激動の2007年を振り返って

2007年12月24日 | 航空祭

                              

 

今年もいよいよ残すところあと1週間となりました

 

楽しかったこと。苦しかったこと。悲しかったこと・・・ 

いろんな事があった1年でした

 

 

昨年は大雨に祟られてしまった築城航空祭。しかし今年は最高の快晴に

新田原祭も築城同様快晴に恵まれ、見事にうっぷんを晴らすことができました。 

 

 

 

来年はいったいどんな年になるのでしょうか

 

このページを訪れてくれた皆様のご健康と今後の活躍を願いながら新しい年を迎えたいと思います 

 

ご安全に!

 


千の風になった人

2007年12月06日 | 軽飛行機

私たち大分県央フライングクラブの教官はお隣の熊本県に住んでいて、遠路はるばる2時間以上もの時間をかけて大分県中部に位置するわが大分県央空港へ足を運んで来て指導にあたってくれている。 

 

教官に最初に出会ったのは昨年の2月頃だったかと思う。風もなく穏やかな小春日和の日だったと記憶している。

時間が過ぎ去ってゆくのはほんとに早いと思う。あれからもう1年半もの月日が経過したのだろうか。

 

目まぐるしく変わっていく世の中の変化になかなか追いついていくことができないまま、どんどん年齢を重ねていく自分にふと気がついてみたりする。

 

 

 

でもいい大人になった今、操縦訓練生として飛行機に乗る時は気が引き締まり、学生に戻った気分になれる。

日々の仕事に追われる中、たまの休日に好きな飛行機に乗れる喜びをサポートしてくれ、指導してくれるのは他ならぬ教官のおかげである。  

 

教官は空をこよなく愛し、事業用・自家用を問わずパイロットを目指す訓練生に対して常に熱心に指導してくれる情熱を持った人。 いつも飛びながらご覧のような身振り手振りが必ず加わる。 

 

 

『滑走路のセンターラインに身体を持っていく!』 

こんな画像を見ていると今でも私の耳にはその声がはっきりと聞こえてくる。

雨の日も風の日も飛行に支障ない天候と判断すれば、上空へ上がって飛行訓練は続けられた。

 

                                        

 

しかし、その日は突然やってきた。クラブ員H.Aさんからの電話だった。

『教官が・・・』

『えっ教官が?? そんな・・・』そう、聞いた私は絶句した。その言葉がすぐには信じられなかった。

 

信じたくなかった

 

クラブルームで飛行機のことを語る時、少年のように輝く眼差しで熱く語られていた日々が昨日のことのように思い出される。 

 

『空を目指す人の手助けをしたい。それが私の使命』

 

という信念のもと、それこそ雨の日も風の日も熱心に、操縦ライセンスを目指す私たちのために指導してくれた恩師。

 

 

教官がこよなく愛した。そして好きだったグライダー。

 

 

 

数人のクラブ員がかけつけた当日。葬儀開始前その生涯を振り返る思い出のビデオが聖歌『アメイジング・グレース』の曲が流れる中、始まった。

教官と一緒に飛んだ日々のことが、まるで走馬灯のように頭の中を駆け巡っていく。涙が溢れて止まらなかった。

真剣にやればやるほどヘマをやってしまう私のヘタな操縦にも、終始冷静でしかも要所を押さえた飛行訓練を施してくれた日々。 

そして『千の風になって』が会場に流れた。

 

 

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
 

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています 

 

この『千の風になって』は、まさに私たちが慕った三浦教官のために作られた歌であるような気がしてならない。  

 

 

教官の名は三浦大智(MIURA DAICHI)  長崎市出身  享年65才

元陸上自衛隊航空学校操縦教官、北部方面飛行隊長

総飛行時間     7000時間(飛行機3500,ヘリコプター3500)

主搭乗機種     飛行機:L-19、メンター、LM,MU-2 

          ヘリ:H-13OH-6,H-U1

          グライダー趣味で少々 

 

○自己紹介

子供たちが長崎の出島海岸で魚釣りをしていました。そこに突然米軍の飛行艇が港に舞い降りてきました。子供が目を白黒させる間もなく、飛行艇は岸壁に近づき、やがてドアを開けるとゴムボートを出して数人のアメリカ人が上陸してきました。腰を抜かさんばかりの驚きでした。飛行機との平和な出会いでした。飛行機を操縦してみたい。自家用の免許を取りたい。国際線の機長になりたい。空への道を求める人に手助けする事。私の使命です。熊本からの遠路もものとしません。ただ、加齢と共に仏の三浦になってきました。

 

セスナでご家族と世界一周するのが夢だったと聞いた。

家族を愛し、飛行機を愛し、いつも周りの人に対する気配りや思いやりを忘れなかった人。

私とhiropochiさんが書くブログの投稿記事をいつも楽しみにしてくれていた。

輝く夜空の星となったあなたに、万感の思いを込めてこのページを贈ります

あの大きな空を吹きわたる風を感じる時私たちはあなたのことを思い出すことでしょう。

ずっとずっとその大空の上から私たちを見守っていて下さい。

 

for ever teacher  夢をありがとう! 

 

 


2007"新田原基地航空祭

2007年12月02日 | 航空祭

航空機ファンの方もそうでない方も、本日は当ブログへお越しいただきまことにありがとうございました

このページは自他共に認める『飛行機キチガイ』が作っているページです。

毎年のパターンではありますが今年を締めくくる航空祭の取材記事と日記をまたもや投稿させていただきますので暇つぶしに、軽い気持ちでご閲覧下さい

 

 

先週の築城基地祭に続き、宮崎県にある航空自衛隊新田原基地へ足を運んだ。

天気は先週に引き続きまたもやご覧のような晴天。日中は風も穏やかでまさに小春日和。文句無しの条件に恵まれた。 

 

 

 

これは国産のT-2戦闘機、垂直尾翼には飛行教導隊のコブラマークが・・・あれれっ、でも現行の飛行教導隊がこの機種を使用してたっけ?? 

 

以前は滑走路の南側が駐車場となっていて、写真愛好家はこの南側の駐車場から順光で撮影することが出来たのだが今、南側は一切立入禁止となっている。

従って写真を撮りたい人はメイン会場側から逆光で狙うか、基地の外からカメラを構えるしかない。

あーあ、せっかくいい天気なのになあ・・・撮影の腕と手持ちの機材ではこの程度が精一杯である 

 

 

 

しばらく考えた末、割り当てられた滑走路東側の駐車場に戻れば、着陸機が順光で撮影出来るのではと思い、そこへ戻って再度撮影を。

何しろ基地は広いからいったん居場所を決めたらおいそれと移動はままならないのである。ちょうどF-4EJファントムが二機編隊で降りてきた。

 

 

体中に響き渡るジェット戦闘機が放つエンジン音、目を見張る機動飛行。とてもその迫力は言葉では言い尽くせない

 

 

続いて飛行教導隊のF-15イーグルも降りてきた。ここ、新田原基地の航空祭はこれまた一味違います

 

いやー凄い来年もまたここへ来るゾー