レントゲン技士を目指し、高校卒業後私が勤務する会社でアルバイトをしながら専門学校に通っていた男がいる。彼は2年間雨の日も風の日も、一日たりとも遅れることなく学校帰りに通っては、慣れない接客業のアルバイトをこなした。2年の月日はあっというまに過ぎ去り、やがて卒業を迎えることになった。
彼は最初のレントゲン技士国家試験に失敗した。悩んだあげく、留年という形でバイトを続けながら再挑戦する事になった。しかし・・・難関のその国家試験に、翌年も再び失敗してしまった。
親元を遠く離れ、1人暮らしをしながら苦学の毎日。なんとかしてやりたい気持ちだったが、勉強を手助けしてやれるはずもない。 私にはせいぜい、救急車のサイレンの音が遠くからやってきて、通り過ぎていくときに音が変化していく、あのドップラー効果の事を話題として持ち出すことくらいが関の山だった。
そんな私のいいかげんさをよそに、思い悩んだあげく彼は故郷へ戻ってもう1年、独学で頑張る決心をし、最後のチャンスに賭けることにしたのだ。
まさに3度目の正直、苦節4年目にして見事にレントゲン技士国家試験合格を果たした彼は再び、私の元を訪れた
=合格しました!=
と聞いた時には、抱き合って喜びを分かち合ったものだ。
不撓不屈の精神、ネバーギブアップ。あきらめずに努力し続けたことが報われ、花開いたのである。不器用な男だったが、それこそ死に物狂いで努力して人生を切り開き、自分自身で道筋を作ったのだ。
世の中にはいろんな人がいていろんな人生がある。同じ釜のメシを食った仲間だった彼の喜びは私自身のものでもあった。合格の報告のため、はるばる私の元を再び訪れた時のあの笑顔は忘れられない。
現在、彼は生まれ故郷の総合病院にレントゲン技士として勤務し、活躍している。
私は今、仕事を持ちながら航空機の操縦に取り組んでいる。しかしそれで飯を食おうとしているわけではないし、プロになれるはずもない。
自家用操縦士のライセンス取得までいきたいという気持ちはあるにはあるが、現実的にはさまざまな制約により、おそらく無理だろう。 最終的にどうなるかわからないが、自分の場合はこれでいい。ずっと心の奥にしまい込んでいた夢に対して、少しばかりの幸運と少しばかりの努力で、ここまでこぎつけられたのだからそれでいい。
あきらめずに努力すれば、最後に必ず結果は出るということを、私の目の前で彼は実行してみせてくれた。サクセスストーリーの裏には、人知れず大変な努力が伴うものだという現実がある。
私自身は今後もいろんなことに挑戦していきたいと思っている。 わたしにとって航空機の操縦訓練を行うことは、その中の大きな柱であり、大げさに言えば生きがいなのである。夢の実現に向けて一歩一歩進んでいきたいと思う