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◆セスナ172操縦訓練日記&GB350C

軽飛行機操縦訓練の記録と写真

訓練雑感

2005年09月04日 | 軽飛行機
私はセスナ機の操縦訓練をテーマにしたこのブログを公開したことによって、プロ・アマチュアを問わず、現在PILOTとして空を飛んでいる方、また飛行機にはあまり縁のない方々からもたくさんの励ましをいただきました。

現在、星の数ほど存在すると言われているブログの世界で、飛行機好き中年が青春しているページが一つくらいあってもいいかな、という気持ちで書いています。

私の場合、趣味として飛行機に乗り込んでいますが、いったん飛行機に乗り込むと
真剣そのものです。

操縦訓練は隣で教官がサポートしてくれているとは言え、それなりの質量を持ったものが空中に浮いているわけですから、ぼーっとしていれば、乗っている教官のみならず、たくさんの方々に多大な迷惑をかける事になります。アマチュアとは言えそれなりの厳しさを持って飛行機に接するのは当然のことです。

飛行機の操縦は奥が深いだけに、たった一歩でも前に進むことが出来た時には大きな喜びがあります。『知覧特攻平和会館』のページで触れましたが、この平和なわが国で自分の好きなことを自由にやれるというのは本当に幸せなことだと思います。

私はこのページを通して人命救助の任務、航空写真撮影や航空宣伝などの仕事をこなすパイロットの方々の苦労話も、私の知り得る範囲内でこの機会にお伝えしていきたいとも思っています。

飛行気乗りに憧れてここまでたどり着き、操縦訓練に取り組む様子を記したこのつたない日記と共に、飛行機を通じてかかわった人たちのことなどもご紹介していきながら書き続けてみようと思います。

訓練6日目

2005年08月13日 | 軽飛行機
今日はノーマルテイクオフの後、いったん2000フィートの高度まで上昇し、そこから左右8の字に旋回を繰り返しながらさらに上昇を続け、旋回終了時には高度5500フィートの高度まで登り詰める、という内容である。

訓練の主旨としては、あえて水平線の見きわめが難しくなる高い空域で旋回訓練を実施する事によって、技量を身につけようという訓練だ。

まずは離陸から振り返ってみよう。ラダーペダルを踏む足がある程度使えるようになった。離陸滑走時に定める目標を、ランウェイのエンドに置くようにという教官の指示を守ることによって、最初の頃に比べればだいぶ機体をまともに滑走させる事が出来るようになってきた。

しかし、しかしである。まっすぐに走らせることに精一杯で、引き起こし操作がお留守になり、またもや教官の手を借りて離陸した。離陸後、左からの横風にも取られ、機首のさらなる左偏向を助長してしまい、離陸後のピッチ姿勢も定まらない不安定な離陸となってしまった。

前方の山がカウリングに隠れないようなピッチ姿勢の維持をするようにと、指導を受けたが、わかっていても現実にはなかなかうまく操縦できない。私にとっての鬼門は離陸後3分と着陸前8分の計11分間、つまりクリティカルイレブンにあると言えそうだ。

ひとたび上空に上がってからは、教官がこれまでにあえて難易度の高い45度バンクの旋回を訓練させてくれていたおかげで、30度バンクの旋回だけで通した今日の旋回訓練は楽に感じた。

自家用操縦士の試験課目にはない、45度バンク旋回の訓練をする事で、技量を身に付けさせようとする教官の親心に感謝したい。

旋回の出来具合としては、まるで披露出来るようなレベルでないことはわかっているが、自分のイメージにほんの少し近づいただけでも満足感がある。

バンクさせた直後の操作が適切であれば、それだけで飛行機というものは安定し、スムーズに旋回する。一度安定したらへたに力を加えない。それも操縦技術だと教官におしえてもらった。

旋回操作の初期段階で、滑らかに持っていくことがいかに大切かということを体で感じ取る事ができた気がする。机上の理論だけではけして理解できない部分だと思う。

フルパワーでの右上昇旋回では、左上昇旋回よりもラダーペダルの踏み込み量を多く必要とするということも、操縦しながら感触をつかむことが出来た。飛行機に慣れてきたせいか、上空に上がってからそのへんを冷静にC/Kする余裕も少しは出てきた。

