であり、おまえたちは彼女たちの衣である〉というフレーズです。

本書では“優しい結婚生活のイメージ”として紹介されているのですが、「おまえたち」と男性主体の文章になっていますよね。

もし、この一節が女性主体で書かれていたら、全く雰囲気が変わってくるでしょう。

コーランの原典には手出しができないからこそ難しいと改めて思いました。

解釈を巡る永久戦争

片山 中世イギリスのキリスト教会の説教でも、聖書から片言隻句を摘んで、「こう書いてある。だからすべて正しいのだ」と前後の整合性は意図的に無視しても信者をその場で説得してしまえばいいということになっていた。

雄弁術というか詭弁術というか。

それはキリスト教に限らない話で、仏教でもイスラム教でも、およそ宗教というものはどの部分をどう都合よく解釈して相手を言いくるめるかを巡って宗派が争う歴史に他なりませんよね。

「解釈を巡る永久戦争」と言いますか。

山内 神の言葉が啓示としてムハンマドに下った時代はいつかと考えると、日本では6~7世紀にかけて、聖徳太子が辣腕を振るった時代です。

我々は現在、聖徳太子の17条憲法を金科玉条として守っていませんよね。

ところが、イスラム教では、現代でもムハンマドが受けた啓示が編纂されたコーランの解釈を巡って論争を繰り広げている。

ISやアルカイーダのような解釈があれば、アクラムのような解釈もあるのは、ある意味では当然であり、「イスラムとは何か」を一義的に決めていくことは困難です。

片山 原典はどうしても説明不足なのだから、多様な解釈ができるのは当然ですし、本書だってタイトルは「本当は…」ですが、やはり「コーラン」の一つの解釈だとも言えますよね。

ただ、原理主義的な極端な解釈をひっくり返すカウンターとして、とても有効な本だと思います。

山内 アクラムの主張は「住んでいる所で信仰を深めなさい」と極めてシンプル。

本来、イスラームとは「神への服従」を意味する言葉です。

ジハード(聖戦)やシャヒード(殉教)よりも、「神との対話」が解釈の基本だということを改めて認識させてもらいました。

 

 

最低でも5キロは歩きたい

2022年10月08日 07時04分43秒 | 日記・断片

何時ものように、ミスターマックスのペットショップコーナーへ行く。
ほとんどの猫は寝ていた。

その後、取手駅方面へ散歩に行くが、雨が激しくふり、強風なので、途中で帰ろうかと思うが、ここ数日は、ほとんど歩いていない。
最低でも、5キロは歩きたいと願っている。
35年余り、早朝は約5キロ歩いてきて、それが習慣化してきた。
だから、思い直して駅方面へ向かう。

今朝、午前5時時点の気温はスマホで確認したら11度だった。

駅前はビル風で、ビニール傘が壊れそうになる。
これまで、何本も傘をダメにしてきた。

駅ビルの本屋で立ち読み。
帰りに、21度の日本酒(原酒)を買う。
紙カップの日本酒は、値段が上がったものと、そのままのものがある。
これまで、97円のものが、105円に値上げである。
あるいは、105円のものが110円になる。

家へ戻ると家の前の道が川のようになっていた。
長靴でよかった。

散歩では映像を撮るのが主な目的なので、雨はお手上げ!

動画リンク

 
ペットショップコーナー

利根輪太郎の競輪人間学 混戦を制する

2022年10月08日 07時04分43秒 | 未来予測研究会の掲示板

GⅢ 松坂競輪 蒲生氏郷杯王座競輪

初日(10月7日)

12レース

並び予想 4-1 2-8 9-3 5-6-7

レース評
太田−清水は共同通信社杯準決でも連係。失敗を取り返す。数的優位な吉田、佐藤は新山を使って互角の争いへ。浅井も怖い。

1番人気3-9(7.6倍)

吉田 拓矢選手(107期)は同期の新山 響平(107期)
には負けまいと闘志を燃やしてレースに臨んだだろう。

吉田選手には、赤パンの意地があるはず。
一方、太田 竜馬選手(109期)に付ける清水 裕友(105期)が人気を集めるのも、納得であった。

だが、結果は人気を覆す。
これが、競輪のアヤであろうか。

スポーツ新聞がテーブルに置かれていた。

捨てたのか、あるいは置き忘れたのか?

新聞を手にすると、取手記念で優勝した吉澤 純平選手が本命◎の評価である。

3人の赤パン(SS班)の中で、何で吉澤 選手を高く評価するのか?と訝る。

だが、混戦の中で、吉澤 選手は1着となったのだ。

結果は人気を覆す。

しかも、ラインで決まる。これが競輪のアヤであろう。

結果

6-7 2,780円(12番人気)

6-7-2 1万7,600円(56番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 6 吉澤 純平   11.6   自力転じ捲
  2 7 諸橋 愛 1/2車身 11.5   吉沢マーク
3 2 浅井 康太 1車輪 11.4     後手も前追
  4 8 坂口 晃輔 1車身 11.4     浅井に続く
5 1 佐藤 慎太郎 2車身 11.9     切替え掬い
6 9 太田 竜馬 1/8車輪 12.0     踏合嵌るも
× 7 5 吉田 拓矢 3/4車身 12.0     掬い被され
8 3 清水 裕友 3/4車身 12.2     掬われ捲も
  9 4 新山 響平 3車身 12.7   B 強引叩いて

戦い終わって

戦い終わって写真

 吉田拓矢がインを斬り、そこを太田竜馬-清水裕友で鐘先行。

しかし、新山響平も佐藤慎太郎を連れてすかさず叩きに出て、踏み合いになる。

佐藤が清水後位に降り、太田が嵌る。

佐藤が清水の内を衝いた為にもつれ、吉田と清水が併走。ここで吉沢純平が自力に変化して、清水のサキ捲りを乗り越え、諸橋愛を連れ込んだ。

吉田の番手から自力に変化して快勝した吉沢は「浮いて来た清水さんとやり合っても仕方ないと思ったし、2角も過ぎていたので前に踏んだ。苦しかったがコーナーで流れてくれた。練習で感じが良かった新車で臨みました。脚を使っていなかったし、捲れたと思う」。

2着に続いた諸橋は「いずれにしろ、吉沢君の判断がナイスでしたね。3角では余裕があったけど、最後はきつかった。もうちょっと上積みが欲しいかな」。

切り替える形で3着の浅井は「スタートは取りたくなかったが、出された感じ。斬って、斬ってで8番手は予想していた。1角で捲りに行けていれば良かったが、厳しかった。思った以上に進みが悪かった。新品の靴を使ったが、感覚が悪かったし、二予以降は戻します」。