親父は昭和3年生まれの辰年。戦時中、飛行機乗りを目指した男だった。
真っ白い飛行学校の制服を着て、敬礼をした写真が実家に残っている。当時の写真は当然のようにモノクロである。
そんな写真を見る時、セピア色に変化した色が時代を感じさせ、なんとも言えない郷愁が漂う
親父は海軍航空隊で飛行機乗りを目指していたが、こころざしなかばで戦争が終わり普通の人になった。
昭和3年生まれが16歳の頃の話だから、実に60年以上前の話である。本人はすでにこの世にいないから改めて当時のことを聞くことはできないが、当時の花形戦闘機ゼロ戦を前にして目を輝かせていたに違いない。
今、私の目の前にあるのは軽飛行機の代名詞ともなっているセスナ172という飛行機。
戦闘機のような派手さやカッコ良さとは縁遠い飛行機かもしれないが、空を安全に飛ぶために研究されつくし、多くの実績を積んできたまさに質実剛健、飛行機の基本とも言える形をした飛行機だ。
空を飛ぶために生まれてきたその姿とたたずまいには独特の雰囲気がある
これからもこの飛行機に乗って空の魅力を堪能し、仲間たちとともに多くを学びたいと思う