5500フィートの高度まで上りつめた頃、今日予定していた訓練時間の残りも少なくなり、ETA(着陸予定時刻)の時間まで残すところ5分となった。

さて、ここからが圧巻である。教官の持つ高度な操縦技術を再び目の当たりにすることになった。

エンジントラブルによる不時着を想定し、飛行場から約5マイル離れたこの位置から、教官の操縦により滑空で降りていくのだ。高度5500フィートの上空からは、10時の方向に小さく飛行場が見えている。

ほぼアイドルまでパワーを絞られた機体は機首を下げ、まるでグライダーのように静かな滑空に入った。目の前で回っているプロペラは、動体視力を駆使すれば、その回転が止まって見えそうなほど、ゆっくり回っている。

トリムを調整し、最適な降下速度である65ノットをメインテインしながら、パワーカットされた機体を飛行場へと導いていく。

視覚的にはずいぶんフワフワ滑空できるものだなと思った。こんなにゆっくりゆっくり降りて行けば、けっこう長い距離を飛べそうだなと感じていた。

昨年、ASK-13という滑空比27のグライダーに乗ったが、その時の滑空状態と比較しても、さほど降下率は大差ないような気さえしていた。

しかし自分のそんな感覚とは裏腹に、昇降計が示している値は毎分1000フィートの降下率をさらに下回り、針を振り切っている。高度計の針も反時計方向へと、どんどん回っている。そして空港の風下側に位置したところからフォワードスリップでいっきに高度処理が施されていく・・

あれほど高かった高度から、気がつけばすでにファイナルの適正グライドパスに乗ったことを示すPAPIの赤白ランプを確認できる位置にあり、そのまま滑り込むようにランディングした。着陸時間はピタリ予定通りの時間。

そのあまりの見事さにあっけにとられ、ポカンと空いたままの口からつい、出てしまったよだれをあわてて拭きながら、接地した機体に私はブレーキをかけた。そして駐機場へタキシング、最後の締めくくりをした。

事業用操縦士ライセンスの取得訓練で、この課目が必須である事は私も知っているが、もちろんその飛行技術を見るのは初めてだ。

上空でほんとにエンジンがトラブった場合、一発勝負のこの飛行にやり直しはきかない。教官にしてみれば、出来て当たり前の操縦技術ということになるのだろうが私にとっては、恐れ入りました という言葉以外になかった。

再び諺に例えるなら、『ローマは一日にしてならず』→『技量は一日にしてならず』と解釈したい。

いい年になってくると、経験が増え物事に動じなくなってくる反面、心を動かされる、なにかに感動する、ということが年々少なくなってしまう気がするが、今日という今日はついに魂を打ち抜かれてしまった・・

いつの日か自由自在に飛行機を操縦できる日が来ることを夢見て、私の操縦訓練は続く・・・

消えた水平線・・訓練5日目

2005年07月17日 | 軽飛行機

今日はいつもと若干違う内容のいわゆるNAV FLT。ジャンボ機も離着着する大型空港へ先輩パイロットの操縦で飛んで一旦着陸し、復路となる帰りのコースを、私が訓練を兼ねて受け持つパターンとなった。

3000m級滑走路はさすがに広々としていて実に気持ちがいい。 風はほとんど無風だ。今日は離陸滑走中の左偏向に備えて、フルパワーにすると同時に右ラダーを意識して踏み込んでみた。大きく蛇行はしなかったがセンターラインをまたもや外してしまった。操縦桿をじわっと引き、テイクオフ。ところが・・

上昇姿勢に移った後、見えるはずの水平線がどこにもない・・・

 

ピッチ姿勢は約10度、昇降計により毎分400フィート/分あたりの上昇率で飛んでいると認識してはいたが、肝心要の機体の姿勢がつかめない。

教官の指摘でハッとして水平儀を見ると、なんと機体が右に10度以上も傾いている。考えてみれば傾かずに上昇していれば500フィート/分の上昇率が得られていたはずだ。

いつも教官に中の計器と外の景色を交互に見よ、中と外を見よ、と何度も言われているにもかかわらず、外の景色を追い求め続け、一点集中になっていた。

しかしながら飛行時間やっと3時間を越えたばかりの自分に、いきなりの計器飛行はハードルが高過ぎた。なんとか水平儀を見ながらバンクを戻したものの、気持ちはあせり、状況を見失いかけていた。もしかして、これが

