なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

凋落の理由

2020-06-16 23:28:16 | 日記
かその昔、ウサギ小屋に住むエコノミックアニマルなどと言われて、褒められてるのやら貶されてるのやら呆れられてるのやら、なんかどう解釈していいモノやら。
そんな時代があったわけだけど、少なくともあの頃から比べると、いまの現状は芳しくはないと思う。

例の小学生一斉感謝の儀、などと硬直した社会そのまんなな前時代的な全体主義思想がまかり通ってるわけで、感謝なんてものは個人的に勝手にするもんだから、だれかれから強制されて一斉にするような代物じゃない、って当たり前な事すら判らなくなってる。
誰かが言ってたけど出征する兵隊さんに万歳三唱するメンタリティーとそんなにかわりゃしない。

力加減の勾配がきつくなってくると、下流にいるものは次から次へと流れてくる命令とか圧力とかソンタクとかで忙しくなる。忙しいと自力で思考して志向して試行して施行することもなくなってくるわけで、自分の脳みそを他人に委ねてしまいがち。
しかし、自分が自分で考えを持たない「馬鹿」とは認めたくないから、別の「馬鹿」を探そうとして、オレよりもあいつのほうがバカだ、と思いたい。
力の傾斜があるのは事実だから少しでも上でありたい、どんな間抜けな理由でも上でありたい、そんな感情は否定はしないけど、あまりにも社会全体に蔓延してたら迷惑極まりない。
全校生徒に拍手をさせた、おれってスゲーなどと思ってるのはすでに教育機関の一部じゃない、深く考えることを放棄させるだけの反教育に過ぎない。
日本の学校なんてそんなもん、って自分の子供の頃からの宿痾みたいなもの、そうは昔から思ってはいたけど、現政府が蛇蝎のごとく嫌う日教組が幅を利かせてた頃のほうがまだまともだった気がするよ。ま、当時の先生たちはガチで戦前戦中を知ってた人たちだったからかね。

ま、なにはともあれ、力の勾配がきついと下の者は奴隷のようになるわけで、そりゃ忙しければ生きるのにいっぱいいっぱいになるってもの。

生きるってさ、それがベースじゃん。
動物も虫も植物も、生命として存続するってのが喫緊なわけで、人間は農業したり集団で社会を作ったりして生きるベースを確保できたわけで、腹いっぱいになったライオンがゴロゴロしてまわりでインパラが草を食むってな事をせずに、腹いっぱいだし、次の食事も確保してるしゴロゴロせずになんか考えよ、ってのが文明だったわけやんか。つまり生命維持活動に必要な時間が短縮されて余った時間、なんかもっといい事考えよ、って。
でも、大量生産とか効率化だとかに考えがシフトして、少数の人間が大勢の人間の余暇を生産にふり出したわけじゃん。言い換えると大量の脳みそで集合的に得られる英知を、少数の脳みそが無駄に消費してるってことだわな。
で、社会にとって教育がどれだけ大事な事なのかってのを、社会的に慮らずにただ単に奴隷養成所のようにしてしまったわけで、就職が一大イベントになってる昨今で、どんな仕事をするかよりもどこの奴隷になるかが今の勝ち組負け組の根底に流れてるってわけで、そりゃぁ、イノベーションどころか進歩とか前進とか飛躍とか望むべくもない。

日本人が必要なのは、生きる事それ以上の人生ってやつで、生命として生きる目的は生きる事以外にはありえないし、それは当然の摂理で誰しもの権利。しかし生きるってことは手段ではない。生きる事の手段は仕事なんかではなく人生そのものだ。

いや今日も忙しくって、終わりがけにクレーム処理なんかしたから壮大に凹んでるだけなんだ。


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