tontonjyoのブログ

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勉強メモ  #イラン・イラク戦争 #オイル・プラットホーム事件

2018-02-15 02:43:29 | 日記


勉強メモ。

参照【Wikipedia】【日本国際問題研究所】


イラン・イラク戦争。これ。太平洋戦争前から続く米英ソの利権争いの結果なんだね。

まぁ、イランvsイラクの間で1980年から1988年まで行われた戦争なんだけど、それで、この辺の過程がイラクを太らせて、結果的に湾岸戦争→に繋がってく訳だ。

一方のイランは、1961年からパフラヴィー二世が西欧化を目指して推し進めた白色革命が、1972年からのイラン革命により破綻した後。

パラヴィー二世が、工業化や労働者の待遇改善。女性参画政権や教育の向上などの典型的な西欧化を推進したのに対して、ムスリム色の強い民衆はイスラム教回帰を目指して反する革命を始動する。結果的に、法学者であるホメイニー氏が精神的指導者となり、彼が提唱したイスラム法学者による統治に繋がって行く事になる。

因みに、そのシーア派色の強さが、後のサウジアラビアなどとの対立に繋がるんだけど、これは先の話。


1980年。イラクによるイラン侵略が発端でイラン・イラク戦争は始まるんだけど、その後、戦局が逆転し、1982年以降はイランがイラクへと侵攻する事になる。その結果、イラクの体制崩壊が、イラン革命の拡大につながると懸念したクウェート・ヨルダン・カタールや、アメリカ・フランス・ソビエト・中国の大国はイラクを支援。1988年に国連安保理で出された、イラン・イラク戦争の停戦決議598と、撤退監視を任務とした国連平和維持活動を正当化する619を両国が受諾するまで戦争は続く事になるんだわ。

基本的に、この戦争でのイランの勝利をアメリカを中心とする国際社会は許さなかった。何故ならイラン革命が中東に拡大する事を阻みたかったんだね。

結果、イランの一国に封じ込めることに成功した訳だがしかし、そのために後のクウェート侵攻→湾岸戦争→イラク戦争へと繋がる、強大なイラク軍の育成に手を貸す事になってしまう。これダーイシュ(IS)の台頭と同じ構図だよね。

更にこのイラン・イラク戦争は個別的自衛権に関して重要な出来事も起きる。

1992年に、イランが、80年代に起きた同国の石油施設に対するアメリカの攻撃を国際司法裁判所に提訴した、所謂オイル・プラットホーム事件。

だいぶ端折って結果的に2003年に審理は終了するんだけど、アメリカによるイランの石油施設への攻撃は自衛権行使としては認められ無かった。またアメリカとイランの間で結ばれた有効条約に定められる『本質的な安全保障上の利益を守るために必要な措置。』として正当化は出来ないと判決される。


個人的な話をすれば、これとニカラグア事件での判例を厳密に解釈すれば、アメリカの恣意で国連憲章に盛り込んだと言われる集団的自衛権の悪用を阻止出来ると思うんだよね。

まず、フルスペックの集団的自衛権が無いと媚米は脱却出来ない。多国間同盟の前提になり、日本独自の安全保障の構築に繋がる。そしてアメリカ依存から脱却すべきだと思うんだよね。自由な内政・外交の為にね。