空間識失調(バーティゴ)なのか・・・

自分ではバンクせずに上昇しているつもりが、水平線を探しているうちにいつのまにか傾いていたのだ。

自分が持っている平衡感覚が、いかにあてにならないかという事を実感した。 本当の空間識失調とは意味は違うのかもしれないが、今こうして日記を書きながら冷静になって考えてみれば、危険な領域に入りかけていたと言える。

いきなりこういう状況になろうとは思ってもみなかった。離陸前にATISで得た情報では視程10km。天気そのものはいいのに、実際上空へ上がってみると海上はガスに覆われて前はなにも見えない。 この状況は初心者にとってはかなりキツいものだった。汗が目に入ってなおさら良く見えない。

真夏の暑さで頭がボーっとしていたのも手伝って心の準備を怠っていた。このへんの甘さがまさに素人の浅はかさと言えるだろう。 なんでもいい、なにか見えてさえいれば目標が取れるのに・・・海上で視程が悪いと、ほんとに前はなにも見えないということを身を持って知る事になった。

パイロットが一度は必ず経験するという、バーティゴの恐怖をこの段階で味わう事になった。 手がかりとなる外の景色、情報が得られないとなったら、どう対処すればよいのだろうか? 

答えは計器を信じる、計器を見て飛ぶ、という事以外にない。VFR(有視界飛行)の条件を満たしていてもこういうことが起き得るということを知ったし、むしろ貴重な経験をすることができたと思う。

やれやれ、飛行機に体が慣れてきたのは実感するが、今日のFLTは暑さも加わって、わずか25分のFLTだったにもかかわらず、クタクタに疲れた。 『好きこそものの上手なれ』という言葉があるが、自分の場合は『下手こそものの上手なれ』という言葉が適当だと思う。下手なりにうまくなりたい!との一心で操縦訓練に取り組めば、今より少しは技量も上がるに違いない、という自分なりの哲学であり、勝手な解釈である。

少々の悪状況でも、仕事として飛ばなければならないプロパイロットの現実を私は知っている。冬場、北西風が強烈で気流が乱れまくっている時の飛行にも同乗経験がある自分には、気象が悪い時の操縦が、いかに大変かということを知っている。

そういう厳しさを知っているだけに、いつも天候の良い時ばかり飛ばせてもらうのは、申し訳ない気がしないでもないが、この際余計な事は考えずに頼りがいのある教官と先輩パイロットに甘えておくことにしよう。 こんなヒヨコ訓練生に付き合ってくれる

先輩パイロットと教官に敬礼!!


訓練4日目

2005年06月12日 | 軽飛行機

今日は2ケ月ぶりの訓練FLTである。何もかも忘れてしまってはいないかと心配したが、操縦席に乗り込むと気が引き締まり、さすがに初訓練の時のように頭が真っ白になってしまうことはなくなった。

多少は心に余裕が持てるようになった。 ただ、狭いコクピットで計器類をC/Kしていくことに手間取るのは相変わらずである。

チェックリストに従ってエンジンを始動し、離陸準備を進める。 地上走行でラダーペダルを踏む操作も少しはできるようになった。離陸前点検を全て完了し離陸位置へ。教官から滑走路のエンド付近へ目線を置くようにと指示を受け、スロットルを全開にする。

センターラインをきっちりトレースできなかったものの、ラダーを必要以上にバタバタさせなかったことが功を奏してか、さほど蛇行することなく地面を離れた。 今日の訓練科目は自らリクエストした旋回訓練。そしてパワーオン・パワーオフの際の機首の動きを見るという2つである。

まずは水平飛行の状態から教官にスロットルを操作してもらい、フルパワーにした時と、逆にパワーを絞ったときの動きを見る。なるほど確かにパワーを入れれば機首を左に振り、絞れば右に振ってくる。

