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勉強メモ 朝鮮半島における #第一次核危機 #米韓合同演習 の中止は過去にもある。

2018-06-19 10:01:21 | 日記



1994年。朝鮮半島「第一次核危機」 


米韓両国は1992年に米韓合同軍事演習(チームス・ピリット)を実施することで合意。

1992年1月。アメリカは北朝鮮がIAEA(国際原子力機構)の核査察協定に調印することを条件にチーム・スピリットの中止すると発表する。それを受け北朝鮮外務省はIAEAの査察受け入れを表明し、同年1月30日に査察協定に正式調印する。

1992年2月。北朝鮮側の延亨黙総理、韓国側の鄭元植総理により1991年12月に署名された『南北基本合意書』→「和解・不可侵と交流協力合意書」と「非核化共同宣言」が発効される。しかし、プルトニウム抽出や核貯蔵施設と見られる2施設への特別査察拒否など、北朝鮮が申告した内容と、IAEAの査察結果に重大な差異がある事が判明。核兵器開発疑惑が更に高まった。これを受けIAEAは特別査察の受け入れを迫ったが、北朝鮮側は拒否する。その結果として米韓はチームスピリットの再開を宣言。1993年3月。米韓の野外機動訓練が開始され、それを受けて通常は「戦闘動員体制」に留めていた北朝鮮側は、更に格上の「準戦時体制」を宣言する。更に同月、核拡散防止条約(NPT)からの脱退を表明。同年6月にはプルトニウムの抽出に繋がる燃料棒取り出しを強行。核実験の再開と弾道ミサイル「ノドン1号」発射実験を行う。

1994年3月。南北特使交換実務者会談で北朝鮮代表で有った朴英洙・祖国平和統一委員会副局長は「戦争が起こればソウルを火の海にする。」と脅迫。これを受けたクリントン政権は寧辺に有る核施設だけを除去する「精密爆撃」を準備したが、北朝鮮が報復に出た場合、大量の長距離射程砲をソウルに発射すると言う韓国政府側の懸念の為、金泳三大統領は反対。アメリカ側にもソウル首都圏北側に配備された北朝鮮軍の長距離射程砲を早期に除去出来る案が無かった為、北朝鮮の反撃で米韓軍の死傷者が50万人を超えるとの推計を出し、攻撃を断念。その最中、IAEAや国連安保理の交渉の他、同年6月からは数度に渡る米朝高官会議が開かれた。その結果1994年10月、スイスのジュネーブで開かれていた米朝高官会議の第3ラウンドで『米朝枠組み合意』が成立した。



【主な合意内容】

[北朝鮮側]黒鉛減速炉開発を凍結。核拡散防止条約に留まり、核査察協定を遵守する。

[アメリカ側]2003年までに発電能力200万Kwの軽水炉を提供。この完成まで代替エネルギーとして年間50万トンの原油を供給。

両国は政治・経済上の関係を正常化し、連絡事務所を設置する。



事業主体として1995年朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が組織さたが、軽水炉建設や重油供給は大きく遅延。更に2002年には北朝鮮の新たな核開発疑惑が発覚し、合意は事実上崩壊する。

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