とらたまくろむうこと的生活

4匹の猫たちのぐうたら生活
時々チャイ(フレブル)

伊丹スカイパーク

2016年06月29日 | 風景
うちのあたりは
伊丹飛行場への通り道になっているのか
頻繁に飛行機が通ります。

時間帯によっては5分おき?10分おき?っていうくらいに
ゴオォォォー

私が子供の頃からです。

うるさいといえばうるさいのですが・・・
(窓を開けているとテレビの音や話し声が聞こえにくいですから)


うちのバルコニーからでも次々と飛んでくる飛行機を見ることができるので


大阪滞在中
飛行機大好きの孫りんごの楽しみになっていました。


バルコニーから写した写真 


みんな東から飛んでくるので同じ方向を向いてます。

ズームで撮ってますが
飛行場の近くでもないのにけっこう大きく見えます。

羽根の裏側に日の丸がついてますね


前に載せた写真ですが
マンションの隙間を縫って飛んでいるように見えるでしょ?



そこで
まだ大阪にいる時、5月に
<飛行機の見える公園 伊丹スカイパーク>に行ってきました。


空港の西側にある大きな公園

目の前で発着する飛行機が見えるので

迫力満点

孫りんご大喜び



いつもは見上げてたのに、目の前に止まってますよ























ボンバルディア機

くるくるとプロペラが回って、見た目可愛いんだけど

<2013年3月24日の記事>
ポチッと

福島旅行の帰りに乗りましたが。。。この飛行機、ものすごく揺れるんですよね~

えらい目にあいました















公園なので遊具もあって
気候のいい時はお弁当でも持ってきて一日楽しめると思います



孫りんごが埼玉に帰った後も
飛行機の音がすると、つい上を見てしまうようになった私です

電動自転車 ブリジストン アンジェリーノ プティットe

2016年06月24日 | 

(冬の写真です)


孫りんごが数か月滞在することだし
私も上り坂で
膝に負担がかかってもいけないしと思って
去年の11月に電動自転車を買いました。

どうせ買うならバッテリーは、大きい方(12,8Ah)に~
色は?デザインは???

ヤマハPAS Kissmini XL と

パナソニックGYUTTO mini DX とどちらにしようか?

と長い間カタログとにらめっこして
迷いに迷い、悩みに悩んだ末
ヤマハにしようと思って近所の自転車屋さんに行くと

そこはブリジストンの代理店だったもので
強く勧められ、あっさりブリジストンに決定

「え~~~!せっかく決めてたのに・・・」って思ったけど

どのメーカーのも
性能はほとんど変わりなし、デザインも似たり寄ったりですからね。


(あとあとのことを思って
一番近い自転車屋さんで買おうと決めてました)

自転車屋のおじさんの「絶対に後悔させません!」という言葉に押されて


アンジェリーノ プテッィトe (これはオレンジ)



色は
迷った挙句に<チェリーピンク>に


年末に孫りんごが来るのを待ってました



孫りんご到着

飛行機が大好きな孫りんご



自転車に乗って
頻繁に通る飛行機を見るのが楽しみでした




ヒコーキ









ヒコーキ










チャイも上手に乗りますよ





乗り心地は
まさに「アシスト」してくれるので楽チン

平地を走る時は普通の自転車と変わりないけど
上り坂や
止まっているところから発進するときに
誰かがグイッと背中を押してくれている感覚


孫りんごが帰ってからも
前の子乗せ部分に荷物がたくさん入るのでいい感じで乗ってます

あ、本体だけで33,6キロあるので取り回しのとき重いですけどね

自転車ばかり乗って
車に乗らなかったらバッテリーが上がってしまいましたよ~


孫りんご滞在中の猫たちは

2016年06月21日 | 猫(とらたまくろむうこと)