次に旋回の訓練へ。対気速度90ノットを維持しながら、流れるような旋回を行うことが出来るようになるのが目標だが、なかなか一定速度が維持できないうえ、依然として右旋回では高度が定まらない。 昇降計の指示している値を、高度が上がりつつある状況なのか、下がりつつある状況なのかという判断が遅いことが一つの原因だと思う。

水平線と計器パネルがおりなす位置関係は左右それぞれで異なるので、その維持もしっかりと自分の中で確立しなければならない。 今日は左右旋回の切り返し操作を何度も何度も訓練した。操縦桿を引く力かげんとバンク角を維持するための左右への適切なあて舵。

旋回中の速度維持のためのスロットル操作に、ラダーペダルの踏み加減調整。全てが調和しないとまともな旋回は完成しない。

 集中して訓練できないせいもあるが、ここまでは一進一退。ある部分だけ、うまく操縦できたとしても、次のFLTでは前の状態に戻ってしまうということが往々にしてある。

ある程度の技量が身につくまでの道のりは長いぞという感じだが、これほど奥が深くやりがいのあるものはない という気がした今日の飛行訓練であった。


訓練3日目

2005年06月07日 | 軽飛行機

『今日は着陸をやってもらいます』

FLT前、教官からさりげなくそう言われた。『あっ、はい・・・』

んっ着陸?

何も考えずに返事をしたものの、当然今自分が持っている今の技量で着陸など、ほど遠い状況である。

悪い冗談をと思いつつ、あらためて教官の顔を見直すとマジである。 こっ、これは大変なことになった・・・ フライトシュミレターじゃそりゃ少々難しい空港には降りてます、例えば香港の啓徳国際空港とか。しかしフライトシュミレターがいかに良くできているソフトだと言っても現実のフライトとは・・・

もっとも、やってもらいますと言っても、それは操縦桿に手を添えててもらいますよ、ということであって、仮に訓練生が望んだところでほんとにさせるわけではない。

実際の着陸はまず空港の場周経路に乗ることから始まるが、対地高度約800フィートでオンコース。徐々に高度を下げ、最終コースでPAPIの赤白ランプを見て 、降下率を調節しながら高度を降ろしていって接地までを行う。

当たり前だが教官の行う着陸は完璧である。

だいたい進入時の速度は60ノット(時速約110Km/h)程度だが、慣れない訓練生の感覚では、どんどん地上が迫ってくる感じだ。 トラフィックパターンと呼ばれる場周経路を終始、解説を加えながらの操縦。

失速速度できっちり接地。これを最後の瞬間まで訓練生に口で説明しながら行うのである。 人間、物事に集中すると口を閉じてしまうはずだが、わが教官の場合は最後の最後まで解説付である。凄い、凄すぎる・・・ 


航空身体検査の壁

2005年05月06日 | 軽飛行機

かつて色覚に問題がある者は全て不適格だった。

事業用はもちろん、自家用操縦士への道も固く門は閉ざされていた。 ところが近年になって規制は緩和され、自家用の場合に限り、軽度と診断されれば可能性があるということがわかった。

2種類ある色覚の精密検査にパスすれば大臣判定という道がある。ではその検査内容とは・・・

ひとつはパネルDといって微妙に色分けされた10数個のパネルをグラデーションの順に並べていく検査。これについては難なくクリアーすることができた。

もうひとつはアノマロスコープという、外観が顕微鏡のような形をした検査器によって行う。 スコープの中をのぞくと、円の上半分と下半分が薄い赤と緑に色分けされていて、被検者にその片方の色を、もう片方の固定した色と一致するよう、自分でツマミを回しながら濃度を調節させ、色を識別する能力を見る検査である。

実はこのアノマロスコープの検査が私の前に立ちはだかったのだ。正常な人にはきちんと合わせられるのだろうが、私にはどの位置で合っているのかが、なかなかわからない。

かなりシビアな識別能力を求められるには違いないのだが、何度合わせても合っていないような気がしてツマミの位置がなかなか定まらない。正常な人でさえわかりにくいほどのレベルだとも聞いたことがある。

ゆっくりでいいから』と、検査担当の医師が言ってくれた。しかし・・・ いくらやってもなかなか合うポイントを見つけられない。あせればあせるほど二つの色は一致してくれない・・・

