tontonjyoのブログ

yahooから引っ越して来ました。思ったことを適当に書いています

もう・・・問題発言

2010-11-20 13:37:55 | 日記



あれですよ。なんて言いましょうかね。仙石氏の問題発言。ネット探訪してみたら「誤解だ。」と言う見解も結構出てます。

実際、出展までは知らなかったけどね。前回も書いたように確かに社会学的な話しには【暴力装置】と言う表現が用いられる時がある。事実、俺は何回か見たことあるよ。そして、それが自衛隊員を傷つけるものだと思ったことはない。逆に自衛戦力を肯定するものだと感じた。憲法議論をしたことがある人にはお馴染みの表現じゃないですか。

ウィキペディアによれば社会学者のマックス・ウェーバー氏の著書が『暴力装置』と言う表現の出展だとか。説明を読むと、やっぱり彼は寛容派・人権派です。俺が見てきた『暴力装置』と言う表現は彼の意図に近いものでしょうね。

ただ、かの有名なレーニン氏も著書の中で改革を阻むものとして警察や軍隊に対し揶揄的に『暴力装置』と言う表現を用いたと言う説明もなされている。更に日本ではレーニン氏の用い方に近い形で反自衛隊的に当該の表現が使われたと説明されていますね。つまり使用意図が重要で表現単体としては一概に肯定的とは言えないんだろう。



俺は主に前者について語るけど、今は自衛隊廃止派なんて少数派だから相当前に議論していた人達が対象ですね。『暴力装置』って表現、自衛隊廃止論に対する否定や普通の国論・軍隊保有論の肯定でよく出て来る表現なんだよ。だから俺は肯定的意味合いとして感じられる。

例えば「自衛隊は普通の軍隊ではない。日本には普通の軍隊が必要だ。」と言う人もいます。そんな人は《強制力》《抵抗力》《抑止力》の重要性を強調的に説明する必要が出て来るでしょう。その時に『暴力装置』と言う表現と、それに至る脈絡を援用する。「寛容派・人道派でもここは同じでしょう。これが真なんだよ。」ってね。仙石氏が批判されているようなこととは逆だよね。


まぁ、正体は何なんだって話ですよ。過去に関連の議論をしての経験から俺なりに解釈するとね。「冷静で理性的な平和的解決を望む。」って、よく言われるよね。それは面倒ごとに巻き込まれたくはないと言うこともあるだろうけど、平和的ではない解決って、つまりは暴力的な要素が多く含まれた行為を用いて相手を屈服させるなり、そう言ったことでの解決ってことでしょう。

まぁ、暴力的な解決が是とされれば攻撃力が強く、暴力を用いることを是とするものが極端に有利な不平等な社会ができあがるよね。そもそも暴力とは他を傷付けるものでもある訳なのだから倫理・道徳・人道から外れることに繋がるって解釈もできる。つまり寛容派や人道派から言えば『暴力』は忌避されるべきと言うことになるでしょう。

寛容派・人道派、彼らは詰るところ何を説くか。それは非暴力を前提とした平和主義ですよね。ただ、限界はある訳で、死をも恐れぬガンディのように達観できれば話しは別だが、実際、暴力に対して非暴力では対抗できない場合が多い。その事実を踏まえて限定的に対暴力的な暴力の必要性を唱える向きがある。つまりディレンマの解消でしょう。

非暴力を前提とした平和主義が基本ではあるが、非暴力では対抗できない暴力に対してのみ暴力の必要性が見出される。相手が放つ暴力と対等な暴力を用いるなら抵抗力となり抑止力を発揮できる。更に抑止力を超える強制力が必要だとするなら、相手よりも勝る暴力が必要。

しかし、単なる無法な力では忌避されるべき暴力と変わらない訳ですよ。また強制力が必要なら高度な組織化と高度な武装を要しますよね。そう言ったことから、より普遍妥当性に近い権力主体による暴力の集中と法律のような規範に基づき高度に組織化された組織的暴力について問われる。つまり内的には警察、外的には軍隊でしょう。

まぁ、そう言ったことを【暴力装置】と表現しているんでしょうね。寛容派・人道派、つまり平和主義者の主張の下地は、やっぱり非暴力ですよ。その中で限定的に「暴力が必要な場合がある。」と説いているのだから、《暴力》【装置】と言う表現になるのは何もおかしいことじゃないよね。



仙石氏の問題発言に絡む一連に関して俺の結論です。公的な場で忌避される言葉は多くある訳です。何故そうか、それは言葉自体が持つ意味ではなく、印象に由来する訳でしょう。つまり表現方法の問題ですよね。

少々ネガティブな印象のある言葉を使う場合は、発言の前に「〇〇と言う研究者の言を借りれば・・・。」と言ったような表現を枕詞にしましょう。これは社会通念から言っても妥当だと思います。

やっぱり仙石氏には大きな責任がありますからね。一般人の表現よりも強く配慮が求められる場合が多いでしょう。国民の鏡として誰かが傷つく可能性についても確り考慮した上で発言するべきだったんじゃないですか。つまり配慮に欠けたと言うことでしょう。

俺から言わせてもらえば、左派でも右派でも、身内とか近い考えとか庇いたい気持ちも解るが、言葉狩りの議論はもう、うんざりなんです。やっぱり基準を設けないとね。


まぁ、自己防衛も必要なんです。だから確りした説明が重要視される。それが真なら火も消える訳です。ことの性質から言って釈明で事足りたと思うが、何故か直後に撤回した。そのことから言えば、「反体制派が使う揶揄の類ではないか。」と疑りたくなる気持ちも解るんですよ。

でも、謝罪したこともあるし、程度から言えば罷免や辞任の要求は少々度が過ぎると思います。確かに自衛隊のモチベーションや名誉回復に関わる問題でしょうけど、実際に、社会学者が自ら論ずる際に『暴力装置』と表現しており、更に発言した仙石氏は既に撤回して謝罪している問題です。

例に漏れず野党の激しい追及は政権に対する揺さぶりと言う意味合いが強いでしょうね。その程度のことなら、次回の選挙での国民の選択に任せても良いんじゃないですか。

浮動票がものを言う昨今。失言と称されるものが本当に問題なら国民がNOを突き付けますよ。当人が落選するばかりでなく、党が公認・推薦するなど地方・国政問わず関連する候補者は落選するでしょう。

マスコミがネガティブキャンペーンを張る可能性もあると思いますが、今はネット社会ですよ。ちょっと知れべれば賛否両論、色々な見解が出て来る。マスコミの真を外した報道に踊らされると言うなら日本国民はまだまだ、その程度と言うことです。





参考にさせていただきました

【ウィキペディア・暴力で検索】
http://ja.wikipedia.org/



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