いやいや期真っ只中の

「やんちゃ」というか、「いらんことしい」の孫りんごは




猫を見ると
遊びたくて追いかけたりどーんと覆いかぶさっていったりするので

逃げまどい、2階の押し入れに隠れてました




基本、チビは下、むうは2階
コトは上も下も都合よく行ったり来たり。。。という状態だったのですが



孫りんごが4ケ月以上も滞在していたもので
可愛そうに
みんな居場所がなくて
孫りんごが起きている日中はずっと2階に避難



おかげで二階で寝るようになったチビ(すごい進歩です


孫りんごが
夜になって寝静まると下に降りてくるという生活でした。








チビとむう(珍しいツーショット




いらんことしいのコト(孫りんごと同じ精神年齢ですね



3匹で寝るようになりました



3猫団子の完成~


怪我の功名?

孫りんごから逃げているうちに仲良くなって
距離が縮まった<チビむうコト>でした



命のバトンタッチ

2016年06月19日 | 母のこと
。。。続きです


娘は10年間子供ができず、治療の末
やっと孫りんごが生まれたのに
今度はまさかの自然妊娠


10年間、かすりもしなかったのにどゆーこと~~~?
1年10か月違いで年子になるんですって


それはともかく
娘と孫りんごが
里帰り出産のため、年末から大阪に滞在しており
おかげで
お腹が大きいのに母の介護をいっぱい助けてもらいました。


帝王切開する日は決まっていたのですが
頭のMRIの検査をするため
余裕をもって早めに入院することになっていました。

しかし
「祖母が危篤になったので入院を一日遅らせてください」と頼みこみ


娘が入院する当日
「おばあちゃん、今から入院してくるね」と母の病室に入ったとたん
ベッドサイドモニターの
心電図の線がピーーーーーと平坦になり・・・
臨終に間に合ったというかなんというか


