文藝春秋 1900円+税
山内 著者のカーラはユダヤ人の家庭環境で育ち、キリスト教信仰との関わりを持たないアメリカ人女性です。
カーラが最も信頼できる友人で、英国オックスフォード大で教鞭を取るイスラム学者のアクラム師と一緒にコーランを読み解いていくのが本書の構成です。
カーラは、アクラム師に対し、欧米社会でのイスラム教の誤解、疑問点を正面から問い質していきます。日本でもイスラム教といえば、IS(イスラム国)に象徴されるテロや暴力に繋がる怖い宗教だという認識ですし、ネガティブな話題しか報道されません。
しかし、本来イスラム教は長い伝統と豊かな寛容性の中で育まれた宗教。
アクラムもコーランには処刑や殺害を正当化する文言は無いと主張します。
バランスの取れたイスラム指導者がコーランを解釈するという点で、本書は日本人読者に裨益(ひえき)する優れた1冊になっています。
片山 プラトン以来の「対話編」の伝統をひな型にして、コーランを学んでいく過程を、疑問も葛藤もむきだしに描く書き方も上手です。
中江 私はコーランの解説本だと思って読み始めたら、原題の副題にあるように、アクラムとの「奇妙な友情」が描かれていましたし、カーラ自身の生き様やアクラムの生い立ち、子供たちの教育にまで言及している。
ノンフィクションでありながら、物語性が強い濃密な作品だと思いました。アクラムの信仰への切実な思いには胸を打たれます。
15年ほど前にエジプトにドラマの撮影で行ったことがあるのですが、当時触れ合ったイスラム教徒の方々はみな「静かで宗教を大事にされている」という印象でした。
近年のISのイメージとはかけ離れていてどう考えるべきなのか分からずにいました。
本書を読んで、なぜ違いが生まれるのか理解できました。
極端な女性差別の宗教?
片山 キリスト教でも仏教でも「女性をどう考えるか」は大テーマですが、本書の大きな切り口も女性問題です。
例えば、女性はベールで顔を隠すべきと伝統主義者は主張し、近代主義者は逆のことをいい、争うのが常ですが、アクラムは違う。
イスラム教にはベールを用いる伝統は確かにあるが、使うか使わないかは女性個々人が選べるものなんだと。
義務とかではないんだと。個人主義や自由主義の発想も豊かに教説を読み直すんですね。
中江 アクラムが女性史の研究家だという点は重要なポイントですね。
私は「ベールをかぶらなければいけない」「教育を受けてはならない」という言動には女性として「何故なの?」と戸惑いに似た感情を抱いていたのですが、コーランでは男女は完全に平等であり、それらが現地の慣習みたいなものだということは知りませんでした。
山内 イスラム教が“極端な女性差別の宗教”とされる象徴である4人まで妻を娶ることができる
「一夫多妻制」についても、カーラはアクラムに切り込んでいっていますね。
カーラは、この制度の大義を、慢性的に行われる戦争で生まれる未亡人や孤児の社会救済的な措置だろう、と尋ねる。
ところが、アクラムは「それが理由ではない」と言う。米欧のインテリはそう説明されれば納得できるのに、アクラムはやや挑発的に、男性目線で女性の権利を擁護する論理的なシステムだと譲りません。
この対立描写こそ興味深いのです。
中江 私が気になったのは、コーランの「女性章」第2章187節にある〈(妻たちは)おまえたちの衣であり、おまえたちは彼女たちの衣である〉というフレーズです。
本書では“優しい結婚生活のイメージ”として紹介されているのですが、「おまえたち」と男性主体の文章になっていますよね。
もし、この一節が女性主体で書かれていたら、全く雰囲気が変わってくるでしょう。
コーランの原典には手出しができないからこそ難しいと改めて思いました。
解釈を巡る永久戦争
片山 中世イギリスのキリスト教会の説教でも、聖書から片言隻句を摘んで、「こう書いてある。だからすべて正しいのだ」と前後の整合性は意図的に無視しても信者をその場で説得してしまえばいいということになっていた。
雄弁術というか詭弁術というか。
それはキリスト教に限らない話で、仏教でもイスラム教でも、およそ宗教というものはどの部分をどう都合よく解釈して相手を言いくるめるかを巡って宗派が争う歴史に他なりませんよね。
「解釈を巡る永久戦争」と言いますか。
山内 神の言葉が啓示としてムハンマドに下った時代はいつかと考えると、日本では6~7世紀にかけて、聖徳太子が辣腕を振るった時代です。
我々は現在、聖徳太子の17条憲法を金科玉条として守っていませんよね。
ところが、イスラム教では、現代でもムハンマドが受けた啓示が編纂されたコーランの解釈を巡って論争を繰り広げている。
ISやアルカイーダのような解釈があれば、アクラムのような解釈もあるのは、ある意味では当然であり、「イスラムとは何か」を一義的に決めていくことは困難です。
片山 原典はどうしても説明不足なのだから、多様な解釈ができるのは当然ですし、本書だってタイトルは「本当は…」ですが、やはり「コーラン」の一つの解釈だとも言えますよね。
ただ、原理主義的な極端な解釈をひっくり返すカウンターとして、とても有効な本だと思います。
山内 アクラムの主張は「住んでいる所で信仰を深めなさい」と極めてシンプル。
本来、イスラームとは「神への服従」を意味する言葉です。
ジハード(聖戦)やシャヒード(殉教)よりも、「神との対話」が解釈の基本だということを改めて認識させてもらいました。