しだいに絶望感が私を襲い始めてきた。視界の片隅にあった希望の火が、弱々しく消えかけているのが同時に見えた。万事休す。やはりダメか・・・あきらるしかないのか

人には努力すれば克服できるものとできないものがある。40数年生きてきて、ここぞという場面では頑張ってきたつもりだった。しかし残念ながら今回のケースはあきらかに後者にあたるものだ。

 能力の限界を越えている・

劣性遺伝として現れたこの色弱という障害は一生治らない。本人の努力とは無関係のところにある事実であり、自分に科せられた運命を改めてつきつけられた格好となった。

ここまで頑張ったけどやっぱり俺には無理なんだ・・・ 弱気の虫が遠慮無しに私のかすかな期待を押しつぶそうとしていた。しかし、ここで自分を奮い立たせたのは

 操縦輪をこの手で握りたい!

子供の頃から願い続けたこの強い思いにほかならなかった。 ダメでもともと、ダメでもともとじゃないか! いつのまにか、気持ちは切り替わっていた。過去のことは考えまい、と思い直した私は決意を新たにした。

これが最後のチャンスだ。 ついに腹を決めた私は目を閉じて、一度大きく深呼吸した。そして全神経を集中し最後の難関、アノマロスコープへと再び挑んだ。

検査終了の日から約1ケ月後。 その日は木枯らしが吹き荒れるとても寒い日だった。国土交通省からようやく届いた封書をおそるおそる開けてみるとそこには、小さな字で合格と書いてあった。 

永遠の飛行機少年が目指した 

パイロットへの道 

は、たった今まで完全に目の前の視界を奪っていた深い霧が、すーっと消えていくようにして、私の目の前にその姿を現したのだった。


教官との出会い

2005年05月05日 | 軽飛行機

今日の訓練科目は45度バンクの急旋回。30度バンクの旋回訓練をした後、水平儀を見ながらバンク角を45度に合わせる。すると・・・

機体は真横に???

初めて経験した45度のバンクは、自分の感覚ではほとんど真横になっているくらいの感じだった。教官から高度が下がっている、速度が落ちている、ボールがとんでいる、と次々に指摘されるが頭のなかはまたもや飽和状態。

さらに30度バンクではほとんど感じなかったG(重力加速度)が全身、特に頭にかかってくるため、それでなくても上空に上がり、低下している思考能力と判断力とをさらに低下させていく。

バンク角が深まるにつれて失速への危険も同時に高まっていくはずだ。自分のへたな操縦でスピンに入れてしまう可能性だってあるんじゃないか・・・まったく余裕はないくせに、なぜかふとそんなことが頭をよぎる。

教官はこの道一筋に歩んできた生っ粋のパイロットだ。総飛行時間はなんと1万2千時間を越えているという。

私みたいな超ど素人からすれば文字通りそれこそ雲の上の人だというのに、すこしも偉そうなそぶりは見せず、丁寧に指導してくれるありがたい存在だ。

一応、脳波の検査をパスして訓練許可書を手にしてきているとはいえ、気圧の低い上空に上がって、訓練生が100%予想外の操作をしないという保証はない。 飛行機の場合は高速で飛んでいるわけだからちよっとした油断が命取りになりかねない。

訓練生が気づかないうちにしだいに高度が下がっていく状況でも、指示はするがギリギリまで手を出そうとはしない。車の教習ならせいぜい路肩のガードレールにでもぶつけるくらいで済むかもしれないが、飛行機だとそうはいかない。

飛行機の教官となれば、いざという時の心構えも常にできていなければならないのだと思う。 さて今度は失速の訓練だ。パワーをアイドルにして、高度を下げないよう操縦桿を引きながら失速を待つ。速度計の数字がどんどん減っていく。そして・・・失速警報ブザーが鳴った直後に、機首がガクーッと下がる。

 失速だ!

すかさずフルパワーにして回復操作を。 FLT前に教官から今日は失速をやります。と聞いて実は内心ビビッていた・・失敗したらそのまま墜落するんじゃないか・・普通に飛ばすのさえままならない技量なのに?大丈夫???

普通に飛ばすのがままならない技量だからこそ、失速回復の訓練をやっておかなければならないのだが、恐怖心があったのも事実である。 航空身体検査にやっとの思いでパス出来たことも嬉しかったが、なんといっても私の

最大の幸運

は、経験豊かなうえなにより飛行機を愛し、空を飛ぶことが大好きなこんな教官に出会えたことだと思う。


訓練2日目

2005年05月02日 | 軽飛行機

今日もあいかわらずラダーペダルを踏む足は思うように動いてはくれない。一方、左手は飛行機の進行方向を変えようとしているらしく?勝手に操縦輪を動かしている。

地上走行では操縦輪でエルロンをいくら動かしても方向変換できないことくらいは知っているはずなのに、手が無意識のうちに操縦輪を動かしている。今は

=飛行機の操縦をしているんだ=

と自分自身に言い聞かせるのだが、車の運転をしているときの感覚が完全に切り離せていない。 そんな状態だから必然的に離陸はほとんど教官の操縦に頼ることになる。

離陸後2000フィートまで上昇したところで操縦輪を渡され、上昇姿勢を維持したまま2500フィートまで上昇し水平飛行へ。 まずは30度バンクの左旋回。思っていたよりうまく旋回でき、気を良くする。

元の方位まで戻ったところで今度は同じ30度バンクで右旋回へ。しかし今度はグーっと下へ引っぱられ、高度が下がっていく・・ 操縦輪に機体の重量がぐっとかかってくる感じで操縦輪が重い。右手はスロットルから手が放せないから、左手一本で操縦輪を支えなければならない。引き続けるには腕力もいる。

 

 

操縦輪を引くことばかりに気を取られていると計器に目が行かない。チラッと目をやると旋回計のボールは中央から外れ、機体が横滑りしていることを示している。ラダーの踏みかげんはこれくらいか? パワーは? 実際に飛びながら感覚を探る。

 

頭ではわかっていても実際上空に上がってからは思うようにはいかない。なにより余裕がない。

 

プロペラの回転による※ジャイロ効果が現れていることを実感する。右旋回の場合は左旋回に比較すると、より強くその傾向が現れるように感じた。 旋回操作がこんなに難しいなんて・・・ この後更に

甘すぎた認識と技量不足

を、とことん思い知らされる結果になろうとは知る由もなかった・・・・

ジャイロ効果

回転している物体に力を加えると、その回転方向に向かって90°進んだ位置に力が作用する。セスナのプロペラ回転方向は操縦席から見て時計回り。従って右旋回に入れると機首は下がろうとしていく


訓練初日

2005年05月02日 | 軽飛行機

今日は記念すべき初訓練の日。操縦練習許可書さえ取れれば飛行訓練を受けられると聞いて決心した日からすでに3ケ月という月日が過ぎようとしていた。

国土交通省が発行する操縦練習許可書を手にするためには、指定医による

=航空身体検査=

に合格しなければならない。 私の場合目に問題があったため、かなり苦労したものの、なんとか操縦練習許可書を手にして、ようやく今日という日を迎えることが出来たのだ。 しかし感激にひたっているひまなどはない。

教官の指導を受けながら機体の外部点検を行っていく。操縦席に乗り込んだ後、さまざまな計器のC/Kを経て、ついにエンジンを始動した。 エンジンがかかってからは頭の中は真っ白。完全に舞い上がってしまい、なにがなんだかわからないうちに滑走路の離陸位置へ。

指示されるがままにスロットルをいっぱいに押し込み、フルパワーで滑走を始めた機体を真っ直ぐに走らせようとするが、ラダーペダルを操作しなければならない足をうまく使えず、滑走路上を右へ左へと蛇行し続け、気がついたら教官の操縦で離陸していた。

時は2月初旬。季節は冬の真っ只中だというのに、額からは汗が流れ手のひらは汗びっしょり。私の

 飛行訓練生としての第一歩

はこのようにして始まった・・・


パイロット志望

2005年05月01日 | 軽飛行機

子供の頃から飛行機が好きだった・・・

 

 

 

憧れの職業はもちろんパイロット

一度はあきらめた

 パイロットへの道

 

このページは、地元に飛行クラブが発足したことをきっかけとして、かねてからの念願だったセスナ機の操縦訓練を40代後半にしてようやく始めることになった男の、汗と涙の奮闘日記です。