そしてその24時間後に、無事、第2子が生れたのです。

まさに命のバトンタッチでした。




さあそれからが大変

ちょうど、3月上旬から長期休暇で
家族で帰国していた息子が毎日おばあちゃんの面会に行ってたのですが


向こうに帰って4日目に
危篤の知らせを聞いてY太だけ連れて、また戻ってきました

娘むこは元々
出産前から2週間休暇をとっていたので孫りんごの子守を任せることができたのですが

孫りんごは魔の2歳児いやいや期真っ只中

色々と助かったこともありましたが
幼児連れの男たちに三度三度食べさせることもしなければいけないし

病院の手続きにお通夜、葬儀と目の回る忙しさ



娘はお腹を切ってるので、もちろんお通夜も葬儀にも出られず・・・
でも、年末からしっかり世話を手伝ってくれたから十分やったよね。

そうこうしている内に
娘が赤ん坊と一緒に退院してきて、むこは埼玉に戻り。。。

手のかかる孫りんごと赤ん坊の世話にてんやわんや




おかげで
幸か不幸か母の死を悲しむ暇もない日々が続きました。

その後
ゴールデンウィークの終わりに車で埼玉に帰る時
私も一緒について行ってしばらく滞在



帰ってきて
孫りんごの世話から解放されて好きなだけ眠れるようにはなったけど
相続に関してやらなければならないことが山積み。。。



母の荷物の整理も少しずつやりながら
事務的なことや来客やらでいろいろ大変で・・・・

そうこうしているうちに
娘から

赤ん坊(孫レモンと命名)が
入院することになったから来て~~~



(退院してきた孫レモンよろしくネ


ということでまたまた埼玉に行ってました

鼠径部が赤く腫れてしこりになってるので
小児科に連れて行ったら
「今すぐ埼玉医大(川越)にいきなさい」と言われ

医大でも「このまま入院!」ということに


赤ん坊が入院するということは母親も一緒に入院ということなので
孫りんごが困るんですよね


急きょ、婿が出勤前に近所の無可保育所に預けていくことに。

でも、お迎えの5時や6時に帰れるはずもなく。。。


無理して休みを取ったり
娘が一時帰宅できるよう、病院に特別にとりはからってもらったり
何とかやり過ごして無事、退院できましたが



そんなことで
パソコンを開けている余裕がなくて長い間ブログに手をつけられないでおりました


さかのぼって溜まっている写真をアップしていくつもりですが・・・

まだ完全には戻れないと思いますがまたよろしくお願いいたします














怒涛のごとく過ぎた日々

2016年06月17日 | 母のこと
大変ご無沙汰しております

お正月以来とは。。。

もう
一年の半分が過ぎようとしていますね


去年の秋以降
母がぐずぐず言いながらも家で過ごしておりましたが
12月の中頃「誤嚥性肺炎」になってしまいました。

かかりつけの先生に
「薬を5日間飲んでよくならなかったら入院」といわれたのですが
薬が効いたようで、激しい咳が治まり
レントゲンを撮りなおしたら肺の状態がよくなってるということで

お正月を病院で過ごすことにならなくてヤレヤレ。。。



でも、食べる量は減ったまま、ゴロゴロと寝てばかり
歩けないというので
トイレまで、手を引いたり歩行器を使っての付き添いが必要となり

夜中や朝方にも起きて世話をするようになってました。




眠っている時に起こされると
朦朧として「またすぐに寝よう」と思うのですが

一旦からだを起こして動いたら、目がさえてしまって眠れなくなるのですよね。


そんなことが続いているうちに私の血圧が上がり
体調が悪くなってきました。



折しも
里帰り中の娘が
「どうせ、孫りんごがしょっちゅう起きるから私はほぼ起きてるので
夜中のトイレの付き添いを変わってあげる」と助け船を出してくれました。



そうこうしている間に

かかりつけの先生が
「共倒れになってはいけないから施設に入ったらどうか」と勧めてくださり

ケアマネさんに相談して「老人保健施設(老健)」に入れてもらうことになりました。




それが2月20日のことでした。
以後、毎日面会に行ってたのですが
私たちも夜眠れるようになって体が楽になり

母も
家では我がままを言ってたのが
施設で規則正しい生活と、3食きちんと食事をとるようになって
だんだん元気になってきてて安心していました。


施設で3か月ぐらい
歩くためのリハビリをして家に戻るという計画だったのですが。。。


ところが
入所してちょうど1か月経った3月21日の夜中(日付が変わって22日の0時半ごろ)
施設から電話があり・・・

(夜中に電話が鳴るとびっくりしますよね。ドキドキ。。。。)


母が胸が痛いというので救急車で病院に連れて行くからすぐに来てくれと・・・

寝ていた私(孫りんごがいるので朝が早いため)

慌てて飛び起き、服を着て
自転車で病院にかけつけました(自転車のほうが手っ取り早いんです)

着いたら意外と母は元気そうで普通に話をしていたのですが
救急で色々検査をしたら「肺のレントゲンを見ると白くなっている」とのことでそのまま入院。


夜中の3時半ごろ、私は一旦帰っていいということで帰宅。

(人気のない夜中に自転車で走るのは気持ち悪いですね)



入院したらいろいろ処置をしてもらえるだろうとちょっと安心して
(昼間は様子を見に行ったけど)

前夜寝てないので、0時ごろ寝入ったところ

また夜中の0時半に病院から電話が来て

「呼吸が乱れてるのですぐ来てほしい。何分で来れますか?」って

1回目よりも更にドキドキドキドキ


病室に入ると呼吸が苦しそうだけど
意識ははっきりして普通に話もできた。




入院するときに
<胃ろう>と<呼吸器>を希望するかどうか聞かれていて
母の意思で「どちらも希望しない」と伝えてありましたので

鎮静剤を使いますということになり

でも、いきなり強い鎮静剤は使わないみたいで一晩は苦しそうでしたが
翌朝からは鎮静剤を強めたため意識がない?(眠ってる?)ようでした。

で、そのまま3日目の朝に息を引き取ってしまいました

施設では
家にいる時よりは明らかに元気になり
膝のために体重増に気を付けるように・・・なんて言われてて

すぐに亡くなるほど悪そうには見えなかったのですが


肺炎で
あまりにあっけない最期でした。


続きます